幻想「吉備王国物語」

 今の総社市から倉敷市の船穂当たりまでが海岸線であった頃の事です。その頃、この当たり

一体の海は穴海と呼ばれていました。沖には大小の島が点在し、中でも児島は小豆島と並ぶ

ような瀬戸内海にあっては比較的大きな島でした。この島が陸続きになるのはずっと後のこと

です。

 吉備の国と呼ばれていたこの当たりは地味豊かな土地でした。台風などの天災も少なく米作

りも早くから始まっていました。しかし何と言ってもこの国に富をもたらしたのは食生活に欠くこ

との出来ない製塩と産業革命以上にインパクトのあった製鉄ではないでしょうか。

 県内各所に多くの製鉄を行ったと思われる「たたら」跡が発見されています。鉄の原料になる

砂鉄と製鉄に欠くことの出来ない薪炭は無尽蔵とも言えるほどありました。また、日本の温暖

多雨な気候は真夏の蒸し暑さを除けば自然を豊かにする天の恵みでした。薪炭にする槇は切

ってもすぐ根元から新しい芽を吹き数十年で再生します。

 砂鉄(磁鉄鉱)の採取は風化花崗岩を砕き水洗いして比重選別を行います。集めた砂鉄を

「たたら」という炉の中に炭と一緒に入れて何昼夜か炊き続けます。すると崩した「たたら」の底

に「けら」という鉄のかたまりが出来ているのです。これが加工され武器や農具となったのです。

「たたら」による製鉄は、江戸末期から明治の初め頃、洋式の製鉄方法が普及するまで続けら

れました。私の住んでいる児島でも砂鉄を採取したと聞いています。

 固くても折れにくいという相矛盾するような性質を持つ日本刀の製造は当然のことのように、

ここ岡山県地方でも行われました。日本有数の青江や長船という名刀の産地が出来たのです。

しかし、武器としての鉄だけでなく農具としての鉄は飛躍的に農産物を増やしました。新たなる

農地が次々と開かれていったのです。

 岡山県には数多くの古墳が存在します。わけても作山古墳や造山古墳はその規模に於いて、

地方のものとは思えないほど規模の大きいものです。これらの古墳の主は誰だったのでしょう

か。よほど富と権力を集めた人のものに違いありません。

 先日、飛鳥の「甘樫の丘」の下で焼け落ちた館と思われる炭や柱の跡が見つかったと新聞

報道等がありました。 中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)と中臣鎌足(なかとみのかまたり)

