お大師さん 

 私の住んでいる家の近くには小さな大師堂があります。地元のお年寄りに聞くと、ここの

ご本尊様は弘法大師のお弟子さんだと言います。私の住んでいる地元児島にもミニチュア版の

児島八十八ヶ所があり、三十八番札所の分院にあたるお堂だとばかり思っていました。お年寄り

の話が事実だとすると非常に珍しいケースになります。

 小さなお堂ながら昔はその庭で子供たちが遊んだり、盆踊りで賑わった事もあるそうですから

近所に住んでいる年配者であれば何らかの思い出を持っている場所だと思います。昨今、訪れ

る人は近所のお年寄りを初め、ごくわずかな人達です。一昨年あたりから地元の中学生たちが

学校帰りに立ち寄っては、たばこなどを吹かしていましたが最近は見かけなくなりました。

 ちなみに、私が果樹作りをしているのは大師堂の前の空き地です。昔から畑として耕されてきた

土地です。この当たりは猫塚と言わていました。本当の古墳があったから、そういわれるように

なったのか、あるいは誰とはなしに捨て猫を始めたから、そうなったのかは定かではありません。

しかし、つい最近まで子猫を捨てに来る人がいたことは事実です。地元の人に聞きますと昔から

そうであったと言います。私もこちらに移り住んで何度か箱に入れられた子猫を見たことがあり

ます。初めは奇異に感じていました。こんな噂は人づてに伝わっていくのでしょうか。

 古墳といえば、この地が古くから開けた土地であることは、近隣から貝塚や縄文土器が出土

していることからも明らかです。この周辺は幾筋もの谷が続くような地形をしています。谷から

小高い尾根筋に上ると近隣が一望できるような非常に見晴らしの良いところです。ここから

ずいぶん山の手に入ったところに「鯛釣り岩」なるものもあることから、古くは谷筋に海が大きく

入り込んでいたのかも知れません。その頃には海に向かって突き出た小さな岬のようなところ

であった事が考えられます。

 児島はその昔、離れ小島でした。西行法師は二度ほどこの地を訪れています。その頃、見聞き

した事を書き残しています。その後干拓がすすみ離れ小島は陸続きの土地となりました。しかし、

今でも多くの地名の中に当時の名残をとどめるものは少なくありません。

 さて、この大師堂に話を戻しましょう。ご本尊様が誰であれ、近隣の人たちの話によると霊験

あらたかなお大師様だとかで、このお大師様に日参をして、病気を克服した人も少なくないと

聞いています。

 お大師様は講によって維持されています。私の義母なども、その講の一員です。お大師講は古く

より地元の一部の人によって運営されており、親から子へと伝統は受け継がれています。講には

厳しい制約があって誰でも加入と言うわけにはいかないようです。従って、講には入れてもらえなく

ても準会員のような形で加わっている人も少なくありません。講は毎月一回、定例的にお祭りの日を

決めて集まっています。とは言っても、お年寄りたちが食べ物を持ち寄って、お大師さんと一緒に

飲み食いをしながらおしゃべりをする、そんな集まりのようです。

 年に一度は児島八十八ヶ所の盛大なお祭りがあります。その時ばかりは、みんな総出で接待に

当たります。最近では自転車の後ろに大きな箱を乗せて接待を受けに来る人もいます。丁度花の

季節に当たり、私の作っている果樹畑も色んな果樹の花盛りです。ここを訪れる人たちの目を楽し

ませているものと思っています。

                                           2001年10月28日掲載

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