このコーナーでは私の日頃考えていること、ふと感じた事などを思いつくまま書いていきたいと思っています。

従って私の独断と偏見の部分も多々あると思います。もちろん私と異なる意見の人も大勢おられると思いますが、

そういう方のご意見やお叱りも戴きたいと思っています。記載内容は、逐次付け加えたり、修正をしています。

                                                1999年6月26日


通信傍受法案雑感

いつの間にか、この国は公然と個人のプライバシーを侵すような国になってしまったのだろうか。

先の国会で案外すんなりと、大した論議のないままに、この法案は衆議院を通過してしまった。

警察や国家公安委員会は、今までにもなんだかんだと口実をつけながら、この種の活動を行ってきた。

しかし、この法案が成立してしまうと、半ば公然と、その活動が出来るようになるわけで、個人のプライバシー等

は、あってなきがごとしになってしまう。古い話だが、平清盛の時代に子供を使って人々の間での清盛や

清盛の一族の悪口を言っているものを探らせては、牢へつなぐことによって権力を維持したように

時の権力者は延命のために同じようなことを繰り返し行ってきた。

それでも権力を維持することは出来ず、自ら崩壊していったことは、洋の東西を問わず歴史が証明している。

目的はいざ知らず、法律が出来てしまうと、作ったときのいきさつは忘れられて目的外の事に乱用されてしまう事になる。

ましてや本来の目的が、もっと別のところにあって作ったとしたら始末が悪い。

通信傍受法案、国会をごり押しで通過!!

