活弁映画上映会始末記

 私は昨年の十月に地球一周クルーズのピースボートに乗った。その船の中で一人の活弁士

に出会った。名前を佐々木亜希子さんと言い、うら若い乙女であった。そもそも活弁士なるもの

が未だ存在していることも不思議だったが、見目麗しい乙女が活弁士であることの方がもっと

意外だった。

 私自身、活弁士になりたかったほど徳川夢声さんなどの語りにあこがれていた。それだけに

彼女の語りが何故か忘れられなかった。彼女の語りは往年の活弁士の語りとは少し異なって

いた。大仰なところがなく、非常に平易な語り口調であった。従って、画面に出てくる人物の口

の動きと違和感なく、そのまま映画に入っていくことが出来た。終わってみればたった一人の

弁士だったことに改めて感動した。そんな佐々木亜希子さんの活弁にすっかり魅了されてしま

ったのである。

 船から降りたら一度は他の人にも体験して貰いたいという思いをずっと抱いていた。しかし、

どこでどのようにすれば良いのか全く検討がつかなかった。そこで、私が所属している児島文

化協会に何とかならないだろうかと相談を持ちかけた。秋の市民文化祭の中で公演できない

かと事務局長に相談してみたのである。事務局長は簡単に話しに乗ってくれ、よしやってみよ

うと言うことになった。

 よしやってみようと言うことにはなったのだが、ことはそう簡単にいかなかった。と言うのも、

私達が船の中で見た公演では、彼女一人が乗ってきてビデオテープになっている無声映画を

ビデオレコーダーとプロジェクターを使って放映するという方法だった。この方法ならば彼女一

人が来てくれれば、どこででも公演は可能だと考えていたのである。

 ところが実際はそう簡単なものではなかったのだ。まず、彼女はプロダクションに所属してお

りフリーではなかった。従って、彼女が所属しているプロダクションを通して出演交渉しなけれ

ばならなかった。そして、ビデオテープさえ持ってくれば良いと考えていたのだが、実は生のフ

ィルムをマツダ映画社から借用しなければならなかった。このフィルムのレンタル料がけっこう

高かったのだ。

 こんな事から、肝心な費用について相手もはっきり言わないし、こちらも高い料金を取られる

のではないかという懸念があって、お互いにきちんとした交渉をしないままに推移した。結局、

プロダクションとしては破格の費用で派遣しましょうと言うことになった。私としては引くに引け

ない状態の中で、何かしら相手の好意に甘えているようで心苦しい思いのままに公演の日は

近づいた。公演の日が近づくとともに何か無理をしているようで、すっきりとした気持ちにはな

れなかった。その上、会場に予定していた公民館がアスベスト問題で使えなくなると言うアクシ

デントも重なってしまった。

 会場問題が発生したときに、初めから無理だったのだと断念することにした。しかし、講演中

止の電話をするとフィルムは既に手配済みで、中止になれば使わなくてもレンタル料の支払い

が必要だとの事だった。引くに引けない状態の中で架橋記念館に映写室があることが分かり、

ここが使えないかと交渉をしてみた。幸いなことに児島公演の予定日である11月4日(金)は

空いているとの事だった。

 こうして、会場問題が解決し一気に具体化に向けて動き始めた。整理券とビラを印刷し、児

島市民文化祭の全体会議の席で活弁映画の上映に至った経緯を説明し協力をお願いした。

整理券を配布し、当日は是非来てくれるようにお願いした。一番気がかりだったのは整理券を

受け取った人が本当に来てくれるかどうかだった。空席が目立つようでは東京から来てくれる

活弁士の佐々木さんやマネジャーさんに顔向けが出来なかった。

 十月の上旬、ピースボートの同窓会で上京したとき佐々木さんのマネジャーであり、プロダク

ションの責任である山添さんに会った。私が宿泊することになっていた東京の鶯谷界隈は佐々

木さん達が活弁公演を始めた最初の場所であった。私が泊まったホテルのロビーが打合せ

の場所であり、ホテルの真向かいの東京キネマ倶楽部というところが公演の場所だった。何

かしら、この頃から縁浅からぬものを感じ始めていた。

 こうして、様々な試行錯誤や紆余曲折があって当日を迎えた。日本各地からピースボートの

仲間達が佐々木さんが来てくれるというので児島公演に駆けつけてくれた。地元からも配布し

た整理券を受け取った大半の人が来てくれた。百五十席が満席になるような大盛況であった。

また、公演の後の感想もすこぶる良かった。また、次回もぜひやって欲しいという希望を何人

もの人から聞いている。次回公演は私にとって大きな課題だが是非実現したいと思っている。

 今回の上映映画は小津安二郎監督の初期の作品で「生れてはみたけれど」という小学校へ

通う二人の兄弟が主役の映画だった。子供達の世界と大人達の世界を対比して描いて見せ

た分かりやすい映画だった。また、戦前のサラリーマン家庭の様子が良く分かる映画だった。

スローシネマ              佐々木亜希子さんが所属しているところです。

佐々木亜希子さんのサイト      ここからは彼女のブログへもリンクしています。

                          倉敷美観地区での体験記なども書かれています。

                                     2005年11月20日掲載

シネマの世界へ戻る

ホームへ戻る