事件の背景にあるものは

 またまた、ショッキングな事件が起きてしまった。小学校六年生の女の子が同級生の女子生徒をカッター

ナイフで切りつけ殺してしまった。実に凄惨な事件であった。二人の間にどんな「いさかい」があったのか。

殺人に及んだ女子生徒の精神鑑定がなされるようであるが、思春期にある女の子の心の中にあったものは

何なのか鑑定結果が待たれる。

 私は以前「17歳」という記事を書いたことがあった。17歳という反抗期にある若者の犯罪が多発した頃の

事であった。しかし、今回はもっと幼い子供が犯した事件である。犯罪の低年齢化の背景にあるものは

何だろうか。それは、決して今の時代背景と無縁ではない。殺伐とした昨今の社会状況が十分な判断能力

が出来ていない子供達に大きな影を落としているように思えてならないのである。

 あり余るような情報社会の中で、おぼれまいとして必死であがいている子供達の姿が垣間見えるのである。

罪を犯した女子生徒はパソコンやパソコンを介しての掲示板やチャット、そして小説「バトル・ロワイヤル」に

傾倒していたようだ。こういった犯罪が起きるたびに有害な本やゲームなどについて様々に議論されてきた。

しかし、現実には何も改善される事なく今日に至っている。

 私が育った頃の日本を振り返ってみたい。同級生同士のいがみ合いや喧嘩、いじめも今の時代と同じように

あった。お互いを傷つけたり傷つけられたり、また、仲直りを繰り返してきた。家の中では何度も夫婦げんかを

見てきたし、近所の人の嫌がらせや妬み、喧嘩も見てきた。そういう意味においては、もっと濃密な人間同士

の関わりがあり、今よりは動物的な世界であったような気がする。友達同士の離合集散も幾度となくあり、

憎んだり憎まれたりもした。しかし、決して人を殺し傷つけあうような事はなかった。何故だろうか。今の世の

中との違いはどこにあったのだろうか。

 私は最近、暇があれば歩いている。歩いていると、ここにはこんな花が咲いているとか、こんな物があると

気付くような事がたくさんある。車を走らせていたのでは見落としてしまうような事が少なくない。車という便利

なものによって生活はスピードアップしたけれど失ったものも少なくない。これが進歩なのだと言ってしまえば

それだけの事なのだが、もう一度考え直してみたい。確かに10分で行けるようなところでも歩いていくと

40分位はかかる。しかし、歩いている間は色んな物を見ているし、考えてもいる。決して無駄な時間を

過ごしているわけではない。この一見無駄にも思えるような時間が人間にとっては必要なのではないだろうか。

幾ら世の中が進化してもスピードアップしても人間は人間である。二千年、三千年の昔から人間という本質は

変わっていない。人間がついていけるスピードは歩くスピードだと言われている。それ以上のスピードになると

感覚的に見落とすものが多いと言われている。

 そして、今の世の中は色んな情報であふれている。よほど自己というものをしっかりと持っていないと情報に

おぼれてしまう。分別のある大人でさえそのような状態であるから、経験の少ない子供や若者がこれらの情報

に溺れてしまうのも無理からぬ事かも知れない。詰め込めば砂漠に水を注ぐような柔軟な頭に、これら

あふれんばかりの情報を詰め込んだらどうなるのだろうか。情報を取捨選択できないまま、それらに溺れて

しまうような気がしてならないのである。ましてや子供が興味を持ちそうなゲームやパソコンには本物とも

架空の世界とも判断つきかねるようなものも少なくない。

 「バトル・ロワイヤル」は全くの空想の世界である。空想の世界を小説に書いたものである。女子生徒の

愛読書であったことに愕然とさせられる。彼女のホームページに書かれていた言葉の中には、小学生の

ものとはとても思えないような乱暴な言葉が並んでいた。一方、この年齢の女の子にしてはと思わせる

ようなしっかりとした詩も書いている。悪魔と天使が同居しているような精神世界だ。

肉親とは言えのぞき込むことの出来ない複雑な精神世界があるようだ。殺された女の子のお父さんは

ショックで立ち直れないと聞いている。本当に気の毒で何と言って慰めれば良いのか言葉が見つからない。

そして加害者の両親は、せめてもの償いにと会ってお詫びを言いたいと話している。どちらの親も地獄の

苦しみの中にいる。この事件を通じて運命の重さを感じずにはおられない。事件が起きた後からは、

ああだろうかとか、こうだったのだろうか考えてみるのだが回答はなかなか見つからない。

 決して全てが親の責任ではない。多くの偶然と必然とが混在する中で事件は起きたのではないだろうか。

これは個人の問題ではなく社会の問題である。事件を矮小化することなく、解明できることは極力明らかに

することで、再発防止に努力して貰いたいと思っている。

 野には花が咲き、川にはめだかが群れ泳ぎ、夜になると蛍が飛び交い、梅雨の晴れ間には青空が

広がっている。子供達には、そんな自然の中で心豊かに育って貰いたい。それが私の願いである。

                                         2004年6月24日掲載

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