通信傍受法案が半ばごり押しの形で国会を通過してしまった。組織犯罪を取り締まるためとは言いながら,法律は

作ってしまうと作ったときの目的とは異なった方向に一人歩きを始めてしまう。アメリカは早くから、おとり捜査や

盗聴と云った手段を捜査に取り入れている。だからといって日本も右へ倣えというわけにはいかない。

日本において懸念されるのは,組織犯罪捜査よりは公安捜査に悪用されかねないからだ。公安警察は今までにも

盗聴捜査を行い、それがばれると臆面もなく,しらを通し続けてきたし、これからは公然とやりかねない危険性を持っている。

そのことは我々民間人のみならず、当の法律を作った政治家自身さえも例外ではない。

アメリカのCIAがケネディ暗殺に一役買っていたのではないかという話は、事件当時から真実味のある話として、

今日まで伝わっている。かのアメリカの大統領さえも闇の力には無力に近かった。政治家とて当然公安当局の

傍聴対象の埒外ではない。常に自分たちの知らないところで監視され、政治的な動きも私生活に関する

後ろめたい部分も、盗聴の対象になりかねないのだ。そんな国が愛すべき、住み易い国家と言えるのだろうか。

すべての事が日本の先をゆくアメリカにおいても、やはり個人のプライバシー保護という観点から通信傍受を

始めとするスパイ行為が問題になっているようだ。先日見たビデオはこの種の問題をテーマにした映画であった。

何事によらずドライな割り切り方をするアメリカでさえ問題になっていることを何故今日本でもやらなければ

ならないのか私には理解しかねる。                          2000年1月30日追記

日本の政治にもの申す

こんな所から声を張り上げても所詮犬の遠吠えかもしれませんが、それでも何か言わずにはおれない心境です。

長引く不況の中、民間企業では盛んにリストラという名の人員削減が行われています。

景気が良い時なら、いくらでも再就職口はあるのでしょうが、こう社会全体が悪い中、おいそれと就職口が見つかる

とも思えません。ましてや我々のような高齢者にとっては、裸で冬空の下に放り出されるようなものです。

勝手に死になさいと言うことと同じ事です。すべての責任が政治あるとは言わないまでも、こういう時にこそ政治の

力が発揮されてしかるべきだと思うのですが。

貸出金利が下がると共に預金金利も連動して下がるとか。なけなしの金を何かあった時のためにと貯めていても

目減りするばかりで何のための貯金かわかりません。だからといって使ってしまおう等とは考えません。

ことさら財布の紐は堅くなるばかりです。その上に年金制度のさらなる後退。老後のことを考えると不安でいっぱい

です。そうなれば更に出ていくものを押さえて貯金に走ります。

政府はこんな国民感情を理解しているのでしょうか。私には全くわかっていないように思えて仕方ないのですが。

どうも世の中の景気とというものはアメリカのみならず日本も株価と密接に連動しているようですから、

株価も上昇し銀行の貸しぶりも解消し、わずかながらも金回りが良くなれば突破口も見えてくるのでは

ないかと思います。今なを不透明な経済に少しでも日が射すように願わずにはいられません。

ところで、日本人は我慢の国民です。政府に文句を言う前に何とか自分で解決しようと考えてしまいます。

今までいくら言っても何もしてくれない政府に対するあきらめが、こういった習慣を作ってしまったのでしょうか。

悲しい性としか言いようがありません。政治家達にとってこんな楽な国はないでしょう。

それでは本当に、このままで良いのでしょうか。もはや個人レベルで何とかなるという限界を越えているのでは

ないでしょうか。もっと政治に目を向けて、私たちの近未来のことを真剣に考えてみたいものです。

情報公開に思う

私の父や母の青年時代は暗く重苦しい戦争の時代でした。

あるものは赤紙で戦場へ、あるものは勤労動員で工場へ。ろくなものも口に出来ない状態で青春時代を過ごして

きました。それでも文句一つ言わず、ただ戦争に勝つことだけを至上命令にして。

いったい何がこうさせたのでしょうか。正確な事は何も知らされず、歪曲化された情報を正しいことと信じ続けて

来たのです。その結果は実に惨めなものでした。たとえ戦争に勝っていたとしても国民にとって、その結果は

もっと悲惨なものであったに違いありません。

正しい情報を知るという事は自分にとって正しい判断が出来ると言うことです。たとえそれが結果的に裏目に

出たとしてもあきらめがつきます。何も知らされず勝手に踊らされることほど惨めなものはありません。

私たちの父や母は望みもしない戦争に動員され、あるものは命を落とし、あるものは人生を狂わされてしまいました。

今の時代、戦争こそ目の前にはありませんが、目の当たりにした時、そんなことがと思うようなことを知らぬ間に

というより知らされないままにいるということはないのでしょうか。

私たちは政治家や行政にすべてをゆだねるのではなく、知る権利をもっと主張しても良いのではないでしょうか。

自己の確立を

人が左と言えば左、右と言えば右、日本人の悪いところは自分というものを主張しないところだと言われています。

街に出て思うのは若者のファッションが非常に画一的だと言うことです。茶髪がはやれば、我も我もと茶髪。

ルーズソックスが流行れば日本全国みんなルーズソックス。そこの厚い靴が流行れば我も我もと同じ様な靴に、

短いスカートが流行れば、これ以上はと思うほどの丈の短いスカート。

確かにファッションなどでは何らかの世界的な流行はあるにはあるけれど、先年、アメリカでみてきた若者の

ファッションは個性的で自己主張があったように思います。自己主張とは言わないまでも周りにとらわれない

自由さがあったように思います。

日本人は子供の頃から制服を強いられその習慣に慣れ親しんでいるところにも、その原因ががあるように思います。

でも、それだけでしょうか。出る釘は打たれると言いますが、人の影にいて人の意見に合わせていさえすれば

波風は立たない。そんな事からだんだんに自分を押さえることが、あたかも美徳のように誤解されているような面が

