古老に聞け

 私が住んでいるこの土地では、私が家を建てた頃から急速に水田が消えていった。その頃、

細い農道は広い道路に変わり、あぜ道は草に覆われてしまった。また、水田に水を引くための

溝もわずかに形を残すだけになってしまった。今、近所を見回してもかつての田舎の面影はな

くなってしまった。

 私が畑を作り始めた頃、水に困っていた。多くは水道水に頼っていたが、果樹にやる水となる

と大量の水が必要だった。如何に畑だからとは言え、水なしでは種を蒔くことすら出来ない。ま

た、果樹だからと言っても何日も日照りが続くと散水は必要だった。

 そんな時、近くを流れていた農業用水用の溝から塩ビのパイプを使って水を引く事を思いつい

た。本来なら水利権のないものに、農業用水は使ってはならなかった。近所の大地主のおじさ

んは見て見ぬふりをして見逃してくれた。また、近所に水田もなく文句を言うような人がいなかっ

たのも幸いだった。

 大地主のおじさんは、生前、私を水源に連れて行き、ここから水を引いているのだと教えてく

れた。そして、必要ならいつでも使って良いと言ってくれた。しかし、必要なのは夏場だけの事で

あり、おじさんが樋門の開け閉めをしてくれたので、私が水源まで行くことは一度もなかった。

その後、果樹畑も水道を主要な水源にしたので、いつしか農業用水のことは忘れてしまった。

そして、親切にしてくれたおじさんも数年前に亡くなってしまった。

 この水は山一つ向こうにある池から延々とU字溝や素堀の溝を伝い、下手にある水田を潤し

ていた。しかし、その水田も駐車場になり、あるいは宅地になって、その必要性がなくなってしま

った。数年前、水源である池に行ってみた。当初は山水で満たされていた池の水も、その後に

出来た団地の水が流れ込み汚れていた。また、U字溝は至るところが崩れて使えなくなっていた。

再び農業用水が必要になれば池の掃除と溝の大修理が必要だ。

 さて、話は変わるが、昨年、この当たりでも従来になく大雨が降った。その際、畑近くの家の

裏では小さな土砂崩れがあった。そこの主人が、畑の持ち主のところへ何とかするように怒鳴

り込んで行ったようだ。怒られた方は何のことか良く分からなかったようだ。その人は最近にな

って、ここに住むようになった人だった。土砂崩れの原因は、本来あるはずの排水口がなくな

って畑に水が溜まったことによるものだった。

 田や畑が主要な生活手段であった頃は、排水口もきちんと管理され、そこが田であれば水の

管理は重要な仕事だった。ところが私達の世代は、そのことをまったく知らない。ましてや、この

土地で子供の頃を過ごしていない私は、昔の地形がどのようになっていたのかまったく分から

ない。聞けば、ここは御大師様に続く道であったとか、その道の脇には小さな川が流れていた

事など、教えて貰って初めて納得のいくことばかりであった。従って、ここが大雨の度に危険な

場所だったと言うような事は、その土地に昔から住んでいる古老にしか分からないことが多い。

 また先日、こんな些細な出来事があった。先ほどのおじさんが血相を変えてやってきた。自分

の家の小屋裏にテント車庫の金属パイプを何故勝手に立てかけたのかと言うことだった。この

パイプはずっと以前から立てかけていたものだが、つい最近、無造作に倒されていた。私は隣

のおじさんがしたことだと言うことがすぐに分かった。このおじさんは自分の家の物置小屋から

の雨水を私が作っている畑に流し込んでいた。そのため、畑の溝は流れ込んだ土砂で埋まっ

てしまい、水はけが悪くなって畑に水が溜まるようになっていた。おじさんは知らん顔だった。お

じさんの勝手な行為にいささかあきれていたが、ここで言い争いをしても仕方がないと溝掃除を

して排水を良くした。

 そんな経緯があるのにも関わらず、小屋に物を立てかけただけで怒鳴り込んできたのだ。い

ずれ何かを言って来るであろう事は予想していたので、さして驚かなかった。おじさんが「何で一

言も言わずに立てたのか」と聞いたので、これ幸いと、「それは悪いことをしました。立てかけさ

せて貰えないだろうか」とやんわり尋ねてみた。おじさんは出鼻をくじかれたように「一言、言えば

良かったのに」と言って帰っていった。

 そんな事があって二、三日後に再びやってきた。今度は何だろうと思っていると、何やら書き

付けのようなものを持っていた。それはノートの切れ端に書いた昨年の土砂崩れの経緯だった。

腹立たしい思いで、その時のことが書いてあった。「Kちゃん(私のこと)にも知っておいて貰おう

と思って」と言っていた。どういう風の吹き回しだろうか。その紙には昔からの経緯が事細かに

書いてあった。むろん、自分の家の裏の事も詳しく書いてあった。書かれていた事は私達世代

のものは誰も知らないことばかりだった。今は、親から子へ子から孫へといった言い伝えはなく

なっている。ましてや都会に出て帰ってきたものには、その土地の経緯など分からないことばか

りである。

 何もないときなら問題もないのだろうが、この畑はもともと水田で大変水はけが悪かったのだ

と言われても私達には分からない。しかし、昨年のようなかつてないほどの大雨が降ったときに

は、そのことが大問題になってくる。しかし、大きな土砂崩れにならなくて幸いだった。これから

は気象異変でどんな災害が発生するか分からない。また、山も次第に風化して崩れやすくなっ

ている。私達がもっと地元のことを知らなければ、予測しがたい災害が発生することは避けられ

そうにない。古老達に昔の事が聞ける間に聞いておかなければと思っている。

                                   2005年8月15日掲載

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