ーその2ー

「紙芝居」

 その他、縄跳びや鬼ごっこ、かくれんぼは、ごく普通の遊びでした。

 こんな遊びに飽きた頃、紙芝居がやってきます。握りしめたわずかばかりの小遣いで水飴を買ったり、

べっこう飴を買ったりして紙芝居を見ます。紙芝居は酒屋の前の空き地であったり、荒神さんの

空き地でやっていました。べっこう飴は漫画のキャラクター等の押し型等があって、そのほとりをきれいに

割って形が整えられたら、おじさんがもう一つおまけをしてくれました。なかなかうまくはいきませんでした。

たいていは途中で割れてしまうからです。水飴やべっこう飴は甘いものの少ない時代でしたから

大変おいしかったように記憶しています。それを大事になめながら、おじさんの紙芝居を見るのです。

 紙芝居のおじさんがどこから来て、どこへ帰って行くのか誰も知りませんでした。

それでもおじさんは毎日いつもの時間、正確ににやってきました。紙芝居にどんなものがあったのか

ほとんど記憶はないのですが、今でもぼんやりと記憶しているのは「どくろ仮面」です。むろん、

ストーリーがどうだったのか、そんな事は全く記憶に残っていません。ただ、どくろの面が不気味だった

事だけは今でも印象に残っています。

「アケビ取り」

 冬は山、夏は川というのが僕らの生活パターンになっていました。夏はまむしや蚊などがたくさん

いましたから、カブトムシやクワガタムシを捕まえに行く以外、山には入りませんでした。

夏は木が鬱そうと茂っており、昼間でも暗く、怖いような感じがしていました。

 その山も秋になると、いやな蚊やまむしも少なくなり、山にも入りやすくなってきます。

そうなると、アサダル(あきぐみ)や山なすびやアケビ等といった山の幸のシーズンです。

 アケビ取りの思い出の中で特に印象に残っているのは「ろくちょうぶ」の思い出です。

「ろくちょうぶ」と呼んでいた遠い山奥まで、アケビを取りに行った時の思い出です。

 余談になりますが、「ろくちょうぶ」と言うところがどこであったのか、本当に存在したのか、

最近、地図で調べてみたのですが、そんな地名はありませんでした。地図にも載らないような

小さな所だったのか、あるいは、その地方の人だけが使っていた地名なのか定かではありません。

 ただ、ここへ行けばアケビがあるという思いだけで行ったのです。僕が最年長でリーダー格でした。

仲間は近所の子供達5、6人くらいだったように記憶しています。人の噂だけを信じて出発しました。

行こうとみんなを誘ったものの、僕にはたどり着ける自信はありませんでした。

途中、身の丈以上のススキが生い茂る中に踏み込んでしまい、方向が分からなくなってしまいました。

途方に暮れながら、とにかく光の見えるところに出なければと言う思いで一生懸命歩きました。

無我夢中で汗だくになりながら進みました。僕らが選んだ道は目的地へ行く道ではなかったようです。

 とにかく展望のきくところに出たいと思い山頂を目指しました。その結果、やっとの思いでたどり着いた

山の尾根から下を見下ろすと、眼下には小さな集落がありました。何とも静かで、人一人見かけない

小さな村でした。突然目の前に開けた穏やかな景色に、まるで夢を見ているような感じでした。

これが本当に「ろくちょうぶ」だろうか。それともお父さんが言っていた「宇山」というところだろうか。

そんな事を考えながら、山を下りて村道に出ると、秋たけなわ、田圃は収穫期近くの稲が

たわわに実っていました。立ち並ぶ家は、こんな山奥なのにと思うような立派な農家が多かった

ように記憶しています。集落を囲むように周辺は雑木林でした。

 手近な雑木林に入ると、細い雑木にアケビの蔓が巻き付いて実がたくさん付いていました。

見上げれば宝の山です。こんなにたくさんの大きなアケビを見たのは初めての経験でした。

まるで夢の中にいるような感じでした。

 僕らが子供の頃、アケビと言えば自然から手に入る最高の果実でした。しかし、大半のアケビは