に暗殺された蘇我氏一族の館跡ではないかと言われています。大和朝廷は軍事力による地方

平定と伴に色んな懐柔策をもって地方の豪族を傘下にしていったものと思われます。そのやり

方は織田信長の天下取りと同じであったろうと思われます。

 蘇我氏もそんな豪族の一人であったかも知れません。天皇に娘を嫁がせるほどの権力を持

っていました。しかし、このことを快く思っていなかったのが中大兄皇子と中臣鎌足でした。何と

か蘇我氏の権力を自分たちの手に取り戻したい。そう考えた中大兄皇子は腹心である中臣鎌

足に蘇我氏暗殺を持ちかけたのではないでしょうか。こうして暗殺決行の日はやってきました。

宮廷の中で示し合わせた二人は蘇我氏の長男である蘇我入鹿(そがのいるか)を殺したので

す。それを知った父親の蘇我蝦夷(そがのえみし)は、一度は自分の館に立てこもって二人に

対峙しましたが、やがて自分に勝ち目のないことを知って自ら館に火を放ち自害してしまいまし

た。

 この事件が契機となって大化改新が行われ日本中の土地は全て天皇家のものになったので

す。その後、中大兄皇子は天智天皇にまた中臣鎌足は藤原姓を貰い藤原鎌足と名乗り、天智

天皇の右腕となって宮廷内で絶大な権力の座を築いていくことになるのです。蘇我氏亡き後に

自分がその権力の座に座ったのです。いつの時代も変わらない権力闘争の顛末です。

 この衝撃的な事件は恐らく恐ろしいほどの早さで地方にも伝わっていったのではないでしょう

か。それまでは大和朝廷傘下にありながら自治権のようなものを維持していた地方権力は震え

上がったに相違ありません。蘇我氏の滅亡は明日の我が身かも知れなかったからです。

 こうして地方勢力は強大な大和朝廷によって権力を奪われ配下に加わっていったものと思わ

れます。ここ吉備王国も大きな地方勢力ではありながら勢いを増す大和朝廷には逆らえなかっ

たのかも知れません。新たなる時代の始まりでした。その頃、こんな伝説が生まれました。「黒

媛伝説」です。私の創作である「黒媛伝説」を掲載し、この話を締めくくりたいと思います。

黒媛物語

 今日はようこそ吉備路へお越し下さいました。バス旅行のつれづれに、この地に伝わる黒媛

伝説についてお話を致したいと思っております。時は仁徳天皇時代と言いますから、今から千

数百年前の事になります。この地に住んでいた豪族の娘に黒媛がいました。年の頃なら十七、

八でしょうか。今で言うヤングレディで御座います。

 見目うるわしく大きな黒い瞳が愛らしい少女でした。時代は大和朝廷が日本中をたいらげ、

ここ吉備の国も大和朝廷の支配下になった頃のことであります。そんなわけで、吉備の国から

も朝廷に数多くの貢ぎ物が届けられました。貢ぎ物はこの地方の産物だけではなく、政略結婚

もまたその一つでありました。若くして仁徳天皇の元に嫁がなければならなかったのが、このお

話の主人公黒媛だったので御座います。

「それではのう、風邪など引かぬように元気で暮らせよ」

「お父様もお母様もお元気で。ご無理をなさいませぬように」

などといった言葉を交わしたでありましょうか。涙をさそうような親子の別れの場面で御座いま

した。

 当時の大和は、今の奈良県地方になりますが大変遠いところでした。新幹線でちょっと一時

間と言うわけにはいかない時代でありました。黒媛ちゃんは涙ながらに輿に揺られて嫁いでい

ったので御座います。

悲しみに暮れながらも、そこは若い娘ヤングレディで御座います。

「仁徳さんて、どんな人なんだろ。ハンサムなんだろうか。私の好きなタイプかしら」

などと考えたかどうか分かりませんが、まだ見ぬ都に少しはこころ躍らせたに違いありません。

 かくして嫁いだ都は草深い吉備の国とは大違い。都大路には大勢の人が行き交い、中には

茶髪の人や目の青い人もいました。見るものすべてがめずらしいものばかり。やがて宮殿に入

ると大勢の人が出迎えてくれました。その中に、ひときわ背が高く鼻筋の通った立派なひげを

たくわえた人がいました。そして、その横には、これまた今まで見たこともないような、きらびや

かな衣装を身にまとった美しい女性が立っていました。

