旅の話あれこれ

 旅行について少し書いてみようと思います。最近、大変、旅行の機会が多く、その度毎に感動が薄れるような気が

してなりません。どうも旅行に関していえば数多く経験すれば良いというものではないようです。さほど昔ではなくても

私達が幼かった頃までは、大多数の人が一生に一度も旅行が出来ないような状態でした。従って、旅行が出来た人

は、その感動を旅行記などに書き残しています。また、お伊勢参りと称する旅には、旅をする人に餞別などを渡して

盛大に送り出していました。旅から帰った人は自分の見聞きしたことを近所の人に語り聞かせたりもしていたようです。

 もちろん今日のように交通機関が発達していたわけではなく、大方は自分の足で歩いての旅でした。従って、途中

で怪我をしたり病気になったりする事もあったかも知れません。いったん家を出たら何日もかかるような旅でした。

それこそ決断のいる旅立ちであったに違いありません。だからこそ、他国の風物が珍しかったのだと思います。江戸

時代は隣の藩への行き来もままならない時代でしたから、文化交流も少なく地域の特徴を色濃く残していたのでは

ないでしょうか。お国変われば品変わるというように、地方毎の産品も珍しいものが多かったに違いありません。言葉

も地域によって大きく異なっていたと思われます。全てが新鮮で心躍るような感動があったのではないでしょうか。

 私自身も振り返ってみますと、小学校六年生の時の修学旅行や、もっと小さかった頃、お袋の里帰りで旅した思い出

が、断片的にではありますが今も鮮明に残っています。蒸気機関車の煙突から吐き出される匂い、もの悲しい警笛の

音、車窓を流れる景色などです。駅に着けば前に箱を下げ弁当やおみやげを売りに来る人、大きな夜間を持ってお茶

を売りに来る人、駅へ着くたびに大変な賑わいでした。そんな懐かしい思い出が走馬燈のように思い出されます。

 小学校の修学旅行先は宮島や広島や岩国でした。各駅停車の汽車に乗り、広島まで行って原爆ドームや平和公園

を見ました。広島市内は原爆投下後、日も浅く各所に当時の被災後が残っていました。銀行の御影石の階段に座って

いた人の影が残っており、被爆しても崩れ落ちなかった橋も残っていました。記念館の生々しい遺物の数々に食い入る

ように見入った事を思い出します。太田川の畔には川にせり出すように貧しい家が建ち並んでいました。

 宮島では島の中に鹿がいるのには驚きました。また、朱塗りの色鮮やかな建物の美しさには新鮮な驚きを感じました。

また、海の中に鳥居が立っているのも珍しく飽かずに眺めていました。島の中には土産物屋や旅館が建ち並び大変な

賑わいでした。全てが珍しく何度もあちらこちらと行き来をしました。

 持たせて貰ったわずかばかりの小遣いで何を土産に買おうかと、さんざん迷ったことも懐かしい思い出です。朱塗りの

一刀彫のお盆を一つ買いました。その場で彫刻をしてくれたものです。鮮やかな手並みでした。また、今とは比較に

ならないほど出来の悪い栞や絵はがきでしたが、それでも本当にきれいに見えました。カメラなどというものが身近に

ない時代でしたから、絵はがきの美しさが余計新鮮だったのかも知れません。

 このように感動というものは経験が少なければ少ないほど大きいものだと思います。旅行で感動を得ようと思えば、

まず旅行の回数を減らす方が良いのかも知れません。また、生活そのものの地域差がなくなり、どこに行っても同じ

ような土産物が並び、見る景色すらも画一化されて来たような感じがします。これでは遠くへ旅行したという感動すら

湧きません。

 私はこの不満を補うために出来るだけ、その街の裏通りを歩くことにしています。うらぶれた通りにはその街に住む

人達の飾らない息づかいが感じられるような気がします。そこに住んでいる人達の日々の生活の匂いがします。

 旅行は大変好きですが、このマンネリ化した旅行感を払拭して、新たなる感動を得るためには海外旅行など、日本

文化と異なるところを旅するのが一番かも知れません。とは言いながら日本国内、まだまだ行っていないところが

たくさんあります。新たなる感動を得るために、出来るだけ私自身の新鮮な心を失わないようにしたいと考えている

昨今です。

                                                    2002年11月30日掲載

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