山陽本線福山駅から福塩線に乗り換えて15分もすると神辺に着きますが、途中、横尾駅を少し過ぎた当たりから

神辺平野が広がり始めます。神辺平野とはいっても、今は福山のベッドタウンとして住宅開発が進み、昔の面影は

なくなっています。この神辺平野一体には古くから腹が臨月のように膨れ、次第に体が衰弱し、死に至るという

恐ろしい病気がありました。多くは農民が感染し、風土病として恐れられていました。

江戸時代末期、この病気の原因を究明して何とか農民の苦しみを救いたいと考えた人がいます。

若き漢方医、藤井好直です。藤井は誰か共に対策を考えてくれるような医師はいないかと、二度にわたって「片山記」なるものを

書いています。後に、この病気が日本各地に点在する日本住血吸虫であることが解明された際、最初に、この寄生虫病の対策の

必要性を説いた藤井医師に敬意を表して、日本住血吸虫、別名「片山病」と名付けられました。

片山は神辺平野の片隅にぽつんと存在する小山です。周辺に連なる山もなく、田圃の中の小さな島のようです。

神辺平野は古くから、この地方有数の穀倉地帯でした。後に、この病気が小さな寄生虫によって引き起こされる病気で

あり、対策は中間宿主である宮入貝を駆除しなければ根絶できないことが分かりました。

私が子供の頃、農民が田圃に入る田植え前、大々的に石灰窒素などを大小の河川すべてに散布していたことを思い出します。

小学校に通学していた頃、古い町並みには不似合いなほど白い瀟洒な建物がありました。これが片山病研究所だったのです。

私は通学の途中、怖いものを避けるように足早に、この研究所のそばを通り抜けていたことを思い出します。

建物からは時々白い上っ張りを着たきれいな女の人が出入りをしていました。怖さときれいな女の人との対比が

とても奇妙で、そっと中を覗いてみたいような誘惑にかられたこともあります。

カワニナより小さな巻き貝、後に発見者にちなんで名付けられた宮入貝は一度だけ見たことがあります。

この巻き貝も、今は標本でしか目にすることは出来ませんが、かって、この貝の生息していた高屋川も、今は見る影も

なく汚染しきったどぶ川に変わり果ててしまいました。川を汚染している合成洗剤は、わずかな濃度でも宮入貝も

病原体である日本住血吸虫の中間体、セルカリアもたちどころに殺してしまうそうです。川の汚染が根絶に手を貸した

ことは何とも皮肉なことと言わざるを得ません。

「死の貝」と題されたこの本は、日本では忘れ去られようとしている寄生虫病である「片山病」について、実に

克明に歴史を追って書かれています。

片山病、宮入貝、片山病研究所、生石灰、石灰窒素、これらの言葉は、まるでキーワードのように私の記憶の中に

眠っていました。そのキーワードを線と線で結びつけてくれたのが、今回読んだこの本でした。

作者は小林照幸さんです。文芸春秋社から刊行されています。私は友人の薦めで読ませてもらいました。

今、改めて感動しています。

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