「環境問題と私達の生き方」

 2008年7月には洞爺湖でサミットが開かれました。テーマの一つは地球温暖化防止問題

でした。開催まではマスコミも色んな形で取り上げていましたが、終わってしまうと急速にトーン

ダウンしてしまいました。

 実は、地球の温暖化は、こうしている内にも徐々に進行しています。私達が今のままの生活

スタイルを変えない限り、終わることのない地球温暖化問題なのです。従って、洞爺湖サミット

や京都議定書の批准が終わりなのではなく、これからが始まりなのです。

 実は今から16年前の1992年に、ブラジルのリオ・デ・ジャネイロで「環境と開発に関する

国連会議(環境サミット)が開かれました。この席で並み居る世界の首脳陣を前に、たった

12歳の少女が衝撃的な演説を行いました。少女は日系4世のセヴァン・スズキです。彼女の

演説を要約したものがありますので紹介します。

『こんにちは、セヴァン・スズキです。エコを代表してお話しします。エコというのは、子供環境

運動(エンヴァイロンメンタル・チルドレンズ・オーガニゼェーション)の略です。カナダの12歳

から13歳の子どもたちの集まりで、今の世界を変えるためにがんばっています。あなたがた

大人たちにも、ぜひ生き方をかえていただくようお願いするために、自分たちで費用をためて、

カナダからブラジルまで1万キロの旅をして来ました。

 今日の私の話には、ウラもオモテもありません。なぜって、私が環境運動をしているのは、

私自身の未来のため。自分の未来を失うことは、選挙で負けたり、株で損したりするのとは

わけがちがうんですから。

 私がここに立って話をしているのは、未来に生きる子どもたちのためです。世界中の飢えに

苦しむ子どもたちのためです。そして、もう行くところもなく、死に絶えようとしている無数の動物

たちのためです。

 太陽のもとにでるのが、私はこわい。オゾン層に穴があいたから。呼吸をすることさえこわい。

空気にどんな毒が入っているかもしれないから。父とよくバンクーバーで釣りをしたものです。

数年前に、体中ガンでおかされた魚に出会うまで。そして今、動物や植物たちが毎日のように

絶滅していくのを、私たちは耳にします。それらは、もう永遠にもどってはこないんです。

 私の世代には、夢があります。いつか野生の動物たちの群れや、たくさんの鳥や蝶が舞う

ジャングルを見ることです。でも、私の子どもたちの世代は、もうそんな夢をもつこともできなく

なるのではないか?あなたがたは、私ぐらいの歳の時に、そんなことを心配したことがありますか。

 こんな大変なことが、ものすごいいきおいで起こっているのに、私たち人間ときたら、まるで

まだまだ余裕があるようなのんきな顔をしています。まだ子どもの私には、この危機を救うのに

何をしたらいいのかはっきりわかりません。でも、あなたがた大人にも知ってほしいんです。

あなたがたもよい解決法なんてもっていないっていうことを。

 オゾン層にあいた穴をどうやってふさぐのか、あなたは知らないでしょう。死んだ川にどうやって

サケを呼びもどすのか、あなたは知らないでしょう。絶滅した動物をどうやって生きかえらせる

のか、あなたは知らないでしょう。そして、今や砂漠となってしまった場所に、どうやって森を

よみがえらせるのかあなたは知らないでしょう。

 どうやって直すのかわからないものを、こわしつづけるのはもうやめてください。ここでは、

あなたがたは政府とか企業とか団体とかの代表でしょう。あるいは、報道関係者か政治家かも

しれない。でもほんとうは、あなたがたもだれかの母親であり、父親であり、姉妹であり、兄弟

であり、おばであり、おじなんです。そしてあなたがたのだれもが、だれかの子どもなんです。

