俳句「季語」春夏秋冬

「春の季語編」

 ご存じのように俳句には季語というものがあります。季語はわずか数文字の中に、その季節に於ける情景をうまく表現

しているといわれています。従って、季語を如何にうまく使いこなすかが、俳句を作る上での苦心のいるところでもあります。

そんな季語について少し触れてみたいと思います。

 年が改まり寒い季節が終わり、やがて春がやってきます。道縁にも少しずつ緑が見え始め、おおいぬのふぐりが可憐な

花を開いています。こんな春の先駆けのような季節を「草萌える」とか「下萌」等といいます。「いぬふぐり」はそのまま季語

となっています。そして、そんな季節感を「二月尽」等と言います。余寒の頃を過ごして爛漫の春を迎える心おどるような

気持を現しています。

 そうかと思うと突然の如く寒の戻りがあり、再び冬に逆戻りといった事もあります。「冴返る」とか「余寒」と言います。

そんな日でも日中には春を感じさせるような風が吹いてきます。「東風」(こち)と言います。菅原道真の有名な短歌に

「東風吹かば、にほいおこせよ梅の花、主なしとて春を忘るな」と、この季節の情景を自分の思いを重ね合わせて見事に

詠っています。

 そんなロマンチックな思いとは裏腹に、夜な夜な猫は近隣を徘徊し恋の相手を捜すのに躍起になっています。時には

ライバル同士の激しい恋のさやあても始まります。人の心もいささか猫の毒気に当てられたような感すらあります。こんな

猫の季節を「猫の恋」とか「春の猫」等と言います。

 こうしていよいよ本格的な春になってきます。明るく輝くような春の光の中を吹き渡る風は、ある種まばゆく光るように

感じることさえあります。そんな情景を「風光る」とズバリ言ってのけています。そして目立たなかった山々にも、なにが

しかの色が戻り始め、沸き立つような季節を予感します。そんな山の感じを「山笑う」と言います。もちろん山が笑うなど

と言うことはないのですが、そうも感じられはしないでしょうか。

 そして日中はうららかな日が続きます。「うららか」もこの季節の季語となっています。春の明け方は大変物憂く布団から

出るのがおっくうです。もう少し、もう少しと分を刻むように布団の中に潜り込んでおきたいような気持です。しかし、外は

早やウグイスが鳴き始めています。「春暁」です。 そして「春昼」、「春の暮」、「春の宵」、「春の夜」と続きます。

 ビバルディーの「四季」の中の「春」に表現された一日は、めまぐるしい季節の変わり目を見事に表現しています。「春風」

の穏やかな一日が「春雨」に変わったり、ある時は「春嵐」になり、突然雷がなったりして私達を驚かせます。そう「春雷」です。

 こうして桜の季節ともなると、けだるさも頂点に達し、人の心を見透かしたようにお天気も「花曇」となります。小川には

お玉杓子が群れています。穏やかな「春の川」の流れです。川の流れに同調するかのように「春の海」もひねもすのたり

のたりかなといった情景となります。

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