岩屋と鬼の城

鬼の城の遺跡巡りの途中で撮影

 総社にある岩屋や鬼の城は、何度か行ったことのある場所だった。4月18日、お天気は晴れ、福田公園

へ10時に集合した。この日の参加者は20名だった。数台の車に分乗して出発した。

 岩屋の登山口まで車で行き、そこで下車して早速、柔軟体操。すでに汗ばむような陽気だった。しかし、

湿度が低いのか汗は気にならなかった。

 岩屋は巨岩があちこちに点在している山であった。一歩山道へ入ると可憐な野草が咲いていた。何度か

目にしたことのある花だったが、名前はほとんど覚えていない。そして、残念な事にデジカメの設定が悪く、

ほとんどピンボケ状態だった。デジカメで接写する時には、近接撮影に切り替えておかなければいけない事

を忘れてしまっていたのだ。残念な事をした。

 鬼の城も岩屋も仏教信仰の山であった。道の脇には石仏が安置され、かつては信仰深い人達の巡礼道

であったに違いない。

    

岩屋寺の開祖、善通大師は文武天皇の皇子とされ、そのためこの宝塔は皇の墓と言われている。

    

岩屋山中の途中にある汐差岩、その岩の上にて記念写真を写す。

    

山中至る所にこんな石仏がまつられている。

下の八畳岩という大岩の上から山中を眺めると遠く幾重にも山々が重なっている。

    

さすが八畳岩と言われるだけあって巨大な岩である。

また、岩屋という地名にもなった巨大な岩と岩が組み合わさって出来た天然の洞窟がある。

 岩屋山中にある遺跡や巨岩を見て、山を一周して駐車場まで下りてきた。そして、鬼の城の駐車場まで

引き返した。鬼の城は遺跡の発掘や建物の復元工事が進むに連れて観光客が増えてきたようだ。最近は

駐車場までの道も整備され、駐車場も広くなっていた。

 駐車場から少し歩いたところに第一展望台がある。既に時間は12時を大きく過ぎていた。早速、みんなが

揃うのを待ってここで昼食にした。昼食が終わり、南門をバックに記念写真を写した。

 鬼の城は朝鮮式の山城と言われているが、その歴史も当時の建物の姿もまったく不明である。言い伝え

によると、朝鮮半島での闘いに敗れた大和朝廷が、仕返しを恐れて九州から中四国各所に朝鮮式の山城を

作らせたとの事だ。しかし、それに関する記述はまったく残っていない。ましてや建物の復元ともなると想像で

しかない。

 今は発掘が進み、遺構の解明が大分進んでいる。そんな事から、遺構の上にそれらしき建物が建てられた。

立派な木造建築だ。発掘作業は今も断続的に続けられている。発掘か進むに連れて新しい発見があるようだ。

鬼の城は、大きな山の頂を取り囲むように石垣や土塁が築かれていた。しかし、この塀の中がどうなっていた

のか、解明はこれからのようだ。

    

あくまでも想像によって復元された建物、ここが鬼の城にある門の一つ「西門」であった。

    

西門に至る途中にある角楼跡に復元された建物、西門が見える丘の上での昼食。

    

食事が済んでから西門前での記念撮影、山頂は何カ所も見晴らしの良い場所がある。

    

これら全て発掘途中の遺構や発掘の終わった遺構である。(南門と東門であろうか)

 私達は毎回同じコースを歩いている。今回も南門から北門に向かって歩いた。ここからの展望はどの季節

に来ても素晴らしい。築城当時は海がすぐ近くまで来ていたと言うから、もっと雄大な景観であったに違いない。

 この山にはこの地方では珍しい玄海つつじが自生している。非常にわずかな個体数しかないので貴重な

植物だ。その他、サルトリイバラやミツバツツジが咲いていた。これら山野草を楽しみながら歩くのも楽しい。

私達が訪れたこの日も大勢の人が歩いていた。            

    

この山は信仰の対象であった。岩屋と同じように大きな岩には石仏が刻まれていた。

    

この山は温羅(うら)伝説でも有名な場所である。その大きな記念碑が建っている。

ここには石塁の他、中国の遺跡等では良く見られる版築という土を突き固めて作られた土塁が残っている。

これらについて丹念に発掘調査が続けられている。

   

西門、南門、東門といった主要な遺跡の反対側にも土塁の跡が残っている。

また、登山口の急な坂道を迂回するようになだらかな遊歩道が整備されている。

                                                      2004年6月25日掲載

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