人に取られまいとして、実が十分熟さない内から取って行ってしまい、実が割れて、果肉の透けて

見えるようなものを見つけることは滅多にありませんでした。そして、毎年実を付ける場所は決まって

いましたから、先輩や友達は決して他の者にはありかを教えませんでした。それぞれの秘密の

場所だったのです。

 僕らは歓声を上げて木によじ登りました。小さな身体なのですが、相手が細い木なので大きく曲がり、

アケビが手の届く位置にまで下がってきます。木に登れないものは、それをもぎ取る役目です。

もうみんな夢中になっていました。大きく紫色に色づいた丁度サツマイモに似た外観の実です。

中には大きく割れたものもあり、透き通った実が蜜のようです。それを口に含んでは種を吐き出します。

アケビの中は大半が種です。甘い果肉は種の周りにほんの少しあるだけです。繰り返し口に含んでは

あたり構わず種をまき散らします。みんなそれぞれ満足するだけ食べて、持っていったかごの中にも

持ち帰れないくらいつめ込みました。

 夢中になりながらも頭の隅には無事に帰れるだろうかという一抹の不安がありました。

歩いてきた距離感も方向もまるで記憶がないのです。とにかく、夕方にならない内に早く

家に帰らなければ道に迷ってしまう。気ばかりが焦っていました。とにかく取れるだけ取って

大急ぎで元来た道らしき道を引き返えしました。どうやって帰ってきたのか全く覚えていません。

とにかく、たくさん取れたうれしさで、みんなうきうきしていました。帰る足取りは軽く早かった

ように思います。

 そんなにたくさんのアケビがとれた場所なのに、二度と再びその場所には行きませんでした。

と言うより行く自信がなかったのです。今にして思えば本当に不思議な出来事だった気がします。

今でも幻ではなかったのだろうかと思うくらいです。僕らの子供の頃は、大まじめで狐付きの話が

あったくらいですから、本当に狐にだまされていたのかも知れません。

忘れることの出来ない懐かしい思い出です。

「ターザンごっこ」

 冬の山での遊びの一つはターザンごっこです。僕らの子供の頃は、ターザンがあこがれの的でした。

あの独特の雄叫び声をあげて、木から木へ渡る様は本当にかっこよく見えました。僕らも負けずに

葛(かずら)を取ってきては、手頃な木の枝に結んでまねごとをしていました。親たちが見れば

肝を冷やすような事を平気でやっていました。

 家の近くの八幡様のところでは、葛が切れてしまい崖下に転落をしてしまった事もあります。

身体を思い切り地面にぶつけて、息が出来ないくらいショックを受けました。もちろん親たちには

内緒です。しかし、どんなに痛い思いをしても懲りずにやっていました。

「忍者ごっこ」

 山の窪地に木の枝や葉っぱを敷き詰め、天井や横は木の枝で囲み山小屋を造ります。

そして、ここが陣地だと呼んでいました。陣地には近くの神社の鬼瓦を持ち込んで、忍者屋敷よろしく

守り神だと言ったりして喜んでいました。そんな小屋を造ったり、また壊したりして日が暮れるまで

遊んでいました。

 外は木枯らしが吹き、粉雪が舞っていました。それでも窪地なので北風も直接には当たらず、

温かかったことを覚えています。山で飛び回っていると、次第に身体もぬくもってきます。

そうなると、しもやけがだんだんむずがゆくなってきます。やたら、しもやけがむずがゆくなり始める頃、

外の日射しは明るさを増し、春がもうすぐそこに来ていることが感じられます。暦は二月です。

長く寒い冬が終わり、やがて僕らは、もう一学年大きくなる時が近づいているのです。

                                       2000年11月14日掲載

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子供の頃の遊び  その3

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