里山と私達

 近年になって、ことさらのように里山について取り上げられるようになったのは何故だろうか。そもそも里山とは

何を指しているのだろう。色んな定義があるようだが、難しい事はともかく数十年前までは私達の生活にとって

欠くことの出来ない場所であったことには間違いないようだ。

 石油コンロやガスコンロ等というものが普及するまでは竈で煮炊きをしたり、七輪が生活必需品であった。そして

暖房はと言えば大半は火鉢であり、田舎ではいろり等であった。それらには炭が必要であり、薪が必要であった。

そんな炭や薪を得るには広大な雑木林が必要であった。私も子供の頃、近くの山に焚き物を取りに行っていた。

その頃は子供も貴重な働き手であった。小枝や松葉を集めては目籠に入れたり、束にしたものを背に負って山を

下りたものであった。また、古くは落ち葉も貴重な堆肥の原料であったようだ。人間や家畜の糞尿が肥料であり、

落ち葉や藁を積んで堆肥にしたものが肥料であった。化学肥料なるものが普及する以前のことであった。

 このように村は里山に色んな意味で依存しながら生きてきた。鎮守の森があり、段々畑や田圃があり、小川が

流れ、里山が背景にある。そんな景色が日本全国至るところ、ごくありふれた田舎の景色であった。では、いつの

頃から里山が遠い存在になっていったのだろうか。多くの若者が都市や都市近郊の工場や会社に動員され

始めたのは昭和37、38年頃からだった。その当時の田舎には若者をとどめおくだけのゆとりも仕事もなかった。

多くの者は職を求めて田舎を離れなければ生きていく事は出来なかった。それでも、それはあくまで本人の

意思によるものであり、強制されるようなものではなかった。

 しかし巷間で、最早戦後ではないと言われ始めた頃から日本各地に大工業地帯が建設され、東京や大阪にも

多くの若者が動員され始めた。それに伴って若者だけではなく、九州や東北地方等から多くの人達が、これら

新たなる就職先に移動させられていった。

 一方、田舎では三ちゃん農業と言われ、後継者のいなくなった農家は、若者達の父や母、祖父や祖母が細々と

農業を守っていくという姿に変わっていった。動力源として牛や馬の代わりにトラクターが普及し、稲刈り機や

田植機が使われるようになった。かつて家族総出でおこなっていた田植えも稲刈りも機械の力なしでは

やっていけなくなってしまった。年に一、二度、盆や正月が賑わうことがあっても、大半の農村の行事は年寄りだけ

の寂しいものとなってしまった。

 そもそも日本に於ける四季を通じた行事の多くは稲作に由来するものである。夏祭り、秋のお祭り、みんな豊作を

願い、豊作に感謝する祭りであった。それらの行事の担い手がいなくなり、次第に形式だけの寂しいものになって

しまった。若者達や農業の後継者がいないということは、幼い子供達もいないというにつながる。従って、かつて

トンボを追い、蝉を捕り、カブトムシを探しまわった里山も次第に忘れられた存在となってしまった。里山は生活に

とって不必要になったばかりでなく、村人や子供達からも見向きもされない存在と化してしまったのだった。

 ウサギ追いし彼の山も、小鮒釣りし彼の川も、実に遠い存在となってしまった。鎮守の森もいつしか義務だけで

祀られる存在となり、信仰の対象からは遠いものとなってしまった。人々の意識の中から存在が薄れるということは、

対象となるべき里山が荒れ果ててしまうということである。手入れ良く熊手で掻かれていた山々も人々が入らなく

なれば、鬱蒼と木々の生い茂る自然の山に戻ってしまう。そうなれば富栄養化し日の当たらない森となり、松は枯れ、

あれほど豊かな恵を分かってくれた松茸山も枯れ松林となってしまう。小川には生活用水が流れ込み、耕し手が

老いた段々畑や棚田はススキが生え、やがては木々の生い茂る山に戻ってしまおうとしている。私達の祖先が

営々として築き上げてきたものは、一瞬にして無に帰してしまおうとしている。

 里山は私達の心の故郷である。少なくとも私達と世代を同じくする人達にとっては、心の中に同じ景色を持って

いるはずである。めくるめく私達の心に去来するものはいったい何なのだろうか。都会へ都会へと動員され、挙げ句

の果てはバブルの崩壊、そして定年を直前にしてのリストラ、先の見えない日本の将来、暗く鬱陶しい事ばかりである。

こんな事のために美しい大切なものを犠牲にするのが目的だったのだろうか。最早、取り返しのつかない、後戻りの

出来ないところまで来てしまったような気がしてならないのである。

                                                   2002年5月19日掲載

このページのキーワード

・昭和38年以降の経済の高度成長期に突入する頃までにはどこにでもある景色だった。

・自然と共にある生活。

・里山の変化は私達自身の生活の変化。

・石油コンロから始まりガスコンロに至る生活は山とのふれあいがなくなる事であった。

・里山は農業や林業と切り離して考えることは出来ない。

・人と自然のふれあいがなくなることは農村の生活そのものの崩壊でもあった。

・村の行事の全てが稲作文化そのものであり農業と密接な関連があった。

・今里山へ  自然回帰の兆し

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