映画「お引越し」

 近年、離婚が大変多いようだ。先日も親戚の葬儀に参列したときに、その話が出た。従兄弟

の孫が通っている保育園にも幾人かの離婚したお母さんがいるようだ。親子で参加する行事の

時、ある離婚家庭のお母さんは仕事の都合で来ることが出来なかった。その子と仲良しの子の

お母さんもやはり離婚していた。お母さんが来られなかった子は、仲良しの子のお母さんの手

を握って離さなかったらしい。その姿があまりにも痛々しくて見ていられなかったそうだ。中には

他の子のお父さんを見て、わたしもお父さんが欲しいと言って泣く子もいたようで、先生までもら

い泣きをしていたとも離していた。

 残念なことだが、今や離婚は日常茶飯事の事になってしまった。結婚して数年も経たない若

い夫婦から私達のような中高年世代まで様々のようだ。私達が幼い頃、離婚はごくまれな事だ

った。連れ合いとの諍い、嫁姑間の諍いなど離婚となるべき原因は多かったが、実家に身を寄

せる(何故かこの行為を神辺地方では「ほぼろを売りにいく」と言っていた)くらいが一般的で、

大抵の場合は奥さんの方が折れて、泣く泣く我慢をしていた。また、子は「かすがい」(柱と柱を

強固につなぎ合わせる金具)と言って、子供がいるばかりに離婚まで決断することが出来ず我

慢をしていた。

 その点、今はいやなものはいやとはっきりしている。子供がいようといまいと簡単に離婚して

しまうようになってしまった。その上に、男も女もバツ一、バツ二などと恥じらいもなく離婚歴を

語るようになった。そして、親までもが我慢せよと諭すどころか、「いやならいつでも帰ってこい」

等と結婚前から嫁ぐ娘に言っている。

 私にも子供もいるし妻もいる。決して離婚は他人ごとではないが、少なくとも娘には「いやなら

帰ってこい」等というバカげたことは言わなかった。結婚も本人の責任なら離婚も本人の責任だ。

その限りに於いて、たとえ親と言えども口を差し挟むべきではない。(アドバイスは必要だが)

けれど考えてみなければならないのは、その間にいる子供達の事だ。むろん夫婦どちらにも言

い分はあるだろう。しかし、大半はお互いの身から出た錆が原因ではあるまいか。それらの多

くは金銭的な事や浮気などが原因で子供までも巻き込むような理由にはならない。

 結婚も簡単なら離婚も簡単、そんな結婚ならするなと言いたい。ましてや出来ちゃった結婚等、

もっての他だと言いたい。子供まで作るほど愛し合って結婚したのなら、死ぬまで添い遂げる

決意で結婚しなさいと言いたいのである。

 ここに「お引越し」という古い映画がある。中井貴一さん演ずるお父さんと桜田淳子さん演ずる

お母さん、その間に生まれた女の子を田畑智子さんが演じている。気が弱そうで何かしらつか

み所のないお父さん役を中井貴一さんがうまく演じている。一方、しっかりものの気が強そうな

お母さん役を桜田淳子さんが、これまた好演している。それにも増して娘を演じている子役の

田畑智子さんが最高の演技を見せている。

 田畑智子さんは、この映画出演後も引き続き俳優として成長し、NHKの連続ドラマ「私の青空」

に出演した。この連続ドラマでは自らが若いお母さん役を演じた。既に玉は原石の時から光っ

ていたようである。

 この映画、夫婦の離婚騒動の中で揺れ動く少女の姿を描いている。成長期の少女にとって

夫婦間の離婚の理由など関係ないことだ。彼女にとってはお父さんもお母さんも大切な人なの

だ。つい、昨日まで一緒に生活していたのに家族がバラバラになってしまうことなど許せないこ

とだった。ことごとく親がやろうとしていることに反発し、離婚の理不尽さを訴えようとする。その

過程が京都を舞台に自然の移り変わりと夏の大文字まつりや虫送りのなど行事を通じ、一夏

の出来事として描かれていく。古都の美しい景色と様々な行事を通して叙情豊かに娘の心を

描き出していく手法には、日本映画だからこそ出来た卓抜した手腕を感じた作品であった。ひこ

.田中さんの原作を監督相米慎二さん、撮影監督の栗田豊通さんによって映画化されていた。

 それにしても離婚が増えている。特に若い男女の離婚は日常茶飯事の事になってしまった。

不思議なことに離婚夫婦の子はやはり離婚率が高いようだ。何の因果関係があるのだろう。

また、昨今の幼児や児童虐待も一度結婚に失敗した女性の連れ子に多い。

 子供も新しいお父さんが好きになり、相手の男性も子供が可愛いと感じるようになって一緒に

なった場合には問題ないのだろうが、ただ、男と女が心の空白を満たすだけの対象として一緒

になった場合、その子供は哀れである。男女間の邪魔者としか見られなくなってしまうようだ。

特に男性にとっては親子の愛情のかけらもないわけだから単なる邪魔者でしかない。その上、

庇護してくれるはずのお母さんからも邪魔者扱いにされてしまったら、その先は見えている。

幾多の例に見るように、虐待に虐待を重ねられついには命まで絶たれてしまっている。何のた

めに、この世に生を受けたのだろうか。亡くなった子供達が哀れでならない。

 また、命を絶たれなくとも心に大きな傷を負った子は、きちんとその後が過ごせるのだろうか。

子供の頃の虐待がトラウマとなって自分が大人になったとき自分も自分の子供に対し同じよう

な事をしていたという話を良く耳にするのである。いつまでも負の悪循環が続いていくような気

がしてならない。

 決して、何もかも我慢して一緒にいなさいと言うつもりはない。時には思い違いで結婚したと

言うこともあるだろう。しかし、昔のように親が決めた結婚でもなければ、一度も相手の顔を見

たこともないような結婚ではない。お互いに納得して一緒になったのだから、多少のことはお互

いに我慢しなければならないのではないだろうか。(中にはドメスティックバイオレンスのように

結婚後、豹変した夫の暴力に耐えかねてというケースもあるから一概には言えないが)

 どうも我慢できないと言うのは大人から子供に至るまで共通する問題のようだ。何もかもが自

分の思うようにいかないのが世の中だ。生きていくということは、我慢すべき時には我慢をし、

時には自分の思いを相手に伝え、お互いに切磋琢磨しながら成長していくことではないだろうか。

戦前は多くのことに我慢を強いられてきた。その反動が妙な形で戦後に現れているような気が

してならない。しかし、戦前であろうがなかろうが、おおよそ人間社会というのはお互いに相手

の立場を尊重し、良い意味での譲り合いの精神が必要だ。思っていることをはっきり相手に伝

えることと、我慢もなく言いたい放題のことを言ったりしたりすることとは違う。

 ともあれ、簡単に結婚し簡単に離婚することはやめて貰いたい。そして、その中で犠牲になる

子供だけは作らないで貰いたい。そんなことを考えさせられた一本の映画だった。

(追記:離婚後、一生懸命に子育てと仕事を頑張っておられるお母さんにはお許しを頂きたい)

                                     2005年7月30日掲載

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