 私はまだ子どもですが、ここにいる私たちみんなが同じ大きな家族の一員であることを知って

います。そうです50億以上の人間からなる大家族。いいえ、実は3千万種類の生物からなる

大家族です。国境や各国の政府がどんなに私たちを分けへだてようとしても、このことは変え

ようがありません。私は子どもですが、みんながこの大家族の一員であり、ひとつの目標に

向けて心をひとつにして行動しなければならないことを知っています。

 私は怒っています。でも、自分を見失ってはいません。私は恐い。でも、自分の気持ちを世界

中に伝えることを、私は恐れません。私の国でのむだ使いはたいへんなものです。買っては捨て、

また買っては捨てています。それでも物を浪費しつづける北の国々は、南の国々と富を分かち

あおうとはしません。物がありあまっているのに、私たちは自分の富を、そのほんの少しでも

手ばなすのがこわいんです。

 カナダの私たちは十分な食物と水と住まいを持つめぐまれた生活をしています。時計、自転車、

コンピューター、テレビ、私たちの持っているものを数えあげたら何日もかかることでしょう。

2日前ここブラジルで、家のないストリートチルドレンと出会い、私たちはショックを受けました。

ひとりの子どもが私たちにこう言いました。「ぼくが金持ちだったらなぁ。もしそうなら、家のない

子すべてに、食べ物と、着る物と、薬と、住む場所と、やさしさと愛情をあげるのに。」家もなにも

ないひとりの子どもが、分かちあうことを考えているというのに、すべてを持っている私たちが

こんなに欲が深いのは、いったいどうしてなんでしょう。

 これらのめぐまれない子どもたちが、私と同じぐらいの年だということが、私の頭をはなれま

せん。どこに生れついたかによって、こんなにも人生がちがってしまう。私がリオの貧民窟に

住む子どものひとりだったかもしれないんです。ソマリアの飢えた子どもだったかも、中東の

戦争で犠牲になるか、インドでこじきをしてたかもしれないんです。もし戦争のために使われて

いるお金をぜんぶ、貧しさと環境問題を解決するために使えばこの地球はすばらしい星になる

でしょう。私はまだ子どもだけどこのことを知っています。学校で、いや、幼稚園でさえ、あなた

がた大人は私たちに、世のなかでどうふるまうかを教えてくれます。たとえば、

* 争いをしないこと

* 話しあいで解決すること

* 他人を尊重すること

* ちらかしたら自分でかたずけること

* ほかの生き物をむやみに傷つけないこと

* 分かちあうこと

* そして欲ばらないこと

 ならばなぜ、あなたがたは、私たちにするなということをしているんですか。なぜあなたがたが

こうした会議に出席しているのか、どうか忘れないでください。そしていったい誰のためにやって

いるのか。それはあなたがたの子ども、つまり私たちのためです。あなたがたはこうした会議で、

私たちがどんな世界に育ち生きていくのかを決めているんです。

 親たちは、よく「大丈夫。すべてうまくいくよ」といって子供たちをなぐさめるものです。あるいは、

「できるだけのことはしてるから」とか、「この世の終わりじゃあるまいし」とか。しかし大人たちは

もうこんななぐさめの言葉さえ使うことができなくなっているようです。おききしますが、私たち

子どもの未来を真剣に考えたことがありますか。

 父はいつも私に不言実行、つまり、なにをいうかではなく、なにをするかでその人の値うちが

決まる、といいます。しかしあなたがた大人がやっていることのせいで、私たちは泣いています。

あなたがたはいつも私たちを愛しているといいます。しかし、私はいわせてもらいたい。もしその

ことばが本当なら、どうか、本当だということを行動でしめしてください。最後まで私の話をきいて

くださってありがとうございました。』

