支え合う力

天国から地獄へ 

 いま、私達の社会は、かつてない混乱期にある。戦後六十年、日本人は廃墟の中から立ち

上がり平和憲法の元で、ただただ一生懸命働いてきた。その姿は凛々しくも企業戦士に例え

られた事もある。岩崎宏美の「マドンナたちのララバイ」が企業戦士達の応援歌として唄われ

たのも、この頃のことであった。

 「もの作り日本」は、先進国の「ものまね」から始まり、独自技術の開発へとひたすら走り

続けてきた。その結果、押しも押されぬ技術大国になり経済大国になった。

 一方で、お金がお金を生むという、まるで錬金術のような時代でもあった。次々に高層ビル

が建設され、本来、商品でもない土地が土地ころがしによって高騰し、土地さえあれば銀行は

幾らでもお金を融通してくれた。

 ところが頂点はどこかにあるもので、頂点に達したとき一夜城はもろくも根底から崩れて

しまったのである。バブルの崩壊であった。まさに泡(あぶく)のように膨れた日本経済は、

自分を大きく見せようと空気を吸い続けた「カエルの王様」のお腹のように膨れきって割れて

しまったのだ。

 それから先は地獄のような底なしのデフレスパイラルが待っていた。まるでブラックホールへ

でも吸い込まれていくような日本経済であった。多くの大銀行が倒産寸前の状態にまで追い

込まれてしまった。政府の手厚い保護がなかったら幾つもの銀行が消えていたのではない

だろうか。

 その間、私達庶民には何の救済措置もなく、身を小さくして我が身を守ることに汲々(きゅう

きゅう)としていた。銀行のように温かい手を差し伸べてくれるものは居なかったからだ。会社

では賃上げなど望むべくもなく、相次ぐリストラの中で多くの仲間たちが去っていった。タコが

自分の手足を食べて食いつなぐような有様であった。

失われた歳月(ロストゼネレーション)

