少年は瀕死の重傷を負った鹿を目の前に呆然としていた。父の「苦しませずに早く殺してやれ」と言う声が背後から

聞こえてくる。最早、為すすべはなかった。自分の愛するものを自分の手で殺さなければならなくなった悲しみは

抑えようがなく強い絶望感となって広がっていった。何日もあてどなくさまよい、疲れて倒れ込んだ古舟が流される

まま、通りかかった船に助けられるまで気がつかなかった。生死の境をさまよっていたのだ。

「子鹿物語」という、この話は人間が自然の厳しさと向き合って生きてきた時代の話である。時代は南北戦争後の、

アメリカの開拓者の話である。

少年には兄弟がなく寂しかった。同じくらいの年齢の少年は随分離れた所に住んでおり、滅多に会うことは出来なかった。

少年は友達が欲しかった。兄弟が欲しかった。友達や兄弟に変わるものと言えば、周辺の森に住んでいる動物であった。

厳しい母は動物を飼うことを許してくれなかった。父が毒蛇に手を噛まれた時、手当のために撃ち殺した母鹿の子供

を父の一命を取り留めた見返りとして、飼っても良いと言うことになった。

少年は有頂天だった。しかし、程なく悲劇的な事件が起き始めた。なけなしの金をはたいて買ったたばこの苗を

鹿が食べてしまったのだ。事件はそれだけではなかった。生活の糧であるトウモロコシの苗を次々と食べてしまうのだ。

いくら柵を高くしても易々と越えてしまうのだ。生活を取るか、鹿を取るか、選択の余地はなかった。

少年が鹿を飼うとき口添えをしてくれた優しい父も、この日ばかりは厳しかった。少年に自分の手で鹿を始末するよう

に言いつけたのだった。少年にとって、自分の分身のようにして可愛がってきた鹿を、自分の手で殺すような事が

出来よう筈はなかった。森で解き放った鹿は家に帰ってしまい、同じ事を繰り返す事になった。父は母に殺すように言った。

母は、使い慣れぬ銃では鹿をひと思いに殺すことは出来なかったのだ。苦しんでいる鹿を目の前にした少年には

両親に対する不信感でいっぱいだった。少年は自らの手で殺さざるを得なかった。

何日かぶりに少年は家に帰ってきた。少年は吹っ切れたように大人になっていた。少年の中に子鹿の死を通して

何かが大きく変化していったのだ。子供から大人への一歩だった。すでにあきらめかけていた父はもとより、厳しく

冷たかった母も初めて涙を流し少年を抱きしめた。母は厳しい自然の中で何人もの子供を亡くし、すっかり自分の

心を閉ざしていたのだ。その母に残された、たった一人の息子が帰ってきたのだ。

これは人間が厳しく自然と向き合って生きなければならなかった時代の話だ。

今の私達の生活からは考えられないような話だが、生きていくための多くの教訓を含んでいる。

私が小さな子供の頃、初めて買って貰った本が「子鹿物語」だった。薄っぺらい20センチ四角位の小さな本だった。

大切にしていた本だったが何度かの引っ越しの時に失ってしまった。すっかり忘れてしまっていた。

しかし、何となくもの悲しい話であったことだけは折に触れて思い出していた。その思い出に偶然にも図書館で、

それもビデオと言う形で再会した。子供の頃、理解出来なかったところも、自分の印象に強く残っていたところも、

このビデオ(映画)の中で全てが明らかになった。そして、懐かしい幼い頃の自分と再会したようで、思わず知らず

涙がこぼれるのを禁じ得なかった。

                                            2000年7月22日掲載


原作:マージョリー・キナン・ローリングス

制作:シドニー・フランクリン

監督:クラレンス・ブラウン

1946年制作

お父さん(ベニー):グレゴリー・ペック

お母さん(オりー):ジェーン・ワイマン

少年(ジョディ)クロード・ジャーマン・Jr

子鹿と少年を取り巻く家族との生活を描く愛と涙が溢れる感動の名作

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