 彼女の演説の全文を紹介しました。この演説に今日的な問題の全てが凝縮されているような

気がします。みなさんはこの演説を読んで、どのように感じられましたか。この演説があって

16年が過ぎてしまいました。この間、何か変わったことがあったでしょうか。事態はほとんど

変化していません。変化していないどころか、ますます深刻さの度合いを強めています。私達は

この16年間いったい何をしてきたのでしょうか。

 私はこの演説内容を聞いたとき非常なショックを受けました。社会人になって40数年間、

労働組合の役員として、ひたすら組合員の幸せを願い生活向上のためにがんばってきました。

しかし、今になって思えば物質的に豊になることが本当に幸せだったのか自問自答しています。

やってきたことの全てが間違いだったとは思いませんが、何か大切なことを忘れていたような

気がしてなりません。

 所得が増え家庭の中に便利な電気器具が増え、ついには夢にまで見た自家用車まで手に

入れることが出来ました。ほんの数十年前のことです。労働運動の目標はヨーロッパに追い

つけ追い越せでした。そして、最終目標だったのがアメリカでした。この間、ひたすら赤旗を

振ってがんばってきました。

 昭和30年代には農村から多くの人材が都会や工業地帯へと移動しました。まるで民族の

大移動のような状況でした。「ああ上野駅」という流行歌が大ヒットしたのもその頃の事でした。

 その結果、田舎は次第に人口が減り過疎化していきました。今の中国と同じように都会と

田舎には大きな経済格差が出来たのです。

 地方産業は衰退し若者の仕事がなくなりました。田舎には取り残されたお年寄りばかりが

増え続けています。そして、一村まるごと消滅したところも少なくありません。また、いずれは

廃村になるようなところもたくさんあると聞いています。こうした運命にある街や村を限界集落と

呼んでいます。後期高齢者という言葉と同じようにいやな言葉です。

 田畑は高い機械を買わなければ維持できなくなりました。こうした機械は農機具会社を育て

ましたが農家にとっては大きな経済的負担となりました。設備費にお金がかかるため世界一

高いと言われる農作物になってしまいました。また、工業製品の輸出の肩代わりに諸外国から

安い農作物を輸入するように迫られ続けてきました。

 今、農業は疲弊しきっています。日本の食糧自給率はエネルギー換算で40パーセントだと

言われています。その上、更に農作物の関税引き下げと輸入増を迫られています。日本の

農業はいったいどうなっていくのでしょうか。農家ならずとも大変気にかかる事態です。農村では

老いた身に田畑の維持管理が重くのしかかっています。

 また、今は田舎も都会も関係なく、信じられないような凶悪事件が増えています。何故なの

でしょうか。親が子を殺し、子が親を殺す。お金目的ではない衝動的な殺人が増えています。

同じ屋根の下に住んでいながら親子の会話がないという孤独な人が増えています。貧しくとも

丸い食卓を囲み裸電球の下で身を寄せ合って生きてきた時代には絶対になかったことです。

貧しいが故に母は自分の食べるものを我慢しても子ども達に食べさせました。それでも家族は

お互いのぬくもりを感じつつ生きてきました。

 実はこの傾向は日本だけのものではありません。特に先進国と言われる国に共通した事なの

です。何が原因なのでしょうか。

 豊になることは確かに良いことです。しかし、何かを犠牲にして得た豊かさは本当の豊かさとは

言えないのではないでしょうか。今、戦後一貫して築き維持してきた社会システムがことごとく

行き詰まりを生じ破綻しています。(生きていく上でもっとも必要な医療制度や社会保障制度など

です。経済発展のお手本にしてきたアメリカでは既に以前から完全に壊れています)

