瀬戸内海国立公園

 瀬戸内海国立公園は、今年、指定70周年を迎える。瀬戸内海国立公園は、日本で一番早く(昭和9年)

国立公園としての指定を受けた地域である。瀬戸内海国立公園は瀬戸内海沿岸に広く広がっている。

 その中心に当たりに位置するのが、私の住んでいる地元児島にある鷲羽山である。鷲羽山は、風化

花崗岩の露出する海抜133メートルの小さな山である。児島湾を挟んで向かい側には王子ヶ岳がある。

そして対岸の坂出には五色台がある。王子ヶ岳も鷲羽山に似て、大きな花崗岩が露出し、奇観を呈して

いる。

 鷲羽山や王子ヶ岳は、何度も山火事に遭っている。その度に木々が燃え尽きて、今のような姿になって

いる。表土が薄く、地味の痩せた山なので立派な木は育たない。代表的なものは、松でありウバメガシなど

の雑木である。

 私が子供の頃、隣の染工場のバス旅行で鷲羽山へ来た事があった。この時は、背の低い松が点々として

いるだけで、ほとんど、はげ山に近い状態だった。何故、この山が国立公園なのだろうと疑問に思っていた。

しかし、国立公園の対象となっていたのは、この山ではなく、瀬戸内海と海に点在する島の織りなす風景で

あった。その事を教えて貰ったのは、私がパークボランティアになってからの事であった。そして、瀬戸内海

国立公園というのは、島に暮らす人々や沿岸で暮らす人の家や船など全てを含んでいるとの事だった。

国立公園とは公園の中にある全てが景観の対象となっているのである。

    

人工の美である瀬戸大橋と自然の美である島と海の織りなす景色は他に類を見ない景観だと言えよう。

鷲羽山自体はさして美しいとは言えない。何年か前の山火事によって見事なまでの岩だらけの禿げ山になってしまった。

    

下津井「田の浦」にある下津井瀬戸大橋の第一橋脚、実に巨大な人工物だ。

そして櫃石島との間に架かっている下津井瀬戸大橋

    

日は西に傾き、逆光の中に広がる人々の営みの場所、これがかつて北前船で賑わった下津井港である。

町に一歩足を踏み入れると背後に迫る山に向かって急な坂道が迷路のように走っている。

 昔から鷲羽山周辺を漁師部落が取り囲んでいる。下津井周辺や沖合の海は豊かな漁場となっている。専業

の漁師が少なくなったとは言え、多くの人が漁業に従事している。漁師町は、どこも同じように狭い路地と軒を

接するように家々が建ち並んでいる。下津井も海に面した狭い斜面に張り付くように家が建っている。

 海抜133メートルの山頂に立つと360度の景観がある。かつては背の低かった松も今は見上げるような

大木になっている。そのため、一方の側は、ほとんど見えなくなってしまった。私がパークボランティアをして

いた頃、これらの木々を切ってしまおうという話があった。しかし、自然を守るという建前から切る事は出来

なかった。従って、今は切り倒すのではなく、先端部を飛ばす事にとどめている。しかし、先の山火事で、その

必要性はなくなってしまった。多くの木々が燃えてしまったからだ。

    

砂漠をも連想させるような風化花崗岩の地面が広がって、一種異様な景観を作りだしている。

山火事は松枯れの被害が広がり始めた松林を焼き尽くした。そして、焼け残った松の根株のみが点在している。

    

ビジターセンターからの展望、前面の景観を遮っていた松が燃えてしまったため見晴らしが良くなった。実に皮肉なものである。

急斜面の真下には瀬戸内海の穏やかな海が広がり、目の前には通称「鯨島」がある。(堅場島という)

    

山火事の後、植林も考えられたが、専門家のアドバイスもあって自然回復に任された。

風化した花崗岩の岩肌には、痩せ地を好む松が根を下ろし、見事なまでの回復を見せている。

 その山頂は、鐘秀峰と呼ばれている。命名したのは文豪の徳富蘇峰先生だ。先生が、この地を訪れた時

(昭和6年)、その景観の素晴らしさに感動して、この名前を付けたと言われている。ちなみに先生が、この地

を訪れた事を記念した石碑が建てられている。石碑は瀬戸大橋の入り口であるトンネルの真上にある。あまり

知られていない場所だが、下津井瀬戸大橋が真正面に見える素晴らしい場所だ。何故、こんなところにと思う

のだが、かつては、こちらが主要ルートとなっていた。下津井電鉄が鷲羽山への交通手段であった頃の話だ。

駅から山頂に至る道の脇には大きな桜の木が立っている。人の行き来が少なくなった今、多くの桜が枯れ

かけている。

    

かつて下津井電鉄が主要な交通機関であった頃は、この道が山頂に向かう道であった。

今は逆コースとなっている。

    