あります。ルーズソックスも仲間達から違う人間にみられたくないという異端視されることをおそれる心理的なものが

あるのではないでしょうか。

奇妙なことに、先の和歌山の毒入りカレー事件の後数ヶ月同じ様な毒物事件が相次ぎました。

こんな事件まで個性がないといったらしかられるでしょうか。体制に流されることなく自分の主張や考えを持ち

それをみんなの前で述べる。そんな何でもないようなことが、これからの国際化社会の中では必要な事だと思います。

人がそういうから何となく自分もそうするとか、こんな事を言ったら誰かに何かいわれはしないかなどとは考えずに

堂々と自分の意見を述べるようにしたいものです。

そしてファッションや生活習慣にももっと自己を主張して個性あふれる自分を作ってもらいたいと思っています。

自分は自分、世界中にたった一人しかいないのですから。

はき違えていけないのは自己を主張することと、自我を通す事や独りよがりな行動をとることとは違います。

自己を主張するには相手の言うことを良く聞くことも大切な事です。人とのコミュニケーションがあって初めて

自己を主張する事が成り立つのです。


吉野川可動堰建設に思う

部外者がどうのこうのと言うべき事ではないかもしれませんが、自然に手を加えることは後戻り出来なくなると

言うことです。岡山県には笠岡湾を埋め立てて造成した広大な荒れ地があります。

お米の増産を目的で埋め立てられた、この干拓地は完成を待たずに米余り現象のために

半ば放置されています。高い土地の購入費まで払って入植する人はいないのです。

埋め立て前まで、ここは豊かな海の幸に恵まれた土地でした。

そして、金浦湾という、この場所は国の天然記念物「カブトガニ」の数少ない生息地です。

今は埋め残されたわずかな場所に壊滅寸前の状態で、かろうじて人間の手によって

わずかな個体が生き残っているだけです。生きている化石と言われるカブトガニの姿を見ることが

出来るのは、もはや時間の問題かもしれません。

諫早湾の堤防締め切り工事、宍道湖の淡水化工事等々、長良川河口堰等、国が行ってきた自然破壊は

数え上げればきりがありません。地元には地元それぞれの利害関係があるのでしょうが、

いったん壊してしまったものは容易に元には戻せないということです。後世の者たちのことを考えるときに、

私たちが勝手に自然を壊す権利があるのでしょうか。今一度、一歩踏み出す前に考えてみたいことです。

住民投票が決まった吉野川可動堰問題

やっと、徳島市議会では可動堰建設の可否を巡って、住民投票を行おうということが、市議会で決まったそうです。

ともあれ、建設反対運動に取り組んでこられた人にとっては、一歩前進と言えるかもしれません。

(その後ご存じのように住民投票は反対票が圧倒的に多く、建設大臣すらこの結果を無視するわけには

いかなくなりました。ねばり強く反対運動をしてきた住民の勝利と言うことになります。)

岡山県でも、和気町に建設を予定していたゴミ処理場の建設の可否を巡って国の審査を仰いでいましたが、

このほど不許可の審査結果が決まりました。しかし、すべては、これで終わった訳ではなく

建設業者は計画を見直して、また審査を受けると言っています。いずれにせよ、これからも長く厳しい

反対運動を続けなければならないようです。

しかし、一方では自然を守ろうという考え方が、国民の間に徐々に広がり始めています。

いったん失ってしまった自然を取り返すことは、容易なことではなく、最近になって、自然と共生していくことを言い始めた学者もいます。

そんな動きに対して国も地方自治体も、やっと重い腰を上げようとしています。

メダカの住む環境も蛍の住む環境もカエルやトンボの住む環境も、みんな一緒です。

私達の子供の頃、ついこの間まで、そんな環境は何処にでもあった環境です。

吉野川の河口堰建設反対も、和気町のゴミ処理場建設反対運動も、みんな自然を守ろうという運動です。

住民の明確な意志表示をどう考える!!

吉野川可動堰に関する住民投票は投票率が55パーセントを越え、建設反対票が投票総数の90パーセント以上と

いう圧倒的な票数で住民の意思表示がなされた。

住民投票開始以前から中山建設大臣はこの投票に何かと批判的な発言を繰り返してきたが、この票を突きつけられて

どう考えたであろうか。心中定かではないが、投票結果は尊重するとして以前の発言とは微妙に変化してきた。

しかし、撤回するとか計画の見直しをするとか具体的な事には何も触れていない。

私の地元岡山でも苫田ダムの建設を巡って地元住民と建設省との間に長年に渡って対立があり、反対派も高齢化の

中で次第に切り崩されなし崩しのような形で建設が始まっている。

計画が持ち上がった当時と今日では治水事業にも水資源確保に関する要求の度合いも大きく変化しており今更

そんなものが必要なのかと疑問も感じるのだが。

今、自然保護が叫ばれ河川の果たす役割が見直されつつある中で、川の流れを堰き止めて、これまで以上に河川を

痛めつける権利が私達にあるのだろうか。

すでに良識ある国々ではダム建設を見合わせているという。国の人口が少なくなり、重厚長大の産業にかげりが

見え始め、電力事情にも水資源の確保という観点からも当然見直しがあっても良いのではないだろうか。

建設省は高度経済成長期を背景に莫大な資本を投下して大がかりな国土開発を進めてきた。国土開発とは表向きの

姿であって、本質は自然破壊のなにものでもない。

なるほど道路網は整備され 洪水に対する被害も幾分は減ってきたかに見えるが、一方失ったものも少なくない。

画一的な景観と河川は荒廃し魚さえ住めないような川があちらこちらに出来てきた。

これで本当に良いのだろうか。国家の貴重な財源を大型投資に群がる一部の利権者達にゆだねてはいけない。

自民党政府は私達の子孫に多くの借金を残し、更にまた自然まで奪ってしまおうと言うのだろうか。

                                                    2000年1月30日追記


神戸(市営)空港反対署名を!!

