事件

 またまた、衝撃的な事件が起きてしまいました。やっと中学1年生になったばかりの12歳の少年による事件

です。

 行方不明になっていた4歳の男の子が発見されたのは長崎市内の立体駐車場の狭い空き地でした。高所から

全裸のまま駐車場の狭い空き地に突き落とされていました。この事件の前にも良く似た事件があったようです。

当初、犯人は変質者ではないかと思われ、同一人物の犯行として捜査が進められていました。そんな時、商店街

のテレビカメラが犯人と思われる人物と誘拐された男の子を撮していました。

 犯人らしき人物は白いシャツに黒いズボンという学生風の姿だったようです。このニュースを聞いた時、私は

神戸の事件を思い出しました。やはり少年による猟奇的な事件でした。(この事件は、その後えん罪ではないかと

言う疑問の声も上がっているようです) そんな事から、私は、犯人は高校生ではないだろうかと考えていました。

しかし、意外にも逮捕されたのはもっと若い中学一年生だったのです。

 中学生が単なる物盗りではなく、性犯罪をも想像させるような事件を起こすからには、背景に何かあるなと感じ

られました。少年の心の中には満たされぬ何かがあり、その思いが高じて衝動的な犯罪に走るという事は、充分

考えられる事だからです。今日のような複雑な世の中であるからこそ、起きても不思議では事件だと思ったのです。

 その後、週刊誌は少年の異常な行動や性的な癖、家庭環境などについても色んな事を書き立てています。全て

が真実なのか、あるいは週刊誌の誇張であるのかは定かではありません。しかし、いずれにせよ、少年の心の

奥底には、私達が計り知れないような暗い闇の部分があるに違いないのです。優秀な頭脳を持ち、折り目正しい

子だったようです。だからこそ、犯罪に及んだ時にも私服ではなく学生服だったようです。しかし、反面、性格的に

切れやすいという一面もあったようです。少年の表の顔と裏の顔には相反するようなものがあるようです。

 少年は一人っ子だったようです。異常行動に走り出す前には、単純に弟のような存在が欲しかったのかも知れ

ません。それが素直な行動にならず、性的ないたずらをするという思いがけない行動に走ったのかも知れません。

 十二歳と言えば反抗期の始まる頃でもあります。少年から青年へと、心も体も大きく変化する時です。それにも

関わらず母親の厳しい監視の目や制約、子供扱いされる事への反抗心があったかも知れません。両親の離婚、

そして復縁等という複雑な家庭環境も背景にはあったようです。両親のもめごとで、自分の存在など忘れられた

ような時もあったかも知れません。両親の身勝手な行動に対する反発もあったかも知れません。そんな思いが

弱いものいじめとも受け取られるような、行為へ走ったということも充分考えられる事です。

 ともあれ、十二歳の少年がこのような行動に走るからには、私達大人が想像する以上に、複雑で本人でさえ自覚

できないような心の内の何かがあったに違いないのです。

 一方では事件の後、被害者の言葉を代弁するにしては、あまりにもお粗末な政治家の発言がありました。発言の

主は教育制度の改革にも関わっている人だというから一層驚きです。犯人を出した家庭のご両親の思いは複雑で

あるに違いありません。出来れば死んでお詫びをしたいという思いであるかも知れません。何しろ自分たちの子供

が犯した事件なのです。平常であるはずがないのです。その思いや心の内を考えようともしない、全く心ない発言

だと言わざるを得ません。如何に親の側に問題があるとしても「親は市中引き回しの上、打ち首にすればいい」等とは、

良識ある政治家の言葉でしょうか。こんな政治家に教育改革など任せておくから、次々と問題児が出てくるのです。

全く何も分かっていないと言わざるを得ません。

 ともあれ少年を罰すれば済むという単純な問題ではなく、同じような事件や少年を作らないために、私達に共通する

社会問題として、再発防止に取り組んでいかなければならないと思います。その事が殺された幼い子のご両親に対し、

せめてもの償いだと思うからです。

 同年齢のお子さんをお持ちの親御さん達には、決して他人事では済まされないような気持ちではなかろうかと思い

ます。親離れをしていく年齢の子供達は心の内の多くを語ろうとはしません。それだけに、気をもんでおられる方も

多いのではないでしょうか。しかし、子供はあまり干渉しすぎず少し離れたところから、そっと見守ってやることの方が

良いようです。干渉のし過ぎは決して良い解決方法ではないように思っています。

 子育ては難しいと考えておられる方も多いと思います。私達が子育ての頃と周辺の環境が変わってしまったから

です。しかし、ほんの一昔前にはこんな時代もありました。私達が子供の頃か、私達の親の世代の事です。その頃

には、貧乏人の子沢山という家がたくさんありました。おじいさん、おばあさんも一緒の家に住んでいました。家庭内

でのプライバシーなどと言うものは、ほとんどありませんでした。今と比較すれば劣悪な環境の中でも子供達はさして

横道にそれることもなく大きくなってきました。何故、プライバシーもない、食べるものも競い合って食べなければなら

ないような時代でも問題は起きなかったのでしょうか。この辺に何かしら大きなヒントがあるように思っています。

 一度はNHKで放映され、今新たに民放でも放映されているビートたけしさんの幼い頃のドラマに、その時代の事が

良く描かれています。時代遅れとも思われるドラマが何度も取り上げられる背景には、何か今の時代に欠けている

ものがあるからではないでしょうか。

                                                     2003年8月3日掲載

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