大型量販店が次々と作られてゆく中、小さな商店は店じまいを余儀なくされている。

地方の小さな市や町では、郊外に進出してきた大型店に客を奪われて、閑古鳥が鳴いている等と言った話を聞いたり

地方紙に取り上げられたりすると、ああ又ここもかと寂しくなってしまう。

私の旅行の楽しみは、名所旧跡を見て回ったり美しい景色を観賞したりすることにあるが、もう一つの楽しみは

旅行先の下町を歩いてみることにある。大都会の下町、地方都市の下町、いずれにも共通する味わいがある。

そこには大型店では感じられない人間的な温かさを感じるからであろうか。そこに住んでいる人達一人一人の生活が

息づいているような感じがするからだ。

私の住んでいる児島にも昔はそんな通りがあった。地元の人が味野商店街と言って慣れ親しんできた通りだ。

狭い路地を挟んで小さな店が軒を連ねていた。映画館もあった。近くにはたばこ屋もあった。お汁粉屋もあった。

佃煮屋もあった。呉服屋も洋品店もあった。そして小さな医院もあった。

この商店街も瀬戸大橋が開通し児島駅が出来てからすっかり変わってしまった。あるものは駅前に新しく出来た

商店街に出てしまい、あるいは大型店のテナントになってしまった。わずかに残った商店も客足が遠のくに連れて

一軒又一軒と店を閉めていった。今は人通りの全く途絶えてしまった商店街がひっそりと残っている。

一方、駅前に出ていった店も駅とはあまりにもかけ離れており、乗降客もわざわざ遠回りしようとは思わない。

これでやっていけるのだろうかと思うくらい平日の昼間はひっそりとしている。

この町から小さな商店街が消えてしまったのである。

岡山に奉還町商店街がある。奉還町とはいかにも古めかしい名前だが明治政府になって武士が刀を放棄し、

城を離れることになったとき、武士達の授産事業として始まったのが、この商店街の生い立ちだと聞いている。

従って、大政奉還の奉還を取って奉還町と名付けたとの事だ。この町には味わい深い地方都市の下町の景色が

残っている。私は時間さえあれば、この通りを歩いてみる。さすがに人通りは少ないが各商店にはおじさんや

おばさんが店番をしており、値札のついた売り棚が通りの際まで進出している。

天ぷら屋さんの店先からはぷーんと空揚げのいい匂いが漂ってくる。魚屋さんの店からは生臭い魚の臭いが

している。花屋さんの店先には赤白黄色と言った季節の花が並べられ、良い香りが漂っている。

何となく心落ち着く庶民の生活の味わいがある。しかし、店番をしている人たちは圧倒的に高齢者が多い。

若い人が少ない。後継者達はどうしているのだろう。この人達がリタイヤしてしまったら店は閉めてしまうのだろうか。

最早、店の収入だけでは生活していけなくなっているのだ。時代の流れとは言え、いかにも寂しいことだ。

便利にはなったが画一的な大型店には庶民の味わいや店を見て回る楽しみはない。人と触れあう喜びもない。

最近、何々市というのを良く耳にする。これらが賑わうのは何故だろう。安いと言うこともあるだろう。しかし、理由の

多くは人と人との触れあいや温もりがあるからではないだろうか。

私達は無意識にそういう触れあいを求めているように思う。

大阪に黒門町と言う通りがある。有名な通りだ。ここには大阪人の胃袋と言われるくらい、食料関係の店が軒を連ねている。

さすがにこの通りだけは平日でも賑わっている。私のような旅行者は何を買うという当てもないのだが、ぶらぶら

するのが何となく楽しい。

近鉄の鶴橋駅周辺には朝鮮系の店がひしめいている。何とも言えない食べ物の臭いと、肉屋さんの店先には豚の

顔の部分が置いてあったりして、ぎょっとさせられたりするが、何となく親しみ易さと温かさが感じられる。

恐らくはどこの町にもその町で生活をしてきた人々の生活を支えてきたこうした商店街があるに違いない。

しかし、再三書いているようにこれらの商店街が軒並み危機に陥っている。それは大型店がどんどんお客を取って

しまうからだ。夏の風物詩のようになっていた土曜夜市も活気のない寂しいものになってしまった。

地方から方言がなくなっていくように、又古きよき時代が一つ消えていくような気がしてならない。

                                                 2000年7月22日掲載

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