神戸市当局は阪神淡路大震災の傷も癒えぬというのに空港建設を強硬に押し進めようとしています。

建設反対に向けて立ち上がった人達がいます。私も反対の立場から署名をさせて貰いました。

関西空港と目と鼻の先の神戸に今更何で空港が必要なのでしょうか。神戸は昔から港の街です。

下記に反対運動を取り組んでいる会にアクセスできるようにしておきますので、趣旨に賛同できる方は

どうか署名をしてあげて下さい。

ミナトKOBEをこよなく愛する会


インターネットの悪用に思う

インターネットを利用して購入した青酸カリで自殺をしたという事件が世間を騒がしたかと思うと、ネットを利用

した通信販売で金だけ取って注文したものを送らなかったとか、最近インターネットを利用した犯罪のよからぬ

噂をよく耳にします。ほんの一握りの人の心ない行いが、多くの良心的な仲間達の邪魔をしているように

思えてならないのです。知らない者同士だから何をしても良いというのではなく、知らない間柄だからこそ守るべき

ルールをお互いに作って自主規制をすべきではないでしょうか。少なくとも自分の行いが人の迷惑にだけは

ならないようにしたいものです。

相変わらずインターネットがらみの事件が後を絶たないようです。インターネットが決して一部の人のものでは

なくなってきた今日、こういった事件はますます増えてくるのではないかと思います。しかし、インターネットを

比較的早くから始めてきた者としては、後から始めたこうした人達に何となく神聖な場所を踏みにじられているような

気がしてなりません。どうか今一度自分自身のやっている行為を反省して、よりよいインターネットの未来を

作っていきたいものです。                             2000年1月30日追記

宇宙からの飛来物

多くの目撃者があり、写真にまで写していた人がいたという今回の落下物はどうやら隕石の様ですが、

折から映画の世界では終末論と相まって小惑星の落下をテーマにしたものが多いようです。

かくいう私もかって瀬戸内海の笠岡沖に落下したといわれている巨大隕石の落下した瞬間を目撃したものの

一人です。強烈な光は今でも鮮明に覚えています。音こそ会社の騒音で聞き取ることは出来ませんでしたが

夕闇迫る中、溶接の光を何万倍にもしたような強烈な光でした。

その後国立科学博物館の村山さんが来て笠岡沖を何日もかけて探索をしましたが、何も見つかりませんでした。

おそらく海に落下したときに割れてしまったのではないかということでした。

これが映画のように直径1キロもあるようなものだったら、地球は壊滅的な被害を受けることになるのでしょうが

すごかったなあという程度で済んで良かったと思います。

しかしこの広い宇宙を考えればいつ何が落ちてきても不思議はないという気がします。

呼松水路の泡

会社への通勤道路の途中にある呼松の水門を開けて放水をしている。放水の先の方はおびただしい

洗剤の泡で覆われている。この先に住んでいる魚たちはどんな思いでこの洗剤の泡を見ているのだろう。

倉敷市は下水道事業に力を入れている。とは言いながら普及率はさほどではない。

下水道の普及が追いつかないまま、家庭からの汚水の流出量は増え続けている。その結果この有様なのだ。

かって豊かだった瀬戸内海の魚も目に見えて少なくなってきている。確かに工場からの排水は規制が厳しくなって

良くはなったが、家庭からの排水は相変わらずの状態だ。このまま汚染が続けば早晩、瀬戸内海は死の海と

化してしまうのではないかと心配している。少しだけ水の使用量を減らしたり、台所からの排水を少なくしたり、

洗剤を生き物達に優しいものに変えてみたり、個々人で努力すれば出来ることはいっぱいあると思うのだが。

                                                    1999年2月26日

 最近、水門から呼松港へ吐き出される水の泡立ちが顕著に少なくなりました。下水工事が進み水の浄化が確実に

進んでいるようです。しかし、下水工事の普及に頼るだけでなく、私達自身も自然に優しい生活スタイルに転換して

いく必要があるようです。

 その方法は格別難しいものではなくちょっとした気遣いで出来る事がたくさんあるのではないでしょうか。私自身の

自省の念をこめてこれからの環境問題を真剣に考えていきたいと思っています。

                                                    2002年1月14日

もくじ3 人作りへ戻る

ホームへ戻る