 今の私達の生活は、実にこうした多くの仲間たちの犠牲の上にあることを忘れてはいけない。

バブル期に大学を卒業した人達は、就職時には有り余るほどの会社案内が送られてきた。

どの企業に就職しようかと、選ぶに困るほどであったのだ。

 その反対に、バブル崩壊後に学校を卒業した若者たちに就職先はなかった。多くの若者が

フリーターやニートと称してアルバイトや派遣社員になるしか方法がなかったのである。こうした

若者たちに救済の手を差し伸べないままに、就職をしないからと言って彼らのことを責めるのは

実に身勝手だと言わざるを得ない。

そして格差社会へ

 かくして私達の社会は、持つものと持たざるものとが二分する格差社会になってしまった。

その上に、財政破綻を来した地方自治体すら出てくる始末で、実に先の見えない暗い社会と

なっている。かつて倒産寸前だと言われた銀行は手厚い保護のもとで息を吹き返し、バブル期

と同じように「我が世の春」を謳歌している。法外な手数料を取り、無利息に近い金を運用して

稼ぐだけ稼いでいる。会社の利益と社員への報酬は他の産業を寄せ付けない。

将来の見えない社会

 そもそも戦後の日本は平均的な所得層が圧倒的多数を占めていた。だからこそ底堅い消費

があって経済的な発展もあったのである。しかし、昨今の状態はどうであろうか。貧困に喘ぐ

高齢者が増え、生活保護世帯が増えている。華やかな経済復興の陰で泣いている人達が

たくさん居るのが実状だ。

 このような社会に健全性は感じられない。親が子を殺し、子が親を殺す。子育てを放棄した

親が増え、幼児虐待が増えている。そして高齢者の虐待も増えている。

 家族団らんのない孤独な青少年達は引き籠もりや町にたむろして援助交際や薬物に走って

いる。最早、家族の体をなしていない家族が激増しているのが実状だ。子供達のストレスの

「はけ口」は学校での「いじめ」の背景にもなっている。

 何故、このような社会になってしまったのだろうか。私達戦後世代の子育てが悪かったのだ

ろうか。それとも企業戦士として、ひたすら会社発展のため汗水を流して家庭を顧みることを

しなかった事が原因なのだろうか。

どうしたら立ち直れるのか

 こうした世の中になってしまった背景にあるのは拝金主義なのだろうか。恐らく、原因は一つ

ではないだろう。二つも三つも複雑に絡み合っているに違いない。

 安倍総理は美しい国を作るためには教育改革が必要だと言うが果たしてそうであろうか。

こうした実状をどのように分析しているのだろうか。これは一人政治だけの責任でもなく、

私達一人一人が真剣に考えてみなければならないことである。

 ある女の子は家に帰っても誰も居ない。だから携帯電話が唯一の孤独を慰める手段だと

いう。ある女子高生は援助交際をしているが、その理由は、お金だけが目的ではなく、交際

相手に優しく話を聞いて貰えるからだと答えている。実に寂しい話ではないか。

 あの「夜回り先生」と呼ばれている水谷先生はこう話している。東京の盛り場に群れている

子の多くが薬物に走っている。その子達もまた孤独であり、心を癒してくれるものがないから

盛り場でたむろしている。こうした盛り場には、一時の快楽と誘惑が待っている。非行に走る

なという方が無理な話である。

貧しい時代にあったもの(オールウエイズ・三丁目の夕日)

 私達が子供だったころには考えられなかったような社会がそこにはある。「向こう三軒両隣」

と言われた時代には「とんとんとんかりと隣組、回して頂戴、回覧板、助けられたり助けたり・・・・」

と唄われた温かい社会があった。

 お母さんが子供をきつく叱っていたら隣のおばちゃんが「まあ、まあ、この年寄りに免じて

許してやって」と子供を引き取ってくれた。夫婦喧嘩が激しくなると、しっかり者のおばあちゃん

が「まあ、まあ、もう少し落ち着いて話したら」と仲裁に入ってくれたものだ。子供が重症だと

聞けば我が事のように心配をして色々とアドバイスをしてくれもした。余り物だと隣の家から

晩ご飯のおかずが来たり、足らないからと醤油を隣に借りに行った事もある。

 お互いに助けられたり助けたり、それが向こう三軒両隣だった。貧しくとも心温かい人達が

身も心も寄せ合うようにして生きてきた。

 先生が子供をきつく叱ったと言って怒鳴り込んでいくような恥知らずな親は一人も居なかった。

子供が学校で叱られたと言ったら、「それ見たことか」と、もう一発拳骨が落ちてきた。どんなに

苦労しても子供にだけは恥をかかせまいとやりくりをしてでも給食費は必ず持たせてくれた。

 そして、大人達はみんな我が子と同じように近所の子供達を見ていた。何か悪さでもしよう

ものなら自分の子供も他人の子供も同じように容赦なく拳骨(げんこつ)だった。その反面、

子供達が泣き顔や困った顔をしていると顔をのぞき込むようにして心配をしてくれたものだ。

ひもじいときには家へ食べに来いと誘ってもくれた。こんな心優しいおじちゃんやおばちゃん達

に見守られながら大きくなってきたのが私達の世代だった。つい数十年前まで、そんな暮らしが

どこにでもあったのだ。

地域力を取り戻そう

 私は、こうした社会を取り戻さなければと思っている。大袈裟に言えば「地域の力」。これこそ

が社会悪を根絶する手段であり、少子高齢化社会への切り札だと思っている。子育てママの

支援には、おばちゃんやおばあちゃんの力、老人には若い世代からの力添え、お互いに助け

たり助けられたりしながら生きていけるような社会を作らなければならないと思っている。

 何もことさらパトロール隊まで作って巡回する必要はない。みんなの目が子供達に注がれて

いれば、犯罪を防ぐには十分だ。道草をしている子供達が居たらやさしく声をかけてやって

欲しい。隣の家で怒鳴り声や泣き声がしていたら、少しだけ注意して聞いてみて欲しい。

 お互いに顔を会わせたら「おはよう」「今日は」くらいの挨拶があっても良いのではなかろうか。

近所に一人暮らしの老人が居たら朝晩声をかけてあげるくらいの親切があっても良いのでは

ないだろうか。そんな事から地域の繋がりが出来たら、殺伐とした事件もずいぶん少なくなる

ような気がするのだが。

                                     2007年8月1日掲載

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