この国を救うには何が必要か

外務省の対応のまずさとは言え、今回の中国瀋陽に於ける総領事館での事件は、一人の日本人として実に恥ずかしい

思いをしています。如何に面倒な事とは言え、あるいは背景に北朝鮮による日本人拉致事件解決に向けての思惑が

あったとしても、人道という観点からして今回の対応は果たして正しい対処の仕方だったのでしょうか。駆け込んできたら

追い返せと言っておいて、世界中にこの映像が流され大騒ぎになると、手のひらを返したように日本の主権が侵されたと

お門違いのことを言っています。主権が侵されたと言うのであれば、初めから事に備えて北朝鮮からの亡命希望者が

飛び込んできたならば、まず亡命者を中に入れ中国の武装警官を追い出せば良いことではないでしょうか。それでも

押し入ろうとするならば、その時にこそ主権が侵されたと国際世論に訴えれば良いことなのです。

 何を今更という気がしないでもありません。その上に福田官房長官は外務省の対応は正しかったなどと、何かしら

見当違いの弁護をしています。こんな人が国の政治を牛耳っているのかと思うと、本当に情けなくなってしまいます。

ましてや、諸外国からこれが日本人の姿なのだと思われているかと思うと、全くやりきれない思がします。

あまり知られていないことですが、第二次世界大戦中、ナチスの追及を逃れてポーランドのユダヤ人達がリトアニア経由

で国外逃亡を企てました。その時、リトアニア総領事であった杉原千畝さんが、政府からの命令に背いて何千人ものビザ

を発給し逃亡の手助けをしました。

 同じ総領事でありながら一方は逃亡阻止、一方は政府の命令に背いてまでもビザの発給。単純には比較の出来ない

問題ですが、一個の人間として考える時に、いずれの行動が正しかったのか言うまでもないことだと思います。私達は

組織の人間である前に、それぞれが独立をした考えを持つ一人の人間です。しかし残念ながら日本人の場合、組織に

入ると完全に自己を失ってしまい個人という存在が見えなくなってします。かくゆう私も、そのきらいは否定出来ません。

確かに組織が決定し、あるいは決定しようとしていることに口を差し挟むことはなかなか難しい事です。しかし、今回の

ような事件を目の当たりにすると、さすがに、これで良いのだろうかと考えさせられてしまいます。

 狂牛病(BSE)問題では農林水産省の過去の失政と、事件が発生してからの対応が悪く、結局、生産者にも迷惑を

かけ消費者の牛肉離れを促進させてしまいました。そのため、莫大な臨時予算を助成金として計上し、業界団体が

買い上げるようにしました。買い上げるという方法が良かったのか悪かったのかという議論もありますが、この制度を

悪用したものがいます。それが雪印食品をはじめとする大中の食肉業者です。

 その背景には、この業界の体質的なものもあったようです。つまり日常茶飯事のように産地を偽って食肉を売って

いたのです。外国産の牛肉を国内産だと偽ったり、乳牛の肉を和牛肉だと偽ったり、こんな事はごく当たり前のように

行われていたようです。だからこそ、買い上げのお金は国が出してくれるのだからBSEとは関係のない輸入肉まで

持ってゆけとか、質の悪い肉も上質肉のような表示を付けて出したのではないでしょうか。雪印食品の上層部でも

他社の動向を見ながら、よそもやるならうちもやれといったような判断もあったようです。

 上司からこの考えを提案されたとき反対した課長はたった一人だけ、他の課長は反対しかけたけれど結局黙って

いたと告白しています。何故あの場でそうしなかったのだろうと悔やんでいるそうですが、後の後悔先に立たずだと

思います。でも、これに似たような事は、お互いの会社の中で決してないとは断言できないのではないでしょうか。

 アメリカに長く滞在していた人から聞いた話ですが、日曜日に徒党を組んでゴルフに行くのは日本人だけだそうです。

その日も住んでいる地域の学校の労働奉仕や地域活動が行われる日であったそうです。それにも関わらず、日本人の

父親達は活動にも参加せずゴルフに行ったそうです。アメリカ人からは当然批判の声が出たそうです。全くひんしゅくを

買うような話です。一人であればとても出来そうもない行動も、大勢の仲間と一緒であれば出来たのです。もちろん、

