過ぎ去りし映画の日々


 私の映画に関しての思い出は数限りなくある。無声映画に台詞を付けるという「活弁」なる

ものも、実はこの映画好きの行き着く先にあったような気がしている。子供の頃の映画鑑賞と

言えば、もっぱら街に二つあった映画館と福山市にあった映画館が主たる場所であったが、

これらは子供だけで行けるようなところではなかった。

 従って、その間を埋めるものはもっぱら小学校の講堂であった。今、振り返ってみれば小さな

講堂だったろうと思うが、当時、私達子どもの目から見れば大変大きな空間だった。この部屋

の最後部にアーク灯式の映写機を据え、舞台のスクリーンに映し出すという方法で上映されて

いた。

 数多くの映画を観た中でも忘れることの出来ないのはターザン映画だった。シリーズで何本

上映されたのか知らない。主演俳優もオリンピック選手だったジョニー・ワイズミュラーの他、

幾人かの俳優がターザンに扮していたようだ。

 葛(かずら)を次々に伝い大密林の中を縦横無尽に飛び回るターザンの姿は子供達の憧れ

であった。何とも表現のしようがない「ああああー」という甲高い雄叫びは、ターザンが行動を

開始する合図だった。そして、動物たちを呼び寄せる合図でもあった。

 ターザンはチンパンジーのチーターを小脇に抱え、巨大な像の背中で進軍を開始する。とても

格好良くて、この映画を見終わった後は、必ずターザンがあちこちに増えた。山に行くと早速、

太い蔦を切り出しナイフで切り取り、木の枝に垂らすと勢いよく雄叫びをあげて大地を蹴る。

 何度か繰り返している内に枝に結んでいた蔦がほどけ、もんどり打って二メートルばかり下の

地面に落下したことがあった。息が出来ず気絶しそうなくらい痛かった。しかし、足を折ることも

なく元気になると性懲りもなく同じことを続けていた。今もターザンは何処かに居るのだろうか。

 学校で上映される映画は、ほとんどが文部省推薦だった。今もはっきりと覚えているのは、

日本のマナスル登山隊が山頂を極めた時の記録映画だった。「標高8125メートル マナスル

に立つ」が映画の題名だ。それまでの映画は白黒だったが、この時、初めてカラー映画を観た。

しかし、総天然色シネマスコープなる映画が上映されるようになったのは、それからずっと後の

ことだった。

 「名もなく貧しく美しく」という聾唖者の夫婦と子供達のけなげな生き方に感動したり、灯台守

の厳しい生き方を映画化した「喜びも悲しみも幾年月」という映画も講堂で観た。いずれも夫婦

愛を描いた名作であった。特に「喜びも悲しみも幾年月」は若山彰の朗々とした歌声が一世を

風靡した。

 あれは、いつ何処で観た映画だったろう。「怒りの孤島」という映画だった。漁師の家に子供

が買われてきて激しい労働をさせられる映画だった。逃げだそうとしても離れ島なるがゆえに

逃げ出す手段がなかった。犬小屋のような箱の中に押し込められていた。

 これが事実だったとしたら、当時、貧しい漁民は人手不足を補うために、こんな事をしていた

のかも知れない。つい最近知った事だが、児島近辺の漁師の家でも朝鮮から貧しい家庭の

子供達を雇い、漁の手伝いをさせていた事を知った。貧しい時代には女性だけでなく、こうした

少年達も人身売買や、それに近い対象になっていたのかも知れない。

 「裸の島」という映画は、新進気鋭の監督だった新藤兼人がメガホンを取った作品であった。

瀬戸内海に住む農家の厳しい生活を描いた映画だった。耕して天に至るというほどの段々畑

に水やりのため桶を担いで上がる姿が印象的であった。殿山奉司、乙羽信子が主演だった。

 忘れてならない映画がもう一本ある。特撮の円谷英二監督の名を不動のものにした「ゴジラ」

である。放射能汚染により被爆した第五福竜丸事件の強烈な印象が色濃く残っていた頃の

作品である。放射能汚染によって巨大化したジュラ紀の恐竜が日本を襲うという映画だった。

 海底から突然の如く顔を表す巨大恐竜ゴジラ、その咆哮はターザンの雄叫び以上に印象的

