親は子供を育てると言いますが、子育てによって親が育てられるのだと私は思っています。

人間は人の親になって、やっと一人前になったといえるのではないでしょうか。

子供は、なかなか親の言うことを聞きません。小さい時には自分では何も出来ないくせに、親にあれをせよ、これを

せよと要求してきます。親が自分の要求することに応えてくれないと、泣いたりわめいたりして親を困らせます。

子供はエネルギーの固まりのようです。少しもじっとしていません。目を離すと、もう何かをやっています。

とてもついていけないと思うようなことも度々あります。時には、けがをしたり、熱を出して心配をかけます。

夜中に何度病院に足を運んだか知れません。大げさな言い方をすれば子育てが終わるまでは悪戦苦闘の毎日です。

少し大きくなると親の目を盗んで悪さを初めます。学校から呼び出しを受けたり、警察のお世話になったり、親の苦労

子知らずとはよく言ったものです。それでも、どこに文句の言っていきようもありません。自分の子供ですから

自分で何とかするより仕方ありません。

しかし、子供とのいろいろなやりとりの中から、親も我慢強くなり、少々のことでは動じなくなります。

そして、自分を育ててくれた親のありがたみが実感できるようになるのです。子供は親の鏡です。

自分の育て方の悪さや未熟さを棚に上げて、子供をいくらしかってみたところで、子供は自分の方を向いては

くれません。

近頃では、体だけはいっぱしの大人であっても未成熟な親たちが多すぎます。そんな子供まがいの親たちが

子育てをしているのです。もっと子供をしかる前に、自分の未熟さを恥じるべきです。自分の未熟さを棚に上げて、

学校や保育園に子育ての責任を転化しています。

学校は学問を教えるところです。親の代わりまでは出来ません。躾(しつけ)は家で行うべき事です。

そして学校で子供がしかられると、すぐさま暴力教師のように言って、学校に怒鳴り込んできます。

教師も集団を指導しているのですから、集団の行動を乱すような事があればしかるのは当然です。

私達が子供だった頃は、みんな貧しく親も一生懸命働かなくては生活していくことが出来ませんでした。

子育てどころか、農家なら上の子の背中に幼子をくくりつけ、あるいは田圃のそばに置いたままで仕事をして

いました。工場では機械の側に置いたり、背中に背負ったままで仕事をしていました。保育園などなかった頃の

ことです。あったとしても、とても経済的な余裕などなかった時代の事です。それでも親は子供にいっぱいの

愛情を注ぎ、子供は親の愛情を一身に受けて、貧しくともたくましく成長していきました。そして親の苦労を十分

知っていましたから、物心つき始めた頃から、早く一人前になって親を楽にさせてやりたいと思っていました。

親たちは、学問も子育ての知識も何もなくても、子供に対する愛情を心の支えにして一生懸命生きてきました。

何故、なにもかも豊かになった今日、逆に親と子の間が疎遠になっていくのでしょうか。

何故、児童虐待が行われるのでしょうか。何故、子供達は学校で荒れるのでしょうか。

どこかで何かが狂いはじめているとしか言いようがありません。そして、事態はますます深刻さを増しています。

子育てをすることにより、自分自身が成長しなければならない親たちが、子育てに迷い、子育てを放棄して今日も

さまよっています。

子育ては理屈や理論ではなく、子供に対する愛情だと思うのですが。

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