光陰矢の如しとは言いますが、実にあわただしく時が流れてゆきます。

様々な事件や大事故のニュースも一ヵ月もすれば色褪せて見える程のめまぐるしい変化です。

最近の事件や事故などの事を考えるとき、その主人公である人間の生き様について考えさせられてしまうような

事が少なくありません。いったい人間とは何だろう。いったい人間は何故こんな事をしでかしてしまうのだろう。

人の生き様は二千の昔も三千の昔も全く変わってはいないのではないだろうか。人の世の進歩とは何なのだろうか。

考えれば考えるほど限りなく疑問が湧いてきます。

そう言う私自身も我と我が身を恨めしく思うようなことも度々あります。その度に自分とはいったい何なのだろう、

何のためにこの世に存在しているのだろう。何のために生きているのだろう等と、次々に疑問が湧いてきます。

あれこれと思い悩み、我と我が身を苦しめている自分自身を眺めていて、もっとおおらかに、自由にのびのびと生き

ることは出来ないのだろうか。何度も繰り返し考えてしまいす。

人という字は一本の棒をもう一本の棒で支えているように見えます。人間は決して一人では生きていけません。

当たり前のことなのですが、自分が得意の絶頂期にあるときには、案外見過ごしていることではないでしょうか。

ガイアと言う言葉を聞かれたことがあるでしょうか。最近の環境問題を考える時、ガイアという言葉を使って地球全体

を表現しています。本来ガイアと言うのはギリシヤ神話の中に出てくる、この世に存在する全てのものを作った神だ

と言われています。そんな事から地球環境を考える時、ガイアと言う表現を使うのかも知れません。

地球上に存在する全てのものは一種の運命共同体のようなものです。地球を人間に例えますと、人間の体に一つも

無駄な部分がないように、地球にも無駄なものは何一つないのです。人間の身体を形作る細胞のように、地球上に

存在するものも全てのものが巧みに支え合い、微妙なバランスの中で生きているのです。

その中の何か一つでも欠けたり、異物が進入すると、必ずどこかにそのひずみが出てきます。それは環境汚染であり

CO2の問題であったり、オゾンホールの問題であったりします。

人間社会についても同じ事が言えるのではないでしょうか。お互いが存在するから家族が構成され、社会が出来上

がっているのです。政治家も大会社の社長さんも国民がおり、社員がいるから自らの存在があるのです。

お百姓さんがいてくれるから私達は飢えることなく生きてゆけるのです。このように、私達はお互いに多くの人達の

支えの中で共に生きているのです。しかし、人は誰でも絶頂期にある時や、頂点に上り詰めた時、この当たり前のこと

をついつい忘れてしまうのです。自分だけは特別な人間で、あたかも選ばれたものであるかのように錯覚してしまいます。

しかし人生、絶頂期は長くは続きません。やがては奈落の底に落ちてしまうような時が来ます。必ず来ます。それは

人間の持つ宿命のようなものなのです。従って、私達は常日頃からよほど我と我が身を抑えて、謙虚に生きなければ

ならないと思うのです。

「生きているのではなく生かされている。人の生涯は目に見えぬ存在によって試されている」。そんな風に考えると、

いい加減な生き方も、おごった考え方も生き方も出来なくなります。周りの人と共に生きることが、どんなに大切な事

かが分かるようになるはずです。

かつて栄耀栄華を誇った藤原一族も平清盛も信長も秀吉もこの世から消えてゆきました。栄華を誇れば誇るほど

その末路は哀れで寂しいものです。「般若心経」は繰り返し人の生きるべき姿を教え諭しています。決して死者を

弔うお経ではないのです。現世に生きるものこそ、その教えを十分学習すべきものなのです。欲がなくては生きて

ゆけないけれど、さりとて欲に走り過ぎれば必ずその反動は生じて来ます。欲にとらわれず、欲と同居しながら淡々と

生きていくことの何と難しいことでしょうか。全ての出来事を風のように受け流して生きてゆけたらどんなにか気が楽

だと思うのですが、凡人の私達にはなかなか出来ないことです。

この地球上に誕生して以来、自然に対し横暴を極めてきた人間共は、自らのかけがえのないこの地球をも破壊して

しまおうとしています。ヨーロッパの産業革命以来、唯物的な西洋思想の中で、限りない自然破壊と資源の浪費に

よる発展を続けて来ました。資本主義経済という魔物に取りつかれ、消費なくしては進歩発展があり得ないという奇妙

な構図の中で、限りなく資源を浪費し、自然破壊を引き起こし、最早取り返しの付かない状況にまで立ち至ってしまいました。

私達は次の世代の子供達に自信を持ってこの地球を引き渡して行ける状況でしょうか。

いまこそ進歩とは何か、人類の進歩発展とは何なのかを、厳しく問い直してみる時代になっているような気がするのです。

地球と共に生きる。自分達も地球に存在する生き物の一つとして、生きさせて貰っているのだという謙虚な気持ちが

必要なのではないでしょうか。

そのためには資本主義とその経済のあり方が果たして正しいのか、発展はなくとも現状維持で良いのではないだろうか。

もう少し生活水準を落としてでも住みやすい生活環境は取り戻せないのだろうか。

いま真剣に問い直してみるべき時代だと思います。それには私達自身が考え方を変える以外にはありません。

「般若心経」中には人間のあるべき姿と自然との関わり方の神髄を書き表しています。それは資本主義経済を至上

主義とした今の世のありようと、真向こうから対峙する優れて大きな思想です。

長く暑い夏がやっと終わりました。夏を持ち越しやっと書き終えた感じがします。しかし、読み返してみると、何か

物足りない感じがします。しかし、今の私にはここまでしか書くことが出来ません。浅学非才を恥じるばかりです。

機会があれば更に少しずつ書き足してゆきたいと考えています。

                                  『何事も我が心にあり、人の道』  勝利

                                                2000年9月16日掲載

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