「あの方が仁徳天皇さまかしら、そして、その横に立ってらっしゃるのがお后さま」

そのお后さまに、これから先どんないやな思いをさせられるか、まだ知る由もない黒媛でありま

した。その時はただ素直にすてきな天皇さまと美しいお后さまと思ったのでした。

「ラッキー、私のタイプ」

若き天皇様を見たときに、そんな気持ちだったかも知れません。天皇さまは黒媛と付き従って

来た者達に

「さあさあ、長旅ご苦労だった。今宵はゆっくり休んでくれ」

と、やさしくねぎらいの言葉をかけて下さいました。そして通されたのは黒媛のためにと建てら

れた新しい御殿でありました。

 そして明くる日の晩、天皇さまが黒媛の御殿を訪ねてこられたのでありました。緊張の余り身

を固くしている黒媛を側に呼んで

「さあ、今宵はそなたとわしの二人だけじゃ、ゆっくり酒でも酌み交わそうではないか」

「酒の肴にそなたの旅の話しなど聞かせてはくれぬか」

などとおっしゃったかどうか。

 さて、お酒の酔いも手伝って黒媛の瞼も頬もほのかにピンク色、

「さあ、もそっと近う寄れ」

と言って、御門(天皇さま)は黒媛の肩にやさしく手をかけられました。まだ初な黒媛ちゃん、び

くっと身を固くしました。しかし、女の扱いには、なれた御門であります。

「よいよい、そう固くならずともよい、何ならわしにもたれてよいぞ」

そんな言葉を交わしながら、夜は更けていきました。

 そんな甘い二人だけの夜が幾晩か続いたある夜のことであります。誰もいないはずの閨の外

に何かしら人の気配がするのであります。

「私の、気のせいかしら」

お床の中では御門がすやすやと寝息をたてておられます。コオロギの鳴き声がまた止みました。

やはり誰かがいるようであります。

 そんな事があってから数日後、黒媛は后の御殿に呼ばれました。后は閨のことや御門と交わ

した話のことなどしつこく聞きただされるのです。

「そう言えば召使い達が前の側室も后の嫌がらせで宿下がりをしたことを話していた。もしやこ

の事では」

「そう言えば、この前の晩から御門が来られると必ず部屋の外に人の気配を感じていたが」

「私達の部屋まで来られるものは、后をおいて他にはいないはず」

二人の閨をのぞき見ていたのは后だったようです。后は磐媛(いわひめ)と言いました。大変嫉

妬深い人だったようで御座います。

 さて、皆さん。ここから黒媛の悲しい恋の物語が始まるのであります。せっかく御門に愛され

ながらも別れなければならなかった黒媛、黒媛の運命はいったいどうなるのでしょうか。黒媛も

御門と情を交わす内に、今ではすっかり好きになっていました。

「愛しちゃったのよ」

と言ったかどうかは分かりませんが、若い娘の恋の炎はメラメラと燃え上がったので御座いま

す。しかし一方、后の嫉妬心はつのるばかりでした。御門は后のことなど振り向かず黒媛の虜

になってしまっていたのですから。

 激しい恋には悲しい別れがつきものであります。

「こんな事やってられないわ」

と思ったかどうか、ある日、黒媛は思い切って御門に申し上げたので御座います。

「陛下、どうやら私身ごもってしまったようですわ。しばらく里の方に帰らせて頂こうと思いますの」

そう切り出されて御門は驚きました。しかし、身ごもったとなると、そのままにしておくわけには

いきません。今までの習慣として宿下がりも止むを得ない事なのであります。

「ううむ」

と言ったきりで、次の言葉が出ませんでした。御門もまだうら若き男であります。今までの側室

には感じたことのない恋心を抱いていたのであります。黒媛が宿下がりをと言い出した背景に

は后の嫉妬があることに薄々気が付いていたので御座います。

「宿下がりとあれば仕方がない」

と、残る未練を断ち切るように宿下がりを許したのでありました。こうして黒媛は再び訪れること

はないであろう都を後にしたので御座います。

 しかし、未練断ちがたい御門は、わずかばかりの供を連れて、そっと黒媛達の後を追いました。

そして、難波津(なにわづ)の港まで来て黒媛達が乗った船を見送ったので御座います。

「あれ、御門があれに」

「御門が手を振っていらっしゃる」

