衣食足りて礼節を知る

 衣食足りて礼節を知るとは、私達が子供の頃習った格言でした。衣食足りた今、現実はどうでしょうか。先人達は

どのような状況を考えて、こんな格言を残したのかは分かりませんが、私の知りうる限りにおいては衣食が足らな

かった頃の方が遙かに礼儀を重んじ節度を保ってきたような気がします。

 先日は東京電力が原子力発電所の点検記録を改竄(かいざん)していたという報道がなされました。その後、次々

に意図的なトラブル隠しが明らかになり、OBを含んだ会社幹部が責任をとってそれぞれの役職を退任するような

結果になってしまいました。その内容が原子力施設にとってどの程度の致命的なものか私達素人には分かりません。

しかし、原子力発電所は通常の設備よりは遙かに危険度は大きいはずです。だからこそ企業に甘いと批判されて

いる原子力安全保安院ですら、これくらいの基準は守りなさいと言っているのではないでしょうか。その基準さえ守る

ことが出来ず、ごまかしていたとすれば、やはり大問題ではないでしょうか。

  かつて旧ソ連ではチェルノブイリ発電所で大事故がありました。アメリカでもスリーマイル島の原子力発電所で

メルトダウン寸前という大事故があり、チャイナシンドロームという映画にもなりました。原子力エネルギーは管理を

危うくすると暴走するという危険性を常に孕んでいます。それだけに設備の管理には念には念を入れることが必要と

なってくるのです。原子炉は重厚な格納庫に入れられ、炉心は頑丈な金属で作られた大きな圧力容器に入っています。

恐らくは特殊な金属で作られたものだと思いますが、常に炉心から出てくる強い放射能にさらされています。そのため

金属自体の劣化が激しいと聞いています。また、建設されて三十数年を経たような設備もあると聞いています。これら

の設備更新が今までにも大きな問題となっていました。原子炉一基更新するのに数百億円必要だとすれば、企業と

して出来るだけ先送りしたいという気持は良く分かります。しかし、ひとたび壊れて中の水が流れ出るような事があれば

正に空焚き状態となりメルトダウンとなるのは必至です。

 こんな危険なものにある傷をごまかしておくなど、おおよそ大企業ともあろうものがやるべき事でしょうか。大いなる

疑問と企業の責任のなさを感ぜざるを得ません。

(このようなトラブル隠しの遠因となったのは原子力安全保安院の指導が間違っていたようです。だとすれば、保安院

の責任も非常に大きいと言えるのではないでしょいうか)

 さて、狂牛病問題(BSE)は表面的には沈静化したように見えますが、今回の日本ハムの問題は雪印食品の問題が

やっと一段落した後であっただけに、またかという思いがしたものです。東京電力、雪印、日本ハム、いずれも日本を

代表するような大企業ばかりです。これらの企業の倫理、企業モラルはいったいどうなっていたのでしょうか。黙って

おれば何でもやり放題だったのでしょうか。自己規制とか自己抑制なるものは働かなかったのでしょうか。

 どうも昨今の日本の姿を見ていますと、上から下まで「恥」というものを忘れてしまったような気がしてならないのです。

とにかく、ばれなければ何をやっても構わないというのでしょうか。「私の勝手でしょ」とか、「みんなで渡れば怖くない」

とか、そんな不謹慎な言葉が流行語になるくらい恥も外聞も忘れてしまったようです。本当に日本人はつまらない人間

になってしまったような気がしてなりません。そこには慎ましく礼儀正しかった日本人の姿はみじんも感じられません。

 ところかまわず地べたに座り込む子供達、下着が見えていても恥ずかしいという気持がないような女学生達、道べり

で他人の目を気にすることなく抱き合っている若者達、部屋は汚れ放題でも何も感じない子供達、車から空き缶やゴミ

を平気でぽいと投げすてて走り去る人達、数え上げればきりのないくらい色んな事が目に付きます。このように、社会の

トップにいる人にはじまり、これから日本の将来を担っていく若者達に至るまで、上が上なら下も下、上から下までこの

有り様はいったい何なのでしょうか。

 先日も私の友人が嘆いていました。近所に住んでいる女子高校生が飲み終わったジュースの空き缶を用水路にぽい

となげ捨てたので注意をしたところ、入らぬ世話だと言わんばかりに口汚く捨てぜりふを残して立ち去ったと言うのです。

いつも顔を会わせている女の子だっただけに、意外な感がして開いた口がふさがらなかったと話していました。もはや

日本人は救いがたい状態になってしまったような気がしてなりません。もちろんこういった事が全てではなく、明るく健全な

学生もたくさんいます。しかし、こんな子供達が目立つようになったことは紛れもない事実なのです。私達はどうやら大切

なものを、どこかに置き忘れて来たような気がしてなりません。

 今回の東京電力原子力発電所トラブル隠しの問題は内部告発者があり、このような大騒ぎになったようです。従って、

内部告発者がいたからこそ、事故は未然に阻止できたとも言えそうです。ところが、事もあろうに経済産業省原子力安全

保安院が、今回の告発者の名前を公表してしまったというのです。しかも社会的に明らかにするまで二年間もかかった

というのですから、この間保安院は何をしていたのでしょうか。これは明らかに保安院のルール違反です。この内部告発

の制度を作った背景には、原子力発電所という最も危険度の高い設備であることを考えての事でした。内部告発を行う

ということは、企業に働くものとして簡単に出来ることではありません。どんな組織が背景にある人なのか、あるいは全く

の個人なのか、それはともかくとして勇気ある行動だと思います。公表しないというルールを破った保安院の責任は大変

重いと言わざるを得ません。

 昨今の社会的な事件の多くは内部告発に端を発しています。企業にとって、このゲリラ的な行動は体の中に抱えた

爆弾のようなものです。しかし、これら内部告発なくして問題の解決はあり得なかった事を考えると、今後も健全な社会

のありようとして、遺憾ながらも内部告発は仕方のないことではないでしょうか。だからこそ内部告発に至らないような

健全な企業のあり方が望まれるのです。

 今日、雇用という考え方が大きく変化しています。そのため企業と個人の結びつきも希薄になってきました。少なくとも

私達の世代までは終身雇用が前提でしたから、その企業で働くものは愛社精神を持ち、企業も一定程度の生活保障と

雇用を守ってきました。しかし、昨今のように短期労働者や、正式な雇用形態を持たないものや、派遣社員といった

ものが増えるに連れて、企業と雇われる者の関係は薄れていきます。あえて企業がその道を選んだのであれば、当然

の事として企業の情報が漏れるリスクは高くなることを覚悟しなければならないのではないでしょうか。

 一方、社会倫理の立場から言いますと、社会のモラルに反するようなもの、人の健康にかかわるようなもの、これらは

告発されて当然ではないでしょうか。それこそ民主主義社会に於ける健全であるべき姿だと思います。特に今回のような

原子力発電所の場合、一度事故が起きればとてつもなく大きな災害になることは間違いありません。今回の内部告発は

社会に対する警鐘だと思っています。

                                                    2002年9月19日掲載

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