昨今のように多くの企業が外国に進出するようになってからは、外国でのルールやマナーも身について来たと思います

から、こんなひどい話はないと思いますが、日本国内での行動などを見ていますと、全くなくなったかどうか疑わしいもの

です。

 さて、これら一連の事件を見てみますと共通して言えることは、日本人の人間としてのモラルの低さです。一個の人間と

して正しいことか正しくないことか位のことは、みんな良く分かっているはずです。それにも関わらず、この種の事件が

後を絶たないのは何故なのでしょうか。教育の問題なのでしょうか。文部科学省は道徳教育だとか、ゆとり教育だとか

ピントのはずれたようなことばかり言っています。道徳教育を始めて何年になるのでしょうか。未だに子供達の問題は

解決していないではありませんか。それどころか、教育現場は益々深刻さの度合いを強めています。最早、のっぴき

ならないところまで来ていると言っても過言ではありません。表面的なものではなく、根底に横たわっているものを解決

しない限り、絶対に良くはならないと思っています。

 解決への足がかりとして私は次の四点を提言したいと思います。

 (一)過度な競争社会からゆとりある社会への移行。

 (二)お互いに他の人の良さを認め合い、多様な価値観に目覚めた社会を作る。

 (三)バブル後遺症に苦しんでいながら、なお改まらない拝金主義からの脱出。

 (四)全てが効率主義という考え方の方向転換。

 この世の中はすべからく人間のための世の中です。歴史を作るのも人間なら、歴史の中心にいるのも人間です。その

人間自身が何をどうしたらよいか真剣に考えない限り、誰も手助けなどはしてくれません。

 恐らくは、政治の中心にいる人も、官庁のトップにいる人も、あるいは企業のトップにいる人も、気が付いていないのでは

ないでしょうか。この世の中には自分達のような立場の人もいれば、それを支えてくれている、その他大勢の人達がいる

ことを自覚しなければなりません。仕事が出来る、出来ないで全てを判断してはいないでしょうか。仕事の出来る人も

出来ない人もいてこの世の中なのです。今の世の中、人に対する評価の仕方が、どこかいびつで間違っているような

気がしてなりません。そんな事さえ気付かない人達が社会の頂点にいる事こそこの国の悲劇です。あるいは日本だけの

事ではなく、先進国と言われる国すべてに共通して言える事かも知れません。

 お金も又、経済の潤滑油に過ぎません。けっしてお金が全てではありません。しかし、日本は貧しい時代が長かったが

故に、お金に対しあまりにも執着しすぎて来ました。そこそこ豊かになった経済下では、もう一度考え直してみてはどうなの

でしょうか。先進7カ国と言われなくても、心豊かに暮らしている国はたくさんあります。日本が経済大国と言われて本当に

豊かになった実感があるでしょうか。サラリーマンは雇用の不安と老後の事で頭が一杯です。政治家の皆さんのように

政治家を世襲にして、安定した地位を築いている人は、ほんの一握りの人なのです。政治家は口を開けば国民のためだと

言っていますが、本当に自信を持って国民の為に政治を行っていると言える人が何人いるでしょうか。

 そして会社に於いては仕事が出来るかどうかを問う前に、まず人間としてきちんとした人であるかどうかを問うべきでは

ないでしょうか。経済界のトップと言われる人達が、不祥事を起こす度に国民の前に頭を下げる姿を皆さんはどう思われて

いるのでしょうか。頭を下げる前に何故頭を下げなくても良いようにしてこなかったのでしょうか。その反省なくして日本の

経済再生はあり得ないのではないでしょうか。

 今のいびつな世の中を正しい姿に立ち返らす為には、日本人一人一人が自分の価値に目覚め他人の価値を尊重し合う

世の中にしていくことではないでしょうか。どうも言葉足らずでうまく表現できませんが、その思いは読んで下さった皆さん方で

うまく埋めて頂きたいと思います。皆さんのご意見や感想をお待ちしています。

                                                        2002年6月8日掲載

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