あちらこちらの梅の便りを耳にする頃になると、魚屋の店頭には「いかなご」が出始める。

春の魚である。この魚は春先に卵を生み、それが大きくなって、その年の春には成魚になる。

銀色の肌がいかにも新鮮な輝きの細長く小さな魚である。泥鰌を多少スマートにしたような

体つきをしている。(成魚はドジョウよりも大きくなる)小さいものは甘辛く炊き詰めて釘煮と

なる。いかなごの佃煮である。京阪神地方では、ごく一般的に家庭でも作るらしい。又、加工を

せずに、このまま湯がいて三杯酢で食べても良い。三杯酢にダイダイや柚子の香りが付いて

いると、なお一層、食欲をそそられる。大きく丸々と太ったものは、油がのってとてもおいしい。

焼いて良し、煮て良しである。我が家では、もっぱら甘辛く煮ることにしている。少し骨がまし

いが、さして気にはならない。カルシュームたっぷりである。頭から丸かじりをする。

 この魚、実は大変傷みやすい。鮮度が命の魚なのだ。少しでも痛み始めると腹のところが

裂けてくる。その点、「ままかり」ともよく似ている。最近では輸送手段が早くなったことと、

保冷手段が、しっかりしているので、多少の遠距離は問題ではない。とは言いながらも、

やはり地(じ)の魚なのである。昔なら児島の福南山が越せなかったという魚なのである。

昔の輸送手段と言えば、自転車か荷車だったからである。保冷方法はと言えば、せいぜい、

氷くらいのものだっただろう。こんなものでは、運搬に時間がかかる峠は越せなかったのである。

 従って、新鮮な魚が食べられると言ったら、大変な贅沢だったに違いない。児島に住んで

いる人達の贅沢であり、自慢でもあった。「地の魚が食べられる」、これは今でも年寄りが口に

する言葉である。恐らくは、倉敷市内でも総社寄りに住んでいる人の中には食べた事がない

という人もいるのではなかろうか。従って、子供の頃、食べたことがないものには、食べ方が

分からないと言うこともあって、食べることに抵抗があるに違いない。そんなに高くは売れない

魚だけに、利益も少なく、従ってスーパーなどでは扱わないのではなかろうか。あるとすれば、

湯がいたものに違いない。醤油と砂糖で甘辛く炊いた油ののったいかなごの味は、一度食べ

たら忘れられない味になってしまう。早春のほんの一時期しか食べる事の出来ない魚である。

 この魚、もっぱら他の魚の餌になる。海の食物連鎖で言えば、プランクトンの次に位置する

位のところにいる魚である。鰯と同じで、多くの魚の餌になる魚である。従って、この魚が

少ないと、瀬戸内海の他の魚も育たない。幻の魚とも言われるようになった鰆が、ここ数年

全く獲れなくなったのは、餌になる「いかなご」が、激減したからだとも言われている。「いかなご」

は海中の砂の中を住処にしている。その砂が近年めっきり少なくなった。建築資材としての

海砂の採取が原因だ。瀬戸内海の海底も、こうして、年を追うごとに変化している。

 豊かな海の幸を壊しているのは、私達自身だ。瀬戸内海は春から初夏にかけて、多くの魚が

産卵のために、下津井沖に回遊してくる。しかし、水島コンビナートが建設され始めた頃を境に、

回遊魚の種類も量も減ってしまった。多くの干潟や藻場が埋め立てられて工場地帯へと変わ

っていったためだ。せっかく回遊してきても、卵を産み付けられれる様な藻場がなくなってしまった。

その上、稚魚を育てるような、栄養豊富で波穏やかな海岸がなくなってしまったのである。

      春は五十日魚島二十日 高見佐柳の麦や熟れた

      麦や熟れてくる網の衆は帰る 何をたよりに麦刈ろか

 これは下津井沖の島々で歌われていた民謡である。この地方で魚島と言う頃(桜の花がほころ

びはじめる頃から始まって、高見や佐柳の島の麦が熟れる頃までの五十日間)、島を出ることの

出来ない娘達は、沖で鯛を釣る漁師に恋をして、魚島と言われる漁期が終わる頃、漁師は島から

去っていく。その切ない思いを、歌に歌ったのだと言われている。

                (この項、角田直一著  「私の備讃瀬戸」を参考にさせて貰いました)

 それくらい下津井沖は賑わったのである。魚島とは、実在する島であるが、この島の周辺で、

盛んに鯛網が行われたことから、この季節を魚島と言うようになったのではあるまいか。その頃は、

鯛や鰆やふぐ等の魚が、それこそ海底から湧くように、群れていたようだ。かつての瀬戸内海は、

豊かなる海であったのだ。今はもう、その時代のことを語る、お年寄りも少なくなってしまった。

 ただそうは言いながらも、今年も、「いかなご」の季節がやってきて、早速、我が家の食卓には、

甘辛く煮た「いかなご」がのり、夕食を賑わせた。油ののりも良く、丸々と太っている。そして、

何よりも安い。400円も出せば、一家4人のおかずにはなる。「いかなご」は、これからしばらく

の間、魚屋やスーパーの店頭にあって、それぞれの家庭の食卓を賑わす事になる。

 温かくなって、釣りシーズンが始まると、「いかなご」は釣り餌にもなる。生きた「いかなご」は

最良の釣り餌なのだ。こうして幾重にも、人間様のどん欲なる食欲を満たすために、「いかなご」

は多くの場面で利用されていく。「いかなご」は一瞬の春を足早に通り過ぎてゆく。

                                          2001年3月7日掲載


いかなご関連リンク

いかなごについての解説や佃煮の作り方

いかなごのくぎ煮の作り方  その1

いかなごのくぎ煮の作り方  その2

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