ラジオ体操

 先日、家を早く出た。カーラジオからはラジオ体操のかけ声と音楽が流れていた。それにしても夏休みだという

のに早朝の子供達の姿を見かけない。今はもうラジオ体操はないのだろうか。

 私達が子供の頃、夏休みの朝のラジオ体操は夏の風物詩のようになっていた。長くそんな時代が続いていた。

私が大きくなったのは、広島県の東の端にある神辺という町だった。昔の山陽道沿いにあり、古くは宿場町

だった。

私は七日市上という部落に住んでいた。七日市というのは通りに面した町の地名である。昔は七日の日に市が

立っていたので、そんな地名がついたようだ。七日市は上と下に分かれていた。ちなみに三日市もあり、ここも

上と下に分かれていた。

 小学校時代には部落毎に部落会があり、部落会の子供達が自主的にラジオ体操を行っていた。私達は管茶山

先生の住まいの入口にある小さな広場でラジオ体操をしていた。ここのシンボルは大きな楠だった。そして夏に

なると近所のおじさん達が広場の周辺に朝顔を植えていた。おじさん達は朝顔の管理をしながら子供達の面倒も

見てくれていた。町のどこにでもいるような世話好きなおじさん達だった。

 子供達は時間になると、あちらこちらから、この広場に集まってくる。今日のように携帯ラジオ等ない時代な

ので、ラジオは写真館をしていた長谷川さん方の窓を開け、広場の方に向けてくれたものだった。ここから

流れてくるラジオ体操の音楽とかけ声に合わせてリーダーになったものが前に立って手本を示す。私も6年生

だった時、部落会長に選ばれて、みんなの前に立っていた。

 そんな名残のせいか、今でもラジオ体操の時には自然にきちんと手足が伸びている。会社でも始業時には

ラジオ体操をしているが、姿勢の良いのは私達世代に限られている。若い人達はだらだらと両手も曲がった

ままで、とてもラジオ体操とは思えないような姿勢である。

 私の子供達の頃は、おおかた一夏近く続けていたように記憶している。親が当番となりラジオを持って行き、

時間になったら始めていた。それが今では夏休みに入った、ほんの一週間位の間なのだろうか。とても夏休み

中やっているようには見えない。

 ラジオ体操の出席表は紐を付けて首からぶら下げていた。今もこのスタイルは変わらないようだ。出席をする

と判(印鑑)を押して貰った。子供の頃は、全部出席するのが義務のように感じていた。そんなわけで親戚に

遊びに行ったときも、その先でラジオ体操に参加し判を押して貰った。ラジオ体操は半ば義務のように感じて

いた。印鑑は子供達が家から持ちだしたものを使っていた。決して大人達が手出しをするような事はなく、子供

達の自主的な運営に任せられていた。

 申し訳程度のラジオ体操ではやはり寂しい。夏の風物詩とも言えるものが、また、時代と共に消えた感は否め

ない。こうして時代は変わっていくものなのだろうか。

                                                2003年9月6日掲載

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