果樹栽培の歴史に学ぶ

 岡山県は果樹王国と言われていますが、歴史は意外に浅く本格的に導入されたのは明治

維新以降からのようです。先日、機会あって果樹作りについての専門的な話を聞きました。

講師は長く岡山大学の教授をされていた方で、現在は倉敷の作陽大学で教鞭をとっておられ

る先生です。

 岡山県に限ったことではないようですが、この地方の果樹栽培が本格化したのは明治以降に

なってからの事のようです。というのも江戸時代にあっては、ごく一部の地域を除いては厳しい

作付け制限があって、果樹を作るくらいなら米を作れという時代であったようです。お米がお金に

匹敵するようなものであり、各藩にとって貴重な財源であった事を考えれば、無理のないことかも

知れません。日本人にとってのお米は今日では考えられないような貴重な食糧であり、財産で

あったのです。

 そんな事から換金作物としての果樹栽培の歴史は明治以降になって本格化するようです。

従って、岡山県の桃もマスカットも明治維新以降になって本格的栽培が始まったようです。それ

までは綿やい草等を除いて農産物と言えば、もっぱらお米であったのです。明治維新以降、武士

は刀を捨て、あるものは商人に、あるものは農家へと転身をしていきました。こうした人達の中に、

陽明学を学び先進的な考え方を持った人達がいました。彼らは学んだ教えから、農業に対しても

積極的に進歩的な考え方を取り入れていったようです。

 そして、岡山県の気候風土に適した果樹を取り入れ、改良の手を加えていきました。しかし、一口

に果樹の導入とは言っても、果樹は穀物以上に栽培場所を選びます。つまり適地適作が必要なの

です。同じ岡山県ではあっても地域によって年間の降雨量や気温、日当たり等、大きな隔たりが

あります。そんな事から適地適作に至るまで、多くの困難があったようです。

 今回の勉強で初めて知ったことですが、同じように瀬戸内海を臨む県ではあっても、お隣の広島

県や海を挟んでの香川県とは、地理的条件が随分異なるようです。地図でみると良く分かるのです

が、岡山県は奥が深く、中国山脈が瀬戸内海から遠く離れています。従って、総体的には内陸性

気候であり、冬は極端に気温が下がり、空風が吹くような気候風土になっています。(年間の平均

気温が瀬戸内海に面した他府県とはかなり低い)そんな気候ですから、表土の薄いところに根を

張るような果樹(ブドウ等)は自ずと植裁場所に制限が出てきます。

 また、初めて導入した甲州産のブドウは日持ちが悪く、栽培は導入後まもなく衰退してしまい

ますが、マスカット・オブ・アレキサンドリアと交配をしてネオマスカットを作り出します。こうして作り

出されたネオマスカットも春の雨に遭うと蔓割れ病が発生してしまいます。これを更に克服して温室

栽培を行うようになったようです。これが岡山県のネオマスカット産地化の歴史です。このように見て

きますと先人の方々の苦労は並大抵ではなかったことが伺えます。

 県内の果樹栽培適地を見てみますと、水田には適さない山際の斜面等に多く、どの地域でも

似通った地形に集中しています。これも長く果樹栽培の適地を研究した結果のようです。理由なく

今日の果樹園が形成されているのではないことが分かります。

 従って、私も三十数年間、果樹作りをやってみて、確かに、先人の作り上げてきた適地適作は

あるのだという事を痛感しています。私は国内で栽培されている果樹のほとんどのものを植えて

きました。しかし、結果から言いますと、向き不向きはあるようです。今までどんな種類のブドウを

植えても良いブドウを収穫した事がありません。畑の背後にある由加山から吹き下ろしてくる冷気

は、地表の温度を奪い、冬場はことのほか気温が下がるようです。ブドウは根が浅く表土に近い

ところを這っていますから、冬の寒気にはことのほか弱いのです。また、山に近く色んな害虫も

たくさん飛来します。(害虫の被害は、適地適作のバカにならない要件の一つです)

 そんな事を考え合わせてみますと、適地適作と思われるものは日当たりの良い南側に向いた

山地に有利な柑橘類、そして冬の寒さにも強い落葉果樹の柿、桃、キウイ等のようです。これら

すべて私の実体験に基づくものです。

                                          2001年10月23日掲載

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