出港歌

 船の上では何度も何度も聞いた歌ながら唄っているのは誰なのか、曲の題名は何なのか

まったく知らなかった。高揚感をいやが上にも高めるようなハイテンションの歌は今も耳から

離れない。私達の乗ったピースボートが訪問先の港を出るたびに聞いた曲である。

 今回、ここ児島でピースボート同窓会を開くことになって、改めて、誰が唄った歌で曲名は

何なのかを知りたくなった。出来れば宴会場の入場時に会場で流し、みんなにあの感動を思い

出して貰いたいと思ったからだ。この歌はスウィートボックスのテスティモニーという曲である。

 ケニアのモンバサ近くのフェリー乗り場は勤め先に向かう人達で賑わっていた。平坦な大陸

の遠景にはこんもりとした森が見えていた。あの密林か森の向こうには、野生動物の世界が

広がっているのかと思うと興奮を抑えられなかった。

 私達を乗せたトパーズ号は停泊地に向かう細い水路の様なところを遡っていた。蒸し暑くは

なかったが照りつける日射しは厳しかった。とうとうこんな遠くまで来てしまったという思いが

胸にこみ上げてくる。六十歳を越えた年齢になってもなお、こんな感動を覚えようとは思っても

見なかった。自分にも、未だ瑞々しい気持ちが残っていることに驚きつつも嬉しかった。

 これが十代や二十代の若者であるならば、なおさらのことであろう。この船に乗っている大勢

の若者達は、どんな思いでこの景色を見ているのだろうか。彼らもまた高まる興奮を胸に船の

両サイドに展開する熱帯らしい景色を見ているに違いない。

 こうして約二日間の短期間ながらアフリカ大陸の旅が始まったのである。船が着いた港の前

には倉庫のような建物があり、その前には周辺の車を全て動員したのではないかと思うような

数のサファリーカーが並んでいた。

 船の最上階のデッキから見下ろすと、ジャンベ等の打楽器を打ち鳴らしながら歌を唄っている

黒人の一団がいた。入港時の港で見た人達、ここでこうして見る人達、全てが黒人であった。

ここはまさしく黒い大陸であった。強烈なアフリカ大陸の匂いがした。

 周辺に展開するアフリカの景色を見ながら優雅な朝食をデッキで済ませ、一度部屋に戻り

着替えをした。そして、二日間の旅の用意をした旅行鞄を持って集合場所であるブロードウエイ

に集まった。ここでグループ毎の参加者チェックを受け、ツアーリーダーに誘導されて船を下りた。

 そこには、でっぷりと太った黒人女性達がバラの花束を持って待っていた。そして降りてきた

私達に一本ずつバラの花を手渡してくれた。歓迎の花束ならぬ一枝のバラの花であった。一枝

とは言えこの国の人達にしてみれば高価な花であるに違いない。

 私達は一泊二日のサファリツアーをマサイマラ自然保護区で済ませ再びこの港に戻ってきた。

港はそれぞれの旅先から戻ってきた人達で賑わっていた。港のはずれにはたくさんの露天が

並んでいた。土産物の多くは木彫りの面や動物であった。私は慣れぬ英語で値切って黒檀で

出来た立派なお面を買った。

 彼らはこうした交渉に慣れているようで、一旦つかんだ客はなかなか離そうとはしなかった。

そんなわけで彼らとは出来るだけ目を合わせないようにしながら商品を見て歩いた。うっかり

目を合わせてしまうと待っていましたとばかり、しつこくつきまとって来るからだ。ドルで交渉し

円に換算してみたが、けっして安くはない。しかし、中には商売下手でお客に値切られ仕方なく

売っているような女性もいた。傍らには彼女の子供達が寝かされていた。こんな女性達を見て

いるととても値切ることなど出来なかった。私達と同じ旅行客の中には、そんな人達に同情して

必要のないものまで買い込んでいる人もいた。

 やがて出港の時間が来た。一度部屋に戻り最上階のデッキに出てみると、既に大勢の人が

船の下の人達とエールの交換をしていた。大半は現地の人達と交流のあった若者達であった。

デッキでは紙テープが配られ、あの曲が流れていた。「出港歌」である。久々に聞く曲だった。

その曲想がこの港の雰囲気にぴったりだった。

 何年も過ぎた今も懐かしくこの曲を思い出す。それは出港時のシーンではなく、朝の眩しい

太陽の中をモンバサ港に向かうシーンと重なって思い出されるのは何故だろう。その曲は

スウィートボックスのテスティモニーという曲である。

 今回のピースボート同窓会IN児島では、久々にこの曲を聞いて貰った。宴会場にみんなが

入ってくるときに流してみた。ほとんどの人は忘れているのではないかと思っていたが、意外

にも多くの人が記憶に留めていたようで驚いた。私と同じように旅の思い出とともに覚えて

いたのだろうか。聞いてもすぐには思い出せない人もいたようだが何となく聞き覚えのある

曲だと思ったようで、参加者全員がこれで更に思い出深い曲になったはずだ。

                                2007年4月22日掲載

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