黒媛の大きな黒い瞳からは大粒の涙がはらはらとこぼれ落ちるので御座いました。

「さようなら、お元気で、さようなら・・・」

と叫んだかどうか今は知る由もありません。ただただ、涙涙の別れでありました。

 そして、船は吉備の国の港に着いたのであります。港には、ことのいきさつを知ったお父さん

やお母さんが迎えに来ていました。お父さんは海部直(あまべのあたえ)という、この地方を支

配下におく豪族でありました。海部というのは、海の交易などを取り仕切るものを指す言葉で

あります。従って、専用の港や船を持っていたのかも知れません。それはともかく、両親にとっ

ては黒媛の悲しみよりも帰ってきてくれた事の方がうれしかったのであります。

「おお、おお、よう帰ってきた。さあ、さあ、疲れたであろう」

「おい、お母さんや早う湯にでも入らせてやらぬか」

などと言ったかどうか。ともかくも下へも置かぬような大歓迎でした。元々、美しい娘だった黒媛

は、御門の寵愛を一身に受け、更に美しい女性になっていました。色気むんむんと言ったところ

で御座いましょうか。その姿を遠目に見た村人達は「ほっと」声にならない、ため息をついたほ

どでありました。

 こうして再び生まれ故郷での生活が始まりました。いつしか都のことも激しい后の嫉妬の事も

忘れかけておりました。穏やかな田舎の暮らしが傷ついた黒媛の心を癒してくれたのであります。

一方、都にいる御門の心はいっこうに晴れませんでした。愛する人と離れてみれば、なおさら

未練がつのるのであります。こうしたある日、そっと宮殿を抜け出すと、わずかばかりの従者を

連れて一気に西国へ下ったのありました。そうです。目的はただ一つ、黒媛の元へ行くことなの

でありました。

 吉備の国を目指した御門は、急ぎに急いで黒媛の元へやって来たのです。その姿を見て驚い

たのは吉備の国の人々でした。今をときめく仁徳さんが来たのです。それも田舎では見たこと

もない眉目秀麗な若者でありました。村の娘達が「ワア、ワア、キャー、キャー」と騒いだのも無

理はありません。

「きゃー、すてき」

などと言ったかどうか。ともかく村は上へ下への大騒ぎとなったのであります。その騒ぎはすぐ

に海部直の元にも黒媛の元にも届きました。

「おい、黒媛や御門がおいでになられたとか」

「ええ、私も今し方聞いたばかりで御座います」

「さあ、みんなで村の入口まで迎えに参ろうではないか」

こうして大勢の村人と黒媛、そして黒媛の両親が御門を迎えたので御座います。

「やあ、黒媛ちゃん元気だった」

そんなことを言うわけはないのですが、久々に出会った二人は、何か二言、三言、交わしたに

違いないのであります。もう、黒媛の目には涙がいっぱいでありました。懐かしい人、恋しい人

がこうして、はるばる自分を訪ねてくれたのであります。もう、心の中はうれしさでうるうるになっ

ておりました。

 その晩は大宴会でありました。もとより漁師村、そして広大な農地を持っている吉備の大国

です。宴席には山海の珍味が山ほど並んだのであります。

「さあ、今宵は無礼講じゃ。村の衆にも酒を与えてやれ、食べ物も持たせてやれ」

お父さんは大喜びでありました。

「さあ、お母さんや、宴(うたげ)の準備じゃ」

などと言ったかどうか。 

 こうして帝はしばらくの間、お忍びでこの地にとどまることになったので御座います。その時に

詠まれた歌が今も伝えられているこのような短歌(うた)で御座います。

「山形に蒔ける青菜も吉備女と共にし摘めば楽しくもあるか」

あとがき

 長らくのご静聴ありがとう御座いました。つたない私の作り話、お楽しみ頂けましたでしょうか。

今はただ、断片的な言い伝えがあるだけの黒媛の話ですが、かつて、この吉備の国が大和朝

廷にも匹敵するような強大な国であったことは間違いないようです。この後も、この地から中央

政府で活躍した吉備真備や和気清麻呂といった傑出した人物を輩出している事からも推測で

きるのです。

 また、この地が海山の産物に恵まれていただけではなく、当時にあっては金にも匹敵するよ

うな貴重な金属である鉄を産出した事も下記のような短歌からも推測できます。

