私は小学校に上がるくらいまでは大変病弱でした。ともすれば病気やけがをして、両親に心配をかけていました。

道で転んだり、父親の自転車の後輪に足を巻き込まれたり、転んで額にけがをしたり、階段から転げ落ちて頭に

何針も縫うような大けがをしたこともありました。どじで慌て者、その上、運動神経も俊敏とは言えませんでした。

今でも、そのことを少し負い目に感じています。親兄弟や親戚にも、そんな者はいませんから、あるいは私だけの

形質かも知れません。

 しかし、小学校へ上がってから、めきめき丈夫になっていきました。小学校の低学年でこそ学校を休んだことも

ありましたが、小学校高学年、中学校、高等学校と、一日も休むことなく皆勤賞を貰った数少ない生徒の一人です。

 今にして思うのは、自分というものを自覚し始めた頃から健康になってきたような気がします。人間の心と体は

表裏一体のものだと言われています。自覚が自分の健康を支えてくれたような気がします。その上、ふる里の山や

川といった自然が、私を育ててくれたような気がします。学校にいる間を除き、夏は川、冬は山と、来る日も来る日も

同じような事をして遊んでいました。 夏休みの大半は川で過ごしました。冬休みの大半は山で過ごしました。今の

時代よりは、自然が大変身近にあった時代です。

 ファミコン世代の今の子供達に自然とふれあう時間があるのでしょうか。学校が荒れたり、不良少年が増えていく

背景には、こんな時代の違いも影響しているのではないでしょうか。

 話は横道にそれてしまいました。そんな訳で、特別何をしたという事はないのですが、今の私の体の基礎が出来た

ように思います。高校時代は電車通学でした。福山駅から学校まで約3キロ近くを毎日歩いて通学しました。それこそ、

一日たりとも休むことなく、黙々とまじめに通学しました。学校に教科書や製図道具など置いて帰るものもいましたが、

私は重い鞄を持って通いました。そんな訳で、今も私の右肩は少し下がっています。

欲も度を超すと命取り

 人間の心と体は表裏一体だと言いました。人間は欲の塊ですが、欲がある内は健康を損なうようなことはありません。

しかし、その欲も程度を越すと、命取りになったり、大きく健康を損なうことになったりします。私も畑が好きで、若い頃

から、あれもやりたい、これもやりたいと手を広げすぎ、それこそ寝る時間を惜しんで畑作りに没頭して来ました。

 そんな無理を長い間続けている内に、自分の体の一番弱いところに病気が出てきました。私の場合は消化器系統

です。胃腸に始まって、ついには痔になり、結局、手術を受けて治療することになりました。そんなことがあって、これでは

いけないと方針を一変しました。程々にするようにしたのです。私の性格はすべてのことにおいて、徹底的にしなければ

気が済まないのですが、ここもう一つと言うところで止めるようにしたのです。場合によっては、それで失敗することも

ありますが、もともと趣味でやっているのですから生活に困るような事はありません。収穫が少し減だけで、今年は

ダメだったで済むのです。

常に新しいものを追い求めて

 新しいものに挑戦する、これも欲の一つです。趣味は生活に張りを持たせ、これを済ましたらあれをやろうと、苦しい

仕事や、いやな仕事の励みになります。そして、趣味は多い方が良いと言います。私の場合は,趣味が多すぎて、

いささか持て余し気味です。(笑)

 今は畑よりパソコンが優先しています。パソコンも初めた頃は、肩が凝るような思いの時もありましたが、ある程度の

時間と苦しさを克服すると楽しさに変わりました。今では家内に皮肉を言われる位、はまってしまいました。

 仕事の上でもパソコンの力を借りないと何もできないような状態で、パソコンに大いに助けられています。手作業では

3時間かかるような仕事でも、1時間もあれば片付けてしまいます。

 パソコンを使い初めてからは、ものの考え方も合理的になり、多面的にものを見たり、考えたり出来るようになりま

した。自分でも頭が随分柔軟になったような気がします。私の頭はパソコンと共に成長しているような気さえしています。

心のありようが身体を支える

 これから高齢化社会を迎えますが、私達を支えてくれる若い人達は相対的に減少しています。私達も若い人に

依存する事なく、自分の力で生きて行かなくてはならない時代だと思っています。そんな時代に生きるものとして、

何か生き甲斐を見つけることは必要欠くべからざるものです。

 精神が若いと、体も若々しくなります。体を若々しくするというのは、赤や黄色の派手な服で、我が身を飾れと

言うのではありません。心の持ちよう一つで健康が保たれるということなのです。卑近な例えですが、政治家が

得意の絶頂期にあるときは、顔の艶も皮膚の張りも立ち居振る舞いもしゃきっとしているのに、自分の足下を

すくわれるような事件に遭遇すると、人が変わったようになってしまいます。それくらい、人間は心というものが自分

というものを支えているという証拠ではないでしょうか。

 世界に名だたる芸術家といわれる人の多くは大変長命です。これも肉体よりは精神が勝っているという証拠だと

思います。何かを造る。新しいものを常に追い求める前向きな精神が肉体を支えているのです。

 私には、このような大家のまねは出来ませんが、せめて自覚だけは常に持ち続けたいと思っています。高僧が

長生きであるというのも、やはり自分自身というもののあり方を正しく認識して生きているからでしょう。私達凡人は、

とても高僧のようには行きませんが、少しだけでもその心境に近づきたいものだと思っています。

                                                  1999年11月12日掲載

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