曼陀羅な人生

 人は様々な人生を生きています。一人として同じ人生を生きている人はいません。当たり前と言えば当たり前の事

ですが、不思議と言えば不思議なことでもあります。この地球上にいる何十億という人が全く別々に、人それぞれに

異なった人生を生きているのです。同じ屋根の下に住んでいても、あるいは夫婦であっても親子であっても、みんな

それぞれ別の人生を歩いているのです。

 空海(弘法大師)が中国から持ち帰った真言密教の曼茶羅(マンダラ)は宇宙の姿そのものを表していると言われ

ています。宇宙とは言っても天体物理学で言うところの宇宙とは異なります。多分に精神世界的な宇宙観ではないか

と思います。本来、曼茶羅は仏教界での宇宙観であると言われていますが、私はあえてこう解釈しています。人それ

ぞれに異なる人生を、それぞれの人ごとの小宇宙だと考えれば、百人いれば百人の一億人いれば一億人の人生が

あり、それぞれの小宇宙(精神世界)があります。それらの全てを寄せ集めたものが曼茶羅、つまり大宇宙(大きな

精神世界)ではないかと思うのです。

 人は意識する、しないに関わらず自分の中に心を持っています。心は人間の行動を司る根幹のようなものです。

心正しい人はまっとうな人生を送っています。心豊かな人は例え物質的に恵まれなくても明るく楽しい人生を過ごし

ています。反対に、いくらお金持であっても、あるいは社会的な地位が高い人であっても、曲がった心の持ち主や

心寂しい人は暗くて空虚な人生を過ごしています。

 この世の中の全てのことは自分自身から発していることなのです。私達はともすれば人と比較してあれこれと考え

勝ちです。その結果、人の生活が羨ましかったり、妬んだり憎んだりしてしまいます。その妬みや憎しみはまったく

根拠のないものです。人は人、自分は自分という、しっかりした考えさえ持っておれば何でもないことなのです。上を

見れば切りがなく、下を見ても切りがありません。お金持ちが幸せかと言えば決してそうとばかりは言えません。その

人自身は、もっとお金を持っている人のことを羨ましく思っているかも知れません。このように人間の欲から発して

いる貧しい心は、私達の弱い心をいつも奥底からつついています。

 曼茶羅を考えるとき、誰にも決して歩くことが出来ない自分だけの道を歩いているのだと言うことを強く意識しない

ではおられません。それは孤独と言えば孤独な長い道のりです。「おぎゃあ」とこの世に産声を上げて以来、自分

だけの道を歩き始めます。そしてまた、いつか孤独な死へと導かれていくのです。それがこの世に誕生したものの

宿命なのです。

 従って、もっと大きな心を持って自分自身の人生を、ただ淡々と歩いていけば良いと思うのです。側を歩いている

人の人生をいくらうらやましく思っても、絶対にその人の道へ移動することは出来ないのです。だから長い長い自分

だけの道をわき目もふらず、ただひたすらに歩き続けなければならないと思うのです。

                                                    2002年11月3日掲載

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