−思い出を綴る−

最近は外で遊ぶ子供達を見かけなくなりました。ましてや池や川や山に遊びに行く子供などは皆無に等しいようです。

それは街の子供達だけではなく、豊かな自然が残っている田舎に住んでいる子供達にも共通の現象だと言えます。

何故なのでしょう。親たちが子供を大事にしすぎるからでしょうか。それとも子供に関わる犯罪が増えたからでしょうか。

自然は色んな事を私達に教えてくれます。私達の年齢のものはたいてい自然の中で育ち、自然から多くのものを

学んできました。それが私達の生きる支えとなり、心の豊かさにつながっているような気がします。

ここでは私達が経験してきた多くの中から、魚釣りや魚取りについて書いてみたいと思っています。

                                                        2000年3月25日掲載


冬の朝のハエ釣り

冬は川の水も少なく流れも穏やかです。冬の朝早く家の近くの菅波という雑貨屋でさば虫を買って川に行きます。

さば虫は魚などを腐らしておくとわいてくるウジ虫のことです。自分たちで作ろうと思えば作れないこともないのですが、

汚いのと臭いのでたいていは買っていました。冬になると大川の水も少なくなり、あちらこちらに瀬が出来ます。

適当な深さと流れのあるところで、浮きを付けて流れのままに流します。やがてしばらくすると浮きが急に沈み竿を

上げると小さなハエがかかっています。

魚たちの餌の少ない時期でもあり面白いほど釣れます。釣れなくなると釣り場所を変えます。釣り場所はいくらでもあります。

早朝の冷え込みのひどい時には、やわらかい朝日の中で川面にうっすらと湯気が立っています。

外気温が水温よりも低い時です。そして、おだやかな川の流れは朝日の中できらきらと輝いています。

川の周りはすっかり草が枯れ、夏にはとても河原まで下りていけないようなところでも平気です。河原に降り立つと

霜柱が立っていて足下でさくさくと音がします。かじかむ手をこすりながら餌を付けます。

冷え込みのきつい朝の方が良く釣れたような気がします。釣って帰っても食べるわけでもなく、ただ釣って楽しむ

だけの遊びでした。

かつて私達が大川と呼んでいた高屋川は、今は淀んでしまい昔のようにきれいな流れを見ることは出来ません。

ましてや冬の朝のあのきらめきは遠い思い出となってしまいました。本当に寂しいことです。

夏のかいどり

高屋川は天井川です。天井川は堤防がない状態を考えると実に恐ろしい川です。

川底が民家の建っている所よりは高く、そこを水は流れているのです。

長い年月、上流より流れてきた土砂によって川底が浅くなってしまったのでしょう。昔は度々洪水をおこしたらしく、

山一つがなくなるような大工事の末、現在の堤防を築いたのだと聞いています。昔のことなので土木機械などなく、

手堀ともっこによる人力での大工事だったようです。

そんな川ですから夏になると水は完全に干上がってしまいます。そうして所々に小さな水たまりが出来ます。

その中には逃げ切れなかった魚がたくさんいます。それをつかまえようというのです。こんな方法を誰が考えたので

しょうか。私達も年上のものがやっていることを見よう見まねで憶えたのです。

方法は実に原始的で簡単な方法です。水たまりの残り少ない水をバケツでかい出して更に少なくするのです。

そうすると酸素不足か水が濁ってくるためか分かりませんが、魚がぷかぷかと水面に浮いてきます。

それを網ですくうのです。小さなバケツなら一杯になるほどすくえます。よくもまあこんな小さな水たまりにと思うくらい

たくさんいます。

水たまりが大きく水がたくさん残っている時には、とてもバケツなどで水をかい出す訳にはいきませんから、少し水を

かい出しておいてから、川岸に生えているタデを石ですり下ろして水に流し込みます。

タデは非常に辛みの成分がある草ですから魚がしびれて浮いてくるのです。こんな方法も先輩から後輩へと受け

継がれて来たものなのです。

こんな事を飽くこともなく、仲間達と汗をかきながら朝から晩までやっていました。

夏の終わり頃には魚を取り尽くしてしまうほどでしたが、魚はいっこうに減る気配もなく、来る年も来る年も同じ事を

繰り返していました。自然が本当に豊かだった頃の話です。

川をせき止める

もっと大きくなってからは、まだ川に流れが残っている頃、川の一部を石でせき止めて池を作ります。

池の川下には小さな入り口を作っておきます。そうしてしばらく遠くから見ていますとハエが池の中に入ってきます。

頃合いを見計らって、みんなで一斉に川に入り入り口をふさいでしまいます。逃げ場を失った大きなハエがたくさん

入っています。それを角に追い込んで、網ですくったり岩の下に逃げ込んでいるのを手でつかまえるのです。

手でつかまえる時の感触は何とも言えません。獲物をつかまえる喜びは人間の持つ本能のようなものかもしれません。

つかまえたからといって食べるわけではありませんが、他の遊びと同じで、ただ面白くてやっていました。

遊びの中でも僕たちはそれぞれの役割を決め、お互いに協力し合うことで目的を達成することを覚えていきました。

すべては自然の中で、自然を学舎として成長しました。

夏の日は長く、時には家に帰るのも忘れて遊んでいました。夏の遅い夕日が西に傾き、空が真っ赤な夕焼けに包まれる頃、

お袋の呼ぶ声で、ふと我に返り急いで家に帰ったことが、つい昨日のことのように思い出されます。

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