輪廻転生

 仏教では輪廻転生と言う言葉を良く使います。仏教では人の生まれ変わりの事を輪廻転生と言います。本当に生まれ

変わりがあるのかどうか定かではありません。なぜならば誰もそれを証明することが出来ず、前世での記憶もないからです。

そもそも前世なるものがあるのかどうかさえ定かではありません。

 しかし、自然界では確実な輪廻転生を目にすることが出来ます。それは季節の移り変わりであり、自然の営みとして毎年

繰り返されています。木は成長しやがて大木となります。肥料をやらなくても雨と太陽さえあれば成長を続ける事が出来ます。

その営みは高々数十年の人の一生に較べれば気の遠くなるほど長い年月です。

 常緑樹も落葉樹も新しい芽を吹きやがて役目を終えると葉は散っていきます。地面に落ちた葉は多くの微生物たちによって

分解され土に戻り、自らの栄養となって再び自分の体に取り込まれていきます。大木の下には夥しい命が息づいています。

大木の枝にも多くの生き物たちの営みがあります。葉を食べて成長しているもの、実を食べて生きながらえているもの、実や

葉を食べる昆虫を餌として生を営んでいるもの、木の枝に巣をかけ新しい命を育てているもの、繁った葉っぱが隠れ蓑と

なって身を守っているもの、みんな大きな木に寄りかかって生きているもの達です。そして大きな木も又、これらの生き物達に

よって種を運んで貰い、子孫を増やし次世代の命を育んでいるのです。全て毎年繰り返されている自然界の輪廻転生では

ないでしょうか。

 地球は大きな有機体だと言われています。いわば人間の体のようなものなのです。地球が大きな生き物だとしたら地球上

の生命は全て小さな細胞の一つ一つだと言っても良いのではないでしょうか。地球上の生きとし生けるもの全てが、人間の

細胞のように助け合って生きているのです。人の体に一つのムダもないように、地球にとって全ての生き物が大切なもの

なのです。

 こうしてみますと地球も又数十億年という気の遠くなるような長い年月の間、輪廻転生を繰り返してきたと言えるのでは

ないでしょうか。私達人間も、地球の上の小さな生き物として、宇宙という大きな輪廻転生の中で慎ましやかに生きていく

べきなのかも知れません。不遜なる人間の行いによって地球の環境悪化が叫ばれている時、地球の小さな細胞としての

立場と輪廻転生のあり方を考えてみたいのです。

                                                   2002年6月17日掲載      

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