であった。そして、怒りを露わにすると背中のヒレが赤熱したようになり、口からは激しく火を

吐く。その火は町中を焼き尽くすくらい強烈な火炎であった。

 ゴジラは上陸するとビルや家や送電線の鉄塔をなぎ倒し踏みつぶしていく。自衛隊のどんな

火器もまったく歯が立たない。この映画を観たとき、この怪物がぬいぐるみで出来ていて、中に

人が入っていたことなどまったく感じさせなかった。迫真の演技であった。

 映画館を出たときには、すでに秋の夕日は西に傾き頭上には茜雲が広がっていた。ほんの

短い秋の夕暮れの穏やかなひとときだった。先ほど観た映画の興奮がまだ残っていただけに

何故か「ホッ」としたことを思い出す。

 私は、決まらなかった作文コンクールのテーマを、この映画を鑑賞した感想に決めた。興奮

覚めやらぬまま一気に書き上げた作文は、深安郡(当時)の作文コンクールで賞を取り、当時

では珍しい作文集になって私の手許にある。

 その後、「ゴジラ」はヒット作となり様々に変化をしていくのだが、私にとっての「ゴジラ」は、この

作品一作のみである。それだけ強烈な印象だった。

 この作品は、円谷監督が作った特撮映画というだけでなく、被爆国日本が再び放射能汚染

の被害に遭うという非運に見舞われた事に関する鎮魂の意味もあったのではないだろうか。

アメリカなどの核実験に対して日本国内の世論が急速に批判の声に変わっていったのも、

この頃からではなかったろうか。

 今も水爆実験に使われた南太平洋諸島は放射能に汚染されている。タヒチ住民の中には

フランスの軍事基地で働いていたという被爆被害者がたくさんいる。一度汚染されてしまった

島々は永久に元には戻らない。

 「小判鮫」という映画の題名だけが頭の中に残っている。インターネットで検索すると「美空

ひばり」の主演映画だと言うことだった。確か、お正月かお盆の頃、上映されたように記憶して

いる。場所は福山の映画館だったのではないだろうか。何しろ当時、親子で映画鑑賞と言えば、

お正月やお盆の時だけの事である。今も楽しい思い出として記憶に残っている。

 「戦艦大和」や「原爆の子」と言った映画は白黒時代の映画だった。かんけん座と呼ばれた

芝居や歌謡ショー等も出来る立派な舞台のある映画館だった。確か回り舞台もあったような

記憶が残っている。

 特に「原爆の子」という映画は被爆地である広島と同じ県に住んでいただけに、他人事とは

思えない悲惨さにまともには観られなかった。その後、六年生の修学旅行で原爆資料記念館

に行った。過去に観た映画のことが思い出され、遺物や写真をまともに見る事が出来なかった。

また、街の中にあった銀行の石段に、その頃までは、はっきりと残っていた人の影を見たとき、

恐ろしさに身のすくむような思いだった。珍しいものを見たいという気持ちと、そんな怖いものは

見たくないと言う気持ちが交錯する複雑な気持ちであった。

 修学旅行当時、原爆ドーム近くの元安川の畔には、半ば川にせり出すようにバラック建ての

建物が並んでいた。まだまだ戦後復興が下部まで浸透していなかった時代のことである。戦後

住み着いた人もいたかも知れないが、多くは被爆者だったのではないだろうか。

 その後。こうした建物は広島の美観を損なうと言うことで強制撤去となり、近くに大きな市営

アパートが建ち並ぶことになった。

 先日、モンゴル奥地を訪ね歩く巡回映画の事をNHKのBSハイビジョンで放映していた。取材

先は僻地の事とて娯楽らしい娯楽はほとんどないところだった。たった年に一度だけ巡回して

くる移動映画が、小さな集落の住民にとって最大の喜びとなっている。

 むろん映画を上映できるよな建物とてない貧しい集落である。屋外にスクリーンを張り、これに

映画を映す。カタ、カタ、カタ、カタというリールの音と伴に劇映画が映し出される。多くは中国

から来た映画のようであった。

