水資源

 地球は水の惑星だと言われています。地球の大半は海に覆われているからです。しかし、水の惑星とは

言いながらも私達が利用できる水は、ほんのわずかです。大半は飲料や農業には使えない塩辛い水だから

です。真水と言われるものは湖の水(一部には塩水もありますが)、池の水、川の水、そして地下水位のもの

なのです。

 日本は世界でも有数の雨の多い国です。毎年、6月から7月にかけは梅雨があり、そして、9月から11月頃

には秋雨前線と台風がやってきます。これらの季節には大量の雨が降ります。しかし、平均で1600ミリから

1800ミリという年間降水量がありながら、利用できる水としては世界の中でも決して多い方ではありません。

大半の水は蓄えられることなく海に流れ出てしまうからです。

 私達の祖先は、生活のために山から水を引き、又は井戸を掘って利用して来ました。私の住んでいる山根

地区では、今も昔利用した共同の井戸が残っています。谷あいの急斜面にある集落ですから、山際近くの家

では井戸も掘れず、井戸を掘っても水の出ないところもあったようです。そんな事から共同の井戸に頼って

生活をしていたのではないでしょうか。水桶を担いで急な坂道を登るのは大変な労力だったに違いありません。

 あの下津井節で知られた北前船が着く港だった下津井の町の中には、亀井戸という名の大きな井戸が

あります。北前船に積み込む水を供給した井戸だそうです。また、下津井は海に近い町ですから、どこを

掘っても真水が出るわけではありません。その当時、町の中には水を売り歩いた人もいたようです。共同の

井戸で汲んだ水を桶に入れ、天秤棒の両側にぶら下げて売り歩いていたようです。

 このように、水は決して豊かなものではなく、非常に貴重なものだったのです。川の水が一気に流れて

しまうのを防止するために、各地には大きなダムが築かれました。しかし、そのダムでさえ、近年は涸れて

しまう事がしばしばあります。

 香川県は岡山県同様、大変雨の少ない地域です。また、県内を流れる大きな河川がありません。従って、

農業用水の多くをため池に頼っています。中でも弘法大師が手がけたという満濃池は特に有名です。また、

香川県は生活用水や農業用水の多くを、他県を流れる吉野川から引いています。ところが、水源の一つで

ある早明浦ダムが毎年のように干上がってしまうのです。毎年の使用量が増えるのと、ダム周辺の山が充分

な水を蓄えるほど立派な涵養林ではないようです。

 いくら立派なダムがあっても肝心な流れ込んでくる水がなければ意味がありません。通常、降った雨や雪は

大地にしみ込んで少しずつ吐き出されます。それが絶えることのない川の流れとなっているのです。水を得よう

と思えば、まず、森を作らなければなりません。

 さて、話を振り出しに戻しますが、水道から直に水を飲むことが出来る国は数少ないと言われています。私も

色んな国を旅行しましたが、その度に飲み水には注意するように言われました。外国の水の多くは硬水である

ことも、その理由の一つです。特にヨーロッパでは、その傾向が強いようです。また、衛生の面から日本ほど

信頼が置けないと言うこともあるようです。

 ここに一冊の本があります。この本を読むと日本が如何に水に恵まれた国であるかと言うことが良く分かり

ます。この本は東京医科歯科大学の藤田紘一郎先生が、直接、その国に行かれて水質調査をされた経験に

基づいて書かれた本です。この本を読むと迂闊に旅行も出来ないような気にさえなってきます。

 その理由は、多くの国では水道施設はあっても、大腸菌などに汚染された汚い水だからなのです。硬水だから

という生やさしい理由からではありません。水道管近くのトイレから腸チフスやA型肝炎ウイルスなどに汚染された

水が混入しているという、信じられないような事が起きているのです。こういった多くの国々では、水道施設が

老朽化していても修理が出来ず、そのため水圧が上げられなくて、逆に周辺の水を吸い込んでしまうらしいの

です。

 私が子供の頃、近所の長屋で赤痢の集団感染がありました。原因は定かではありませんでしたが、共同で

使っていた井戸に、その原因があったようです。長屋のトイレから井戸水の中に赤痢菌に汚染された水が流れ

込んでいたためか、あるいは赤痢に汚染されたものを、共同の井戸で洗ったために感染が広がったのか定か

ではありません。その当時、どこの家でもトイレは汲み取り式の粗末なものでしたから、当然、屎尿などの混入

があったかも知れません。

 私の住んでいた長屋でも、あるいは一戸建ての住宅でも、事情はさして変わりはありませんでした。そんな

ことから、神辺町では早くから水道施設が作られました。私が小学校の二、三年生の頃だったと思います。

あれからもう50年近くが過ぎたことになります。鋳物製の丈夫な配管が埋められましたから、穴が空くような

状態にはなっていないと思いますが、それでもメンテナンスが必要な時期が来ているのではないでしょうか。

恐らく、日本全国どこでも事情は同じだと思われます。水道管の引き替え工事など見たことがありませんから、

今のところ、前述の国のような問題は起きていないのかも知れません。

 さて、このように水は空気と同じように人間が生きていく上で欠くことの出来ないものです。その水が汚染だけ

でなく、枯渇しようとしているとしたら、どうすれば良いのでしょうか。それこそ湯水のように使ってきた水の

使い方を、もう一度、考え直す必要があるのではないでしょうか。

 倉敷市では昨年から水道料金が上がりました。製造にコストがかかっているのだと言ってしまえば、それまで

の事ですが、水にお金を払って買っていると考えれば、その使い方にも一工夫いるようです。また、水道料金は

下水道料金ともリンクしています。水道水を使えば使うほど、下水道料金も多く支払わなければなりません。

水を使うだけでもお金は必要ですが、使った水の処理にもお金は必要なのです。

 あの長江という大河の流れているお隣の国、中国でも水不足は深刻な問題のようです。この河に大きなダムを

建設中ですが、ダムを作ってさえも多くの国民と広大な台地を潤すには足らないようです。年毎に砂漠化が進んで

いるアフリカのサハラ砂漠近くの国々、いわゆるサヘル地域諸国の中の「チャド」では、水不足のため一国が

滅亡するのではないかというほど深刻な問題となっています。

 今後、水は石油と同じように戦略的な意味合いをも持つ重要な資源になると言われています。先日も日本で

「世界水フォーラム」が開かれました。水をどう節約し、どう確保するのか、降雨量の多い日本では深刻な問題

として受け止められてはいないようです。しかし、必要量が十分かと聞かれたら、決して十分とは言えないという

統計になっています。この現実を踏まえ、もう一度、真剣に水の事について考えてみたいものです。

                                                2003年7月12日掲載


「癒す水、蝕む水 」 世界の水と病気 

藤田紘一郎  東京医科歯科大学教授  NHK出版

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