教育の機会を

 朝日新聞の天声人語の欄に中国の僻地に住んでいる女の子の事が書かれていた。親元から離れ勉強をして

いる女の子の事だった。女の子は貧しい家庭に生まれ、親の苦労を見て育ったので、自分だけは、そうなりたく

ないと思っていた。この国においては、学問をする事が貧しい環境から抜け出すための手段であった。しかし、

向学心に燃える彼女の元には、仕送りが出来なくなったから、勉強をやめて家に帰れと言う親からの手紙が

来た。女の子は何とか勉強を続けたいと懇願するのだが、その願いは聞き入れられなかった。

 今の日本では考えられないような事である。高い学費を出して貰いながら、勉強が目的ではなく学校を卒業した

という資格だけを貰いに行くような学生も少なくない。しかし、多くの低開発国では社会的混乱や貧困から勉強が

したくても出来ないのが実情だ。こんな国々で子供達に将来は何になりたいかという質問をすると、たいてい学校

の先生やお医者さんになりたいという返事が返ってくる。その国の実情を反映した答えだ。彼らの澄んだ瞳の中

には向学心に燃える思いが光っている。

 今、世界には多くの貧困な国々が存在する。日本はそれらの国に対し、多くの経済援助を行っている。しかし、

残念ながら多くの場合、有効に活用されていないようだ。経済援助は、その国の支配者達の私腹を肥やす事や、

すぐに使われなくなるような公共事業に浪費されている。一方、これらの国々には貧困のあまり学校に行きたく

てもいけない子供達がたくさんいる。

 日本は昔から教育熱心な国だった。貧しさから抜け出すには、学問をする以外に道はない事を、みんな分かって

いたからではないだろうか。親たちの多くは、たとえ自分達は苦労しても子供達には上の学校に行かせたいと思い

頑張ってきた。その結果、無学文盲という人達はほとんどいなくなった。そして、高い教養を身につけた人達が、

今日までの日本を作り支えてきた。貧しさから抜け出すには学問しかない。それは今も昔も変わらないのでは

ないだろうか。

 国を豊かにするのは国民である。その国民の資質を高めるには学問しかない。人的資源こそ国を支える力な

のだ。そのためには何をなすべきか。答えは明白である。どこに使われたか分からないような経済援助ではなく、

低開発国と言われる、これらの国々に全寮制の学校を建設してはどうだろうか。少なくとも小学校と中学校位

の学力が身に付くような教育の援助をすべきではないだろうか。日本の学制での九年間、たったの九年間で、

その国の将来を担う事が出来るような素晴らしい子供達が育っていくのだ。回り道のような気はするが、結局、

その方が遙かに効率的な経済援助ではないだろうか。

 国を支えているのは、その国の人々である。その国の人々の資質を高めるためには教育しかない。世界では

争いが絶えない。その原因は何だろう。色んな原因が考えられるだろうが、その一つはやはり貧困である。貧困

を招いているのは、その国にある資源を使って外貨を稼ぐ方法を知らないからだ。農業だって知識が必要だ。

先進国の農業を学ぶには学問が必要だ。工業を興すにも学問は必要なのである。国民の資質がどれだけ高い

かによって経済力は変わってくる。貧しい国がなくなれば、テロに明け暮れる連中もいなくなるに違いないので

ある。アメリカ政府のように爆弾で威圧しなくても、学校を増やしていけば必ず争いはなくなっていく。急がば回れ

である。

                                                2003年12月19日掲載

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