 吉備津神社には今も行われている鳴釜の神事があります。そして、総社市に残っている「鬼

の城」の麓に「阿曽」という集落があります。この地は昔から鋳物業に携わる人がたくさん住ん

でいました。そして、この地の女性が今も鳴釜の神事に携わるようになっています。そんな事か

ら、ひょっとすれば黒媛もここの村の娘で、そのような神事に携わる巫女であったのかも知れ

ません。大変興味深い話です。

 また、下で紹介する和歌の中に出てくる「真金吹く」とあるあるのは、この地方の和歌を詠うと

きに好んで使われる「枕詞」です。この「真金」は当時この地方で盛んに作られていた鉄のこと

です。「枕詞」にも使われるほど盛んに生産されていたのではないかと推測されます。

勝山町の言い伝え

 勝北町山形というところで、昔から語りつがれてきた仁徳天皇と黒媛のロマンに満ちた物語

は、「新野村史」の「吉備の中山と黒媛」に詳しく紹介されています。「古事記」にみえる仁徳天

皇が山形の地に黒媛を訪ねたときに作られたという

「やまがたに・まけるあおなも・きびびとと・ともにしつめば・たぬしくもあるか」

「山形に蒔ける青菜も吉備女と共にし摘めば楽しくもあるか」

という歌は、天皇がこの山形の地で詠まれたものだそうです。今は山形仙とも呼ばれています

が、四、五十年前までは「中山仙」と言っていたところです。古来、中山の名で呼ばれていた美

しい山です。古歌に詠まれた吉備の中山は、この山形とも呼ばれている中山を詠まれたものと

解釈されており、その山容の美しさに加えて、細谷川の地名等、古歌の内容もこの地にゆかり

が深いと思われるものが少なくありません。古歌を抄録して参考とします。

大歌所御歌    真金吹く吉備の中山帯にせる細谷川の音のさやけさ

御 集       真金吹く吉備の山風打とけて細谷川に岩そそく也        御鳥羽院御製

夫水集       苗代に細谷川をせきとめて吉備の山田は帯をひく也      公朝

           真金吹く音絶えにけり五月雨の日数ふりゆく吉備の中山    道経

           冬くれば細谷川に氷して玉の帯する吉備の中山         実家

           谷川の氷の帯や結ぶらん音こそきかぬ吉備の中山       西園寺

名寄        春くれば麓めくりの霞こそ帯とは見ゆれ吉備の中山

以上の歌に詠まれた「中山」の地は、山深い帯のような山田があり、冬は雪が降り氷のはる勝

北の山形と一致するように思われます。

 また、山形の字(あざ)名には「黒目」は黒媛が住んだ所といわれ、八幡神社の若宮の社地は

今も若宮と呼ばれており、黒媛の父「海部直」(あまべのあたえ)の居館の跡といわれています。

そこから、五、六百メートル西にある「桜の土居」には、桜御殿と呼ばれるところが仁徳帝の行

宮(あんぐう)のあった跡と伝えられ、古い桜樹が茂っています。また、「黒目の土居」には黒目

畑と呼ばれるところがあり、ここは黒媛が青菜を摘んで仁徳天皇に差し上げた畑の跡であると

伝えられています。

 黒媛は吉備の海部直(あまべのあたえ)の娘で、容姿端麗であったために都に召され、仁徳

天皇の寵愛を受けながら、皇后の磐媛(いわひめ)の嫉妬(しっと)にあい山形の地に帰された。

その黒媛を慕って仁徳天皇がわざわざ草深い山形まで行幸されたことを思うと、いにしえの高

貴な方たちのおおらかな人柄がしのばれ、美しい中山の麓の桜御殿で営まれた、はかなくも仲

むつまじいお二方の暮らしが想像されます。

 この伝説は、八幡神社の由緒に記されているそうですが、千五百年もの昔の真実を知る由も

ありません。山形の地が「山方」「山県」とも書かれ、その土地も特定されず、いろいろな説もあ

るようですが、いずれにしても、勝北の地に伝えられている仁徳天皇と黒媛のロマンの伝説が

あることを紹介しておきます。

上記文章は勝北町史(平成3年3月発行)の抜粋からを転用させて頂きました。

                                        2005年12月21日掲載

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