21世紀は人間一人一人が意識をもって行動する時代であって欲しいと思っています。

今年1年が過ぎれば21世紀です。過ぎ去った20世紀を振り返って見ますと世界中が戦争や地域紛争に明け暮れた時代でした。

多くの人が傷つき亡くなっていきました。21世紀を目前に控えた今日でも、なお戦争や地域紛争は続いており、一触即発の

地域も少なくありません。これら戦争や地域紛争の多くは、その国に住んでいる国民や住民の意思とは関係のないところで始まり、

自分の意志や考え方とは無関係に、これらの戦争や紛争に巻き込まれています。

日本でも最近になって急速に戦前のイヤな時代を思い出させるような日の丸や君が代といったことから始まり、長くタブーで

あった憲法まで変えようとしています。

私達は明治以来、相次ぐ戦争の中で大変な被害を受け、多くの犠牲者を出す中で、すくなからぬ貴重な教訓を得てきました。

これらの教訓は戦争で亡くなった人や傷ついた人達の血であがなわれてきたものです。そう簡単に捨て去る訳には行きません。

私達が少しでも監視の目を怠ると、いつの間にか過去の亡霊が目を覚まし、私達の生活を蹂躙していきます。

私達は戦前、天皇を神とする教えを受け、天皇のために命を捧げることを美徳とする教育を受けて来ました。

そうして自分の意志とは関係のない戦争へとかり出されていったのです。

いったい何故こんなことになったのでしょうか。ここに私達自身の意識の欠落を見るのです。

明治維新以来続いてきた教育によるまやかしと、お上の言うことは正しいことなのだとする私達自身の主体性のなさが

亡霊達を跋扈させ、彼らの言葉巧みなコントロールによってうまく踊らされてきたのです。

この世の中には、ともすれば自分たちの考えとは異なるようなことを強いられることがたくさんあります。

国家というとらえどころの数の論理にものをいわせた力によって、私達のかけがえのない運命が左右されかねないのです。

戦後長期にわたって二大政治勢力が対峙してきました。この対立によって政治は時には停滞もしましたが、おおむね

両勢力が拮抗する中で、かろうじて一方に偏りがちな政治の均衡を保ってきました。

しかし、革新といわれた勢力が大きく後退し、今国民の前面に立ってものを言えるような勢力はありません。

保守勢力は良識を保つどころか一方に大きく偏りを見せ、今や憲法まで変えようとしているのです。

正に戦後最大の危機的状況にあると言っても過言ではないでしょう。

この状況を克服するためには私達一人一人が自覚を持って自分たちの将来は自分たちで決めるんだという強い決断

を持つ以外にはないでしょう。幸い明るい兆しも見え始めています。それは市民レベルに於ける運動の高まりであります。

先の吉野川河口堰の建設反対運動等はまさにその象徴とも言えるような運動であり闘いでした。

阪神淡路大震災では既成の救援団体に頼らないボランティアによる支援活動が大きな盛り上がりを見せ、現在も

なお粘り強く続けられています。

これら今は点にしか見えないような運動の芽も、やがては意識を持ったものとして大きく成長してくるに違いありません。

これこそ本物の民主主義だと思うのです。日本人は有史以来、他国の支配を受けることはありませんでした。

それだけに、国民同士お互いの間では、けじめを付けると言うことが大変下手であやふやです。

徳川三百年の支配は、ある種の平和を長く持続させました。それは抵抗することをためらわせ、長いものには巻かれろ

式の考え方や事なかれ主義を助長してきました。それだけに民主主義も育ちにくく、戦前のように軍閥に国民の運命を

ゆだねるような事になってしまったのではないかと思います。

私達は既成の勢力が自らを改革する力を失っている現在、私達自身の手で改革をしていく以外に取るべき方法はありません。

だからといってその方法はことさら大げさに考えることでもなく、さして難しいことではないのです。どうすれば良いかは、

国民一人一人が自分の置かれている状況を正しく見極めて、自分自身のとるべき方向を決めれば良いことなのです。

何が今の生活に欠けていて、日本という国が将来こうあってほしいと、自分自身の考え方をはっきりさせることなのです。

幸せは黙っていたのでは、決して向こうから私たちの方へは歩いてこないのです。私たちがまず行動することが必要なのです。

選挙の時、人に頼まれたからではなく、自分でこうあってほしいと思うことを実現してくれる政党や政治家に一票を

投ずることなのです。実に簡単なことなのです。ほんの少し自分自身を自覚することがその一歩です。

政治、経済、社会問題へ戻る

今の世を生きるへ戻る

ホームへ戻る