歎異抄(たんにしょう)を読む

 みなさんは「歎異抄」(たんにしょう)をご存じでしょうか。恥ずかしい事ながら私は「歎異抄」を

「たんいしょう」と読んでいました。また、歎異抄という名前だけは聞いていたのですが、どんな

事が書かれているのかまったく知りませんでした。しかし、ずっと気がかりだったのでチャンス

があれば読んでみたいと思っていました。

 ところが思いがけないことから勉強のチャンスがやってきました。この「歎異抄」についての

講座が開かれることになったからです。その講座は、毎年開かれている仏教講座でした。毎年

開かれているこの講座には欠かさず参加しています。この講座については、このサイトでも以前

紹介したことがあると思いますが改めてもう一度紹介をしておきたいと思います。仏教講座は

毎年一回ライフパーク倉敷で開かれています。講師は吉備国際大学の高橋先生です。大変

人気がある講座で毎回多くの人が受講しています。私は仏教講座の第一回目から受講して

います。また、この講座は倉敷ケーブルテレビが録画して、後日放映しています。

 さて、「歎異抄」ですが、一昨年の仏教講座のテーマでした。しかし、せっかくの講座も私の

理解力不足から何が書かれているのか、今ひとつ確たるものを掴むことが出来ないままに

終わってしまいました。従って、講義は聞いたもののかえって頭の中は混乱していました。 

 ところがつい最近、図書館の新刊書の中に梅原猛さんが書かれた「梅原猛の『歎異抄』入門」

なる本がありました。早速、借りて帰り読んでみました。しかし、一通り読んだだけでは理解

出来ませんでした。もう一度読んでみました。やっと、おぼろげながら分かりかけてきました。

更に読み返してみました。すると私が理解できなかった理由が分かってきました。それは、

私が考える常識というものが先入観としてあったために理解できなかった事だったのです。

結局、この本は本屋さんに注文して取り寄せて貰いました。

 「歎異抄」は浄土真宗の祖である親鸞上人の愛弟子である唯円という人によって書かれま

した。唯円は親鸞上人の教えを唯円なりに理解して「歎異抄」にまとめたようです。唯円が

「歎異抄」を書こうと思い立った頃は、親鸞上人の孫に当たる人が浄土真宗の最高位として

宗門の基礎を固めつつあった時期でした。唯円にしてみれば他の宗門と同じようになっていく

「浄土真宗」を快く思っていなかったようです。親鸞上人の思いを何とか伝えたい、もう一度

「浄土真宗」の原点に立ち返り親鸞上人が何を伝えたかったか再認識をして貰いたい、そんな

思いがあって「歎異抄」を書き上げたようです。

 親鸞は、親の供養のために念仏を唱えるのではないとか、信者からお布施を取るのは良く

ないとか、当時の仏教界にあっては異端とも思えるような考えをしていました。こうした考えは

当時の仏教界にあって、寄って立つ基盤を危うくするような考えでした。また、このような親鸞

の考えは宗門の基礎を固めつつあった「浄土真宗」としても都合の悪い事でした。そんな事が

あって、せっかく親鸞の教えを再認識して貰おうとして書かれた「歎異抄」は長く秘本として

「浄土真宗」を信仰する人々にさえ読まれるような事はなかったようです。再び「歎異抄」が日の

目を見るようになったのは、やっと明治時代になってからの事でした。

 「浄土真宗」は法然上人が説いた「浄土宗」の教えを受け継いだ宗派でした。親鸞は僧籍に

ありながら妻帯をするなど、当時にあっては異常とも思えるような大胆な行動をとる人でした。

親鸞は法然上人の愛弟子でした。親鸞は師である法然上人の教えに導かれて「浄土宗」を

信仰するようになりました。

 法然上人の教えは当時の仏教界を批判するようなものであり仏教界はこころよく思っていま

せんでした。一方、法然上人の弟子達の中には教えを信ずるあまり過激な行動に走るものが

少なくありませんでした。そんな事があって、師である法然上人とともに親鸞自身も都から追わ

れ越後の国府に流されてしまいました。

 師と離れ都を追われてから本格的な親鸞の布教活動が始まりました。そして多くの弟子が

出来ました。その中に後に「歎異抄」を書いた唯円もいました。親鸞上人には、退廃の極みに

あった仏教界をこのままにしてはおけないと言う強烈な思いがあったようです。陰で隠れて女を

囲うほどなら煩悩を承知で妻帯すれば良いではないか。所詮、人間は弱いものである。戒律、

戒律と言ってみても押さえきれるものではない。煩悩や弱い自分自身を認めた上で、なお救済

