我が自動車遍歴

 愛車などと口では言いながら、こと車に関してはただ道具のように扱ってきました。従って、今まで乗ってきた

車の写真は一枚も残っていません。しかし、思い出だけはたくさんあります。それらについて書いてみたいと思い

ます。

 私が車の運転免許証を手にして初めて乗ったのはパブリカという自動車でした。親友のNさんが乗っていた

車です。彼もまたTさんから譲り受けた車でした。当時はもっとも大衆車としてヒットした車でした。車のことに

まったく関心がなかった私にとっては動きさえすれば良かったのです。この車は年式もさることながらかなり

痛んでいました。あちらこちらに大小様々な傷がありました。その傷をよく似た色のスプレー塗料で隠していま

した。しかし、色の違いは歴然としていました。あの当時だから乗ることが出来たのです。今の時代であれば、

どんな中古車でもあれほどひどい車はないだろうと思われます。

 しかし、タイヤ交換も点検も自分でやりました。タイヤも中古を買って自分で交換しました。エンジンのプラグ

交換やポインターの点検なども自分でやりました。車の構造がシンプルだったから出来たことです。今のように

コンパクトに詰め込まれたエンジンルームでは素人にはまったく手が出ません。この車で何度も神辺の実家へ

帰りました。何年くらい乗ったのか定かには覚えていませんが、2年近く乗ったのではないでしょうか。

 その次はカードック水島で新古車だというスズキフロンテを買いました。軽四輪でした。今の軽四は500CCが

主流ですが、当時はみな360CCでした。家内との初デートもこの車でした。当時、遠出といえば実家へ帰ること

しかありませんでしたから、岡山まで運転していくのは初めてのことでした。岡山から帰るとき、岡山から家内の

実家がある児島までの道が分からなくなって国道30号線に入ってしまいました。もちろん今ならこの道を通って

児島へ行くのも簡単な事ですが、当時はまったくの方向音痴でした。家内も運転したことがありませんでした

ので、家内のわずかな記憶を頼りにやっと由加への道へたどり着いた時には正直ほっとしました。田の口の峠

から海を見下ろした時のことを昨日のことのように思い出します。家内にしてみれば頼りない男だと思ったかも

知れません。

 また、結婚前の交際の時から結婚後もしばらくこの車に乗っていました。結婚して間のない頃、蒜山のおじさん

を訪ねた事がありました。私と家内、家内の両親を乗せて蒜山へ行きました。高速道路などなかった頃の事

です。岡山の市内から津山に向けて走り、ここから更に湯原を通り蒜山へ向かいました。おじさん達は冷泉で

有名な塩釜の下流に住んでいました。湯原を越えて蒜山の盆地に入ったときの雄大な景色を今も思い出し

ます。それにしても、あの急な長い坂道を大人4人乗せてよく走ったものです。これほどの遠くまで来たことが

なかった私としては何もかもが初めての経験でした。

 この車で蒜山から大山に行きました。今も変わらぬ上がり下がりの多いカーブの多い道ですが、この道を

あえぐようにして上り下りしたことを思い出します。途中で何度もオーバーヒートして休憩しました。これが原因と

なってエンジンが壊れてしまい買い換える事になりました。

 その頃、家内のおじさんが岡山で作業着や学生服の卸をしていました。その店にMさんがいました。Mさんは

無類の車好きで、自分の乗っていたスバル360をとても大切にしていました。外観だけでなく暇さえあれば

エンジン周りの手入れもしていました。その車を家内の父が譲り受け、更に私達が貰い受けました。年式は古い

車でしたが、新車のように光っていました。長女の水奈子がその頃生まれました。私達夫婦はドライブが好き

でしたので暇さえあれば近隣をドライブしていました。そんな関係からか水奈子も車が好きでどんなに泣いて

いても車に乗せると機嫌が良くなり、その内にすやすやと寝てしまいました。こんな事から赤ちゃんの頃から

車に乗せてあちらこちらとドライブしました。

 そして、長女が生まれて一年目に今の家が完成しました。その時にも、引っ越しの荷物を積んで西富井と

児島を何度も往復しました。商売に使っていたバン型の車でしたので大変重宝しました。

 この車は、その後買い換えました。そのきっかけとなったのは児島繊維祭の時でした。繊維祭に富士重工の

自動車の展示がありました。展示会場には年輩の販売員の人が来ていました。車にはさして興味はなかった

のですが、冷やかし半分に話しかけると妙に訛のある人でした。聞けばスバルの工場がある群馬県から来て

いるのだと話していました。工場に勤務していたそうですが、景気が悪くなって販売の方に回され、おまけに

倉敷の方に転勤させられたとの事でした。定年間近な人でした。まったく商売気のない人で、とつとつと話す

話が妙に人生の悲哀を感じさせる内容で、ついつい同情させられてしまいました。そんな事から、今日明日に

買い換えるつもりはなかったのですが、新しいスバルを購入しました。この頃、軽四は500CCになったばかり

でした。

 そして、その後トヨタスプリンター、トヨタチェイサーと車も大型化し中古車から新車へと変化してきました。

トヨタ車に乗り換えたのは弟の嫁の弟がトヨタに勤めていて何かと面倒を見てくれるからです。車音痴の私と

しては頼もしい存在です。

定年になるのを見越して買い換えました。この車で旅行をするのが楽しみです。

 今や車も一家に一台の時代ではなく、二台、三台とある時代になりました。通りを走る車が珍しく、後を追い

かけた頃を思えば隔世の感があります。文字通り車社会になりました。我が家でも一時は三台の車がありま

した。私と家内と娘の車でした。娘は車を持って嫁ぎましたから今は二台になりました。しかし、隣家の車が

ありますから、庭には四台の車が並んでいます。狭い庭ならとても置けません。車はあっても場所がないと

いう人が多いのではないでしょうか。これも今の車社会の悩みです。

                                                   2004年8月19日掲載

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