 そうした事に対する不安は少なからず私達の心を揺さぶっています。何かが変わらなければ、

そして何かを変えなければならない時なのではないのでしょうか。私は4年前の南半球一周の

旅先でセヴァン・スズキの演説を聞き、旅先で見た地球温暖化現象に大きな衝撃を受けました。

帰国以来、迷うことなく地球温暖化防止のために残り少ない人生を捧げようと決断しました。

 私が今まで正しいと信じてしてきたことに対する償いをしようと決断し、今日まで活動を続けて

きました。しかし、長くこの地域との関わりがなかったために、なかなかそのきっかけがつかめ

ませんでした。やっと最近になって多くの知己を得ることが出来、行動範囲が広がって形ある

ものが見え始めました。

 みなさんに地球温暖化問題や環境問題を語りつつ私が社会人になって以来こつこつと続けて

きた、社会を良くしよう、人の生活を良くしようといった活動は、形こそ違えこれからも続けて

いかなければならないものだと思っています。私の「人のために何かを」という活動は生涯を

かけての仕事のようになってしまいました。

 そして、環境問題も社会問題もその背景にある経済問題も根は同じところにあるような気が

しています。キーワードは人間です。欲望の固まりのような人間そのものを何とかしなければ、

全ての問題は片づかないのではないか。仮にこうした欲望を巧みに操って人間を支配しようと

しているものがいるとすれば、私達は彼らの操り人形ではないか。早く、私達自身がその事実

に気付き反省しなければいけないときに来ているのではないかと思っています。

 すでに16年も前に、たった12歳の少女には、おぼろげながらもそのことが見えていたのでは

ないでしょうか。私達、大人のように欲望の赴くまま行動してきたものには見えない何かを感じて

いたのではないでしょうか。解決の道は一つではありません。本当の道が幾つもあるように、

どの道を選んでも目標さえ見失わなければ必ず目的の地には着けるはずです。

 実は先日、浮世絵展に行きました。その絵の中に「はさみ虫」が描かれていました。「はさみ虫」

をご存じでしょうか。お尻に小さなはさみがある黒い虫です。私達の身の回りにはたくさんいて、

サソリのように石の下に隠れていた小さな虫です。ところが最近、この虫の姿を全く見なくなった

のです。いったいどこへ消えてしまったのでしょうか。人目に付かないようにひっそりと生きて

きて、ひっそりと誰知らぬままこの地球上から姿を消してしまったのでしょうか。

 オケラを知らない若者もいます。カマドウマという昆虫を見たことがありますか。私達世代が

知っていて、それを知らない世代がいる。それくらい急速に色んな生き物がこの世界から姿を

消しているのです。

 一度消えてしまえばもう永遠にその姿を見ることは出来ないのです。セヴァン・スズキはその

ことを問うているのです。彼女の言葉をもう一度読み返してみて欲しいものです。

                                      2008年12月14日掲載

追記

 私達が何か具体的な行動を起こさなくても衝撃的な事件が起きてしまいました。エネルギー

の大量浪費国であるアメリカの経済が危機的な状態に陥っています。何年か前には私達も

バブル崩壊という ショッキングな出来事を経験をしてきました。私が私のホームページで何度

も警鐘を鳴らして来たことが現実となったのです。

 私達の日々の生活と関係のない膨大なお金が色んな形で売り買いされ、それがバブル崩壊

や経済危機をもたらしたのです。そのために、全く関係のない多くの人々が糧を失い、中には

住む家さえ失って、この寒空をさまよっています。

 しかし、この経済危機はいずれは訪れるべきものでした。今は、金融機関だけでなくアメリカ

の自動車産業までもが、この経済危機に巻き込まれています。ローンを組むことが出来なく

なったアメリカ国民が自動車を買わなくなったのです。買わなくなったと言うより買えなくなった

のです。

 アメリカでは生活必需品としてではなく、必要以上に大きなレジャー目的の車が主流を占めて

きました。ガソリンを大量に消費する車です。そのため温暖化ガスは減少するどころか増加の

一途をたどってきました。日本のトヨタもアメリカの自動車産業ビッグ3に対抗すべく、こうした

大型車の生産を始めようとしていましたがアメリカの経済危機で工場の建設を止めました。

 天の差配と言うべきでしょうか。移動手段の目的以外に、たった一人や二人が楽しむために

大量の化石燃料をバラまきながら走る自動車が本当に必要なのでしょうか。このかけがえの

ない宇宙船地球号が、まさに沈没しかけようとしている時においてです。

 私達はこの経済危機の時にこそ、私達の生活を見直してみたいと思います。私達が考えを

改める良いチャンスだと思うのです。今年も温暖化ガスは減るどころか増えてしまいました。

私達が実生活の中で増やしたものです。我が家では車を二台から一台にしました。大きい車

を放棄しました。定年後の私達ですから出来たことですが、そのつもりになれば出来ることは

たくさんあるはずです。セバンスズキの言葉を思い出しながら少しでも努力をしていきましょう。

                                       2008年12月14日追記

今の世を生きるのページへ戻る

ホームへ戻る