道のほとりには可憐な藤が花開いていた。そして脇道に入ると、その先には素晴らしい展望が待っている。

途中にある古墳の跡、すでに原型をとどめないほど壊されているが、わずかに石室に使われた石が残っている。

この道を下ると、かつての下津井電鉄の「鷲羽山駅」があった。

    

道の途中に開けたところがあり、そこから下津井瀬戸大橋が見下ろせる。

その先の広場には、徳富蘇峰先生が鷲羽山山頂に名付けられた「鐘秀峰」という巨大な石碑が建っている。

そばには、あづまやが建てられていて休憩が出来るようになっている。

    

先の石碑がある広場からは眼下に下津井瀬戸大橋が見える。ここからの景観は実に雄大だ。

この広場の直下には鷲羽山をくりぬいて作った四つ目のトンネルがある。

 鷲羽山の素晴らしさは133メートルという高さにある。山の中腹にレストハウスがあるのだが、ここからだと

多島美を十分味わう事は出来ない。島と島とが重なってしまうからだ。133メートルの山頂に立つと景色は

一変する。島の重なりはなくなり、まるで箱庭を見ているような景観に一変するからだ。確かに徳富先生が

鐘秀峰と名付けた理由が良く分かる。

 山頂は大きな風化花崗岩が露出している。彼の有名な歌人である与謝野鉄幹・晶子夫妻が、この地を

訪れた時(昭和8年)、岩の形が本を積み重ねたように見えたことから万巻台と名付けた。今は木々に

覆われて岩の様子は良く分からない。離れてみると、わずかながら、そのようにも見えなくもない。

   

逆光の中で眺める瀬戸内海の景色も良い。そして、更に日が西に傾くとこの当たり一面が夕焼けに染まる。

瀬戸内海の雄大な景色は鷲羽山の山頂からしか味わえない。

山頂の133メートルという高さから見下ろすと島同士が重なり合う事はない。まるで箱庭のような眺めだ。

    

この日は、あいにく四国は霞のベールに包まれていた。晴れていると遠く石鎚山まで見えることがある。

    

上の写真と見比べて欲しい。この写真は下のレストハウスのところから眺めた景色だ。

全ての島が重なり合って平面的な景色になってしまっている。

山頂からの展望でなければ瀬戸内海の美しさは味わえない。

 山頂近くには、ビジターセンターがある。この中には、鷲羽山周辺の動植物や瀬戸内海の海底から引き上げ

られたナウマン象やシカ等の骨が展示されている。また、この山の周辺には古くから人が住み着いていたらしく、

彼らが狩猟に使った石器なども出土している。山頂から少し下ると古墳がある。既に壊れてしまっており原型

をとどめてはいない。わずかながら石室に使われていたと思われる石が散乱している。これらは、製塩で富を

築いた豪族達のものではないかと言われている。従って、鷲羽山周辺や向かい側の櫃石島等からは、製塩に

使われたと思われる土器がたくさん出土している。ビジターセンターの中には、これら出土品などがたくさん

展示されている。

    

有名な人が作った川柳だが、鷲羽山から見下ろした瀬戸内海の美しさを実に面白く表現している。

(この歌碑も先の山火事で無惨なまでに焼けてしまった。新たに建てられたのではないだろうか)

下の方には多くの観光客でにぎわう鷲羽山レストハウスが見えている。その向こうの島は釜島であろうか。

    

鷲羽山ビジターセンターの中へ入ると、展示品の数は少ないが動植物をはじめ色んなものが展示されている。

数少ない山ツツジだが短い春の終わりを彩り花開いていた。

      

山の中腹に焼け残った松が一本だけ立っている。

ビジターセンターの裏にも道がある。この道を下りていくとこんな石碑が建っている。

この石碑には下津井節の一節が刻まれている。

 山火事で焼けた山にもわずかながら緑が蘇りつつある。鷲羽山は、昔の姿を取り戻しつつあるが、近年、

観光客は著しく減ってしまった。そして、瀬戸大橋ブームも去ってしまった。しかし、絵のように美しい多島美と、

それらを取り囲む海の美しさは、このまま眠らせておくにはもったいない景色である。特に穏やかなお天気の

早朝や夕まぐれの景色は、例えようもなく美しい。多くの皆さんに知って貰いたい素晴らしい景色である。

    

瀬戸内海国立公園指定70周年だからというのではないだろうが、鷲羽山の入口はきれいに整備されていた。

入口近くの藤棚も藤の花が満開だった。これは入口近くの山に自生していた藤である。

    

レストハウスの裏側は焼け残った松が鬱そうと茂った林になっている。

この当たりまで下りてくると近くにある久須美鼻の灯台も間近に見える。

                                                 2004年4月19日掲載

今の世を生きるのコーナーに戻る

ホームへ戻る