もの作りの現場から

 私にとって島津製作所と言えば大変親しみのある会社です。と言うのも工業高校時代、電気の実験に使う測定器の

中に島津製作所のものがあったからです。その後、今の会社に入り測定器の他、制御機器など、やはり島津製作所

は身近に聞く会社の名前でした。その島津製作所の一社員の方がノーベル賞を受賞されました。田中耕一さんという、

ついこの間まで、ごく普通の社員だった方です。ご本人はもちろん周辺の人も大変驚かれたのではないでしょうか。

 この受賞に関し田中さん御自身の存在を身近に感じるとともに、ノーベル賞そのものの存在も大変身近なものに

感じました。余談になりますがアメリカの元大統領のジミー・カーター氏もノーベル平和賞を受賞されました。カーター氏

は大統領を辞めてからも積極的に世界の平和活動をやって来られた方です。そのカーター氏の受賞は当然と言えば

当然なのですが、時あたかもアメリカがイラン攻撃を計画しているという絶妙なタイミングでの授与でした。ノーベル財団

が平和賞をカーター氏に贈った経緯の中に、アメリカのイラン攻撃牽制の意味があることは言うまでもありません。なか

なか蘊蓄のある授与ではないでしょうか。ノーベル賞と言えば権威ばかりを強調するような賞かと思っていましただけに、

意外な一面を見て益々身近に感じたのでした。

 田中さんには心からお祝いを申し上げますと共に、私達、もの作りの現場で働く者としては大変意を強くしているところ

です。長引く経済不況は、ともすれば金融の面ばかりが強調され、もの作りについてほとんど語られることがありません。

私達が社会人になった頃、日本のもの作りの現場はアメリカやヨーロッパ先進国の後を一生懸命追いかけていました。

日本には独自の技術がないとか、他国の真似ばかりをしていると常にさげすみの目で見られていました。カメラのような

高級品はドイツだとか、各種製品の有名ブランドは、ほとんどアメリカやヨーロッパ諸国のものでした。ずっと長く、そんな

時代が続きました。

 しかし、気が付いてみますと、いつの間にか日本の製品がアメリカやヨーロッパのものをしのぎ、ものによっては輸入品

よりは日本製品の方を選んで買うようになっていました。その状況は今でも変わりません。真似ばかりをしていると非難の

そしりを免れなかった電気製品も独自開発のものが主流を占めるようになりました。今はかつて日本がそうであったように、

後発国の中国などに技術を盗まれ、技術をどのようにして守るかと言うことに躍起になっています。時代は大きく変わった

のです。それだけ日本が実力をつけたと言っても過言ではないと思います。

 確かに経済は巨大なマネーを中心に動いています。株取引をはじめとして金融商品と言うものは色んな形で私達の生活

の中に入り込んでいます。いまや経済を語るとき金融問題抜きに語ることは出来ません。しかし、日本が今日の経済的

地位を築き得たのは、ひとえに日本人の勤勉さと、もの作りの現場がしっかりしていたからではないかと思います。その、

もの作りの現場から私達の最も身近な代表として田中さんが受賞されると言うことは、同じような立場にいる人達にとって

大いなる励みになったのは言うまでもありません。田中さんおめでとう御座います。心からお祝い申し上げます。

                                                       2002年11月11日掲載

政治経済社会問題のページへ戻る

ホームへ戻る