信用があるから成り立つ社会

 先日こんな事がありました。テレビの地上波デジタル化に伴い受信機の調整に総務大臣の

指定を受けたという業者が来たのです。この業者は私達の旅行中にも来たらしく、不在であった

ため電話をして欲しと言う趣旨の印刷物が置いてありました。不審に思いながら電話をすると、

児島地区を回っているという業者が電話口に出てきました。要領を得ない説明だったのですが、

どうやらテレビの地上波デジタル化に伴う工事をしているのでお宅を訪問したいという話でした。

何かしら胡散臭い感じもしましたが悪質な業者ではないような感じでした。しかし、我が家は

倉敷ケーブルテレビに加入しているので、その必要性はないと断りました。相手もケーブル

テレビに加入していると聞いて納得したようでした。

 その後、何日か過ぎて私達夫婦が畑から帰ってみると、この業者が家内の母のところへ来て

いました。今、テレビの調整を終わったというところでした。終わったという事を確認するために

所定の用紙に住所氏名を書いて三文判でも良いから押して欲しいと言われ、どうしたら良いか

あんた達に相談しようと思っていたところだと心細げな顔をしているのです。私が業者からの

説明を聞き、まあ問題はないだろうと言うことで書面に判を押して返しました。

 この業者の話だと隣の家では断られたとの事でした。昨今、あまりにも高齢者を狙った詐欺

事件が多いからか、みんな警戒をしているのです。特に名前を書いたり判を押したりすること

には注意深くなっているのです。

 私達が子供だった頃には考えられなかった事です。それどころか、地域経済はすべて信用

で成り立っていたのです。子供の頃には各家庭に買い掛け帳なるものがありました。これは

地元で買い物をしたとき現金のやりとりはせず、その代わり帳面に買ったものとその金額を

書いて貰うのです。そして、定期的に催促が来てそれまで付けで買ったものの代金を支払うと

いうシステムでした。集金にはお盆の前とか大晦日が多かったような気がします。その習慣は

江戸時代からあったようで、落語などにもそのネタが使われています。

 また、その名残からかお葬式の道具一式の中には買い物帳なるものがあります。一般的に

お葬式は近所の人が出してくれます。そのため現金を扱うことが出来ません。従って、お葬式

に必要なものは近所の人が代理で買ってくれます。その際、現金を預かることなく、この帳面

に買ったものを書いて貰うのです。そして、後日葬式を出した家の者が支払いに行くという

システムです。

 余談になりましたが、こういったシステムは信用なくしては出来ないことです。今でも商売には

手形というものが使われています。また、小切手というものもあります。これらもすべてお互い

の信頼関係抜きには成り立たないものです。また、保証人という制度も同じ事です。この世の

中すべてと言って良いほど信頼関係があればこそ成り立っているのです。その信頼関係が

壊れてしまったらどうなるのでしょう。今まで作り上げてきたシステムのすべてを白紙に戻さ

なくてはなりません。

 「おれおれ詐欺」や「キャッシュカード」の悪用による他人の預金口座からの引き落としや

「ワンクリック」というアダルトサイトなどの巧妙な詐欺は、これら信用で成り立っている社会に

背く行為です。私は彼らにわずかながらも良心があるのならば今すぐやめて貰いたいと思って

います。そのことは自分の良心を傷つけるだけでなく、いつかは自分にも跳ね返って来ること

なのです。

 一時は成功したかに見えるこれらの犯罪は、いつかは必ず裁かれる事になるのです。詐欺

などと言う安易な方法に頼るのではなく自分の力で稼ぎなさいと言いたいのです。

 ともあれ、先日の事を振り返ってみると業者の人も大変やりづらい時代になったと思います。

業者の人は何度となく疑いの目で見られたらしく卑屈に見えるくらい丁寧な説明をしてくれま

した。しかし、大半の人は「地上波デジタル」と聞いても何の事やらさっぱり分からず、かえって

混乱するばかりです。それがまた疑いの目で見られるという原因にもなっているのです。

とにかく気の毒としか言いようがありませんでした。

                                   2005年2月25日掲載

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