されるべき道を求めるべきではないかと思っていたようです。

 さて、本題に入りましょう。「歎異抄」の特徴は何と言っても、この一節にあると思われます。

実は私自身を悩ませていたのもこの一節でした。梅原さんが原文と併記して現代文に書き改め

て下さった両方を書いてみると次のようになります。


第三条 原文

善人なおもて往生をとぐ、いはんや悪人おや。しかるを、世のひとつねにいはく、悪人なを往生

す、いかにいはんや善人をや。この条一旦そのいはれあるににたれども、本願他力の意趣に

そむけり。そのゆへは、自力作善のひとは、ひとへに他力をたのむこころかけたるあひだ、弥陀

の本願にあらず。しかれども、自力のこころをひるがへして、他力をたのみたてまつれば、真実

報土の往生をとぐるなり。煩悩具足のわれらは、いづれの行にても生死をはなるることあるべ

からざるを、あはれみたまひて願をおこしたはふ本意、悪人成仏のためなれば、他力をたのみ

たてまつる悪人、もとも往生の正因なり。よて善人だにこそ往生すれ、まして悪人はと、おほせ

さふらひき。

訳文

 善人ですら極楽浄土へ行くことができる。まして悪人は、極楽浄土へ行くのは当然ではない

か、私はそう思いますが、世間の人は常にその反対のことを言います。悪人ですら極楽へ行く

ことができる、まして善人は、極楽へ行くのは当然ではないかと。

 世間の人の言う方が一応理屈が通っているように見えますが、この説は、本願他力の教えの

趣旨に反しています。と申しますのは、みずから善を励み、自分のつくった善によって極楽往生

しようとする人は、おのれの善に誇って、阿弥陀さまにひたすらおすがりしようとする心が欠けて

いますので、そういう自力の心がある間は、自力の心を捨ててただ阿弥陀さまの名を呼べば

救ってやろうとおっしゃった、阿弥陀さまの救済の本来の対象ではないのであります。しかし、

そういう人といえども、自力の心を改めて、もっぱら他力、すなわち阿弥陀さまのお力におすが

りすれば、正真正銘の極楽浄土へ行くことができます。ところが、われらのごとき心の中にさま

ざまなどす黒い欲望をいっぱい持つ者が、どういう行によってもこの苦悩の世界を逃れることが

できないでいるのを阿弥陀さまはあわれんで、あの不可思議な願いを起こされたわけですから、

もともと阿弥陀さまの願いを起こさせる本当の意志は、この悪人を成仏させようとするためで

ありましょうから、自分の中に何らの善も見出さない、ひたすら他力をお頼みするわれらのごと

き悪人のほうが、かえってこの救済にあずかるのに最もふさわしい人間なのであります。

 だから、善人ですら極楽へいくことができる、まして悪人は極楽へ行くのは当然ではないかと、

なくなった法然聖人が仰せられたのも、深い理由があってのことであります。


 幾度となくこの文を読み返してみると教えの何たるかが分かってきました。とかく人間は善行

を積めば極楽浄土へいけるものだと信じています。しかし、その考えを持っている間は、ひた

すら阿弥陀如来におすがりをしたいという思いになり切れません。本当は何もかも雑念を捨て

て、ただひたすら阿弥陀さまをおがむという心になり切れていないと阿弥陀さまの救いはあり

ません。そんな事を教えているようです。

 この教えには仏教の根底を流れる大きなテーマがあるように思われます。私達は何事にも

理屈でものを考え、論理ずくめで行動に移ろうとします。それは人間というもののある種の性

かも知れません。しかし、仏教はそのことを否定しています。考えることより行動で何かを悟ら

せる。体に覚えさせる、自覚させる。そんな事が若き日の空海が行った修行であり、修験道や

千日回峰のように体を極限に追いつめることで何かを悟らせようとしているようです。この辺は

仏教がインドのヨガなどの流れを汲んでいるからかもしれません。

 ともあれ理屈抜きで阿弥陀さまにすがりなさいと言う教えには法然、親鸞、唯円と受け継がれ

てきた仏教そのものの深遠なる流れがあるように思います。

 私も煩悩多き人間であり、この教えにも書かれているような理屈多き人間です。この教えが

なかなか理解できなかったのもそれが原因ではなかろうかと思っています。今はただ阿弥陀

如来の真の教えに少しでも近づきたいと思っています。

                                        2005年3月10日掲載

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