 巡回の旅は厳しい。途中で親方が病気になってしまう。仕方なく助手の少年が習い覚えの

上映を試みる。失敗しつつも上映を終わった少年は大きく成長した自分自身を自覚する。

しかし、巡回映画は肉体だけが厳しいのではない。親方は、家族と離れて暮らすことが多く

離婚してしまっていた。

 親方の親方は、そんな生き方を捨てて巡回先で知り合った女性と恋に落ち、村にいついて

しまった。少年の心は揺らぐ。しかし、習い覚えたばかりの映写機の操作を捨てきれなかった。

親方と同じように当分は巡回映画を続けていくつもりなのだ。

 これと良く似た夏の思い出は中学校の校庭で野外映画を観たことではないだろうか。私も

耳元でカタカタ鳴っていたフィルムのリールの音を忘れない。そして、映写機から洩れてくる

アーク灯の強烈な光りと、もくもくと上がるアーク灯の煙を、そして何よりも映写機から放たれる

放射状に広がった光りの中で、もうもうと舞う綿埃の様子を今も鮮やかに思い出すのである。

 映画少年は他の子供達が映画一本で頭が痛いと言っていたのに、何本見ても平気だった。

いつまでもいつまでも観ていたい。そんな思いをいつも抱いていた。今日は映画鑑賞の日だと

いう日は朝から落ち着かなかった。心がいつもになく浮き浮きしていた。映画を観ている間は

いやなことも全て忘れている事が出来た。

 映画遍歴は学校を卒業し社会人になっても変わらなかった。夜勤明けの日には寮に帰ると

一睡もすることなく街の映画館に行っていた。それでも途中で眠くなるような事はなかった。

そして、家にはついにスクリーンまで設置してミニシアターまで作ってしまった。映画好きは今も

脈々と続いている。

 そんな映画好きの延長線上にあったのが、昨年の岡山映画祭での「にわか活弁士」としての

講演であった。練習中、何度もパートナーの家内と喧嘩をしながら当日に臨んだ。

 リハーサルを行うと、映画の上映スピードが練習をしてきたテープと会場で上映されるフィルム

とでは大きく異なることが判明した。大慌てで台本の修正を行い、ぶっつけ本番で活弁を行った。

こうしたハプニングも過ぎ去ってみれば楽しい思い出である。

(この間の詳しい経緯は別ページに掲載しているので読んでいただきたい)

                                             2008年1月14日掲載


掲載文中の映画紹介

ターザン
http://www.meisakucinema.com/catalog/product_info.php?cPath=1_6&products_id=62

標高八、一二五メートル マナスルに立つ
http://www.walkerplus.com/movie/kinejun/index.cgi?ctl=each&id=25003

名もなく貧しく美しく
http://www.cinema-today.net/0304/13p.html

喜びも悲しみも幾年月
http://www.cinema-today.net/0507/10p.html

怒りの孤島
http://www.geocities.jp/showahistory/history03/23h.html

裸の島
http://www.cinema-today.net/0406/29p.html

ゴジラ
http://www.cinema-today.net/0411/16p.html

小判鮫 お役者仁義
http://www.walkerplus.com/movie/kinejun/index.cgi?ctl=each&id=21829

原爆の子
http://www.cinema-today.net/0608/09p.html

戦艦大和
http://blog.goo.ne.jp/langberg/e/0259c5496369798eea09011a3d5e29f9

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