笠島地区での記念写真 1999.4.25

たんぽぽや波おだやかに岬の道

形良き石拾う浜夏来る

4月25日、下津井港9時20分集合、9時半出航。関西急行フェリー、本島経由の四国丸亀行き。

かって下津井港は四国琴平への連絡船の港でした。10年前に瀬戸大橋が開通し、その役目を終えましたが、

こうして今も、わずかばかりの利用客のために細々と運行を続けています。

今回は参加者総勢15名、おなじみの顔ぶれの中に初参加の人もいました。

本島(ほんじま)は子供の頃の臨海学校以来という人もあって、近くて遠い島だったようです。

本島は大変歴史のある島です。島内には多くの神社、仏閣があり、国宝級の仏像も、たくさん祭られていることなど

案外知らない人も多いようです。という私も、ほんの少し前まではそうでした。

連絡船は20分あまりで島に着きます。昔は手漕ぎの船で渡ったといいますから、下津井港からは、そんに遠くない距離なのです。

下船した人は私達一行の他に数組の観光客、そして、数人のこの島の人。ここの島もやはり過疎の島なのでしょうか。

島内の遠景、海岸に見えるのは車エビの養殖池?

信仰の島,本島

私達は島の周辺を選び、出来るだけ海が見える道を選んで歩きました。そして最初に着いたのが、東光寺。

無住持のお寺でしたが、この寺を管理しているお年寄りに快く開けて貰い、重要文化財である木造薬師如来像を

拝観することが出来ました。

平安時代の作と聞きましたが、全身を覆った金箔は大半が残っており、保存状態の良さに驚かされました。

そう言えば日本全国にある仏像の多くは戦乱の中で消失したり、寺と共に朽ち果てたものも少なくないというのに

この保存状態の良さは驚くばかりです。きっと島の人達の信仰の厚さと、島であったが故に戦乱から免れたのでは

ないでしょうか。かって法然上人が高知へ流される時、立ち寄ったと言われる、この島は古くから信仰の島でも

あったようです。ここを開けて下さったお年寄りの方も大変気さくな人で寺の庭にある花を挿し木にすると言ったら、

快く分けて下さいました。感謝、感謝。

島内の農産物、玉葱の収穫風景

歴史的に奥の深い島

私達は海を右手に見て海岸を大きく回り込むように笠島地区に入りました。この小さな港町は私達のフェリーが

着いた港の丁度反対側に当たるところです。

かって、この島の栄えた頃は、ここがこの島の表玄関だったところです。そのころの繁栄ぶりを思わせるような

町並みが今も残っています。とても小さな瀬戸内海の島とは思えないような家構えです。この島の富と繁栄ぶりを伺わせます。

ここは重要伝統的建造物群保存地区としてきれいに整備され、残されています。私達はここのガイドをしておられる

お年寄りから色々と歴史的な説明を受けました。聞けば聞くほど歴史的に奥の深い島です。

笠島町並み保存地区

遠見山からのすばらしい眺め

私達は笠島地区を後に遠見山山頂を目指しました。笠島地区から約20分、なだらかな坂道です。

山には自然がそのまま残っており、どこにでもありがちな廃棄物の投げ捨てやゴミがまったくありません。

盛んに小鳥達のさえずりが聞こえてきます。森林浴を楽しむように山頂を目指します。額に汗を感じ始めた頃、山頂

に着きました。さほど高くはない山頂ですが、その眺めは本当にすばらしいの一言です。

そして空もすっかり晴れ上がり、澄み切った初夏の日射しの中、瀬戸の島々と瀬戸大橋が目の前に広がっています。

記念撮影の後、少し早い食事。心地よい初夏の風を感じながらの弁当は最高に幸せでした。

遠見山山頂での記念写真 1999.4.25

塩飽勤番所

この島を語る時、この勤番所抜きに語ることは出来ません。人名の島と言われるこの島はどの大名の領地にも

属さず、又、倉敷のような幕府の領地でもありませんでした。

石高1250石,650人の塩飽海賊衆と言われる造船と操船技術に長けた海の男達が、塩飽諸島と言われる島々の

自治権を信長、秀吉、家康と三代に渡ってゆだねられて来ました。

江戸時代末期には、あの有名な勝海舟率いる咸臨丸の船方衆として、太平洋を横断したのも多くはこの島の人達でした。

その自治権を与えられた島の政治は選挙で選ばれた年寄りといわれる人達が執り行っていました。

そして、その政治の中心となったのが、この勤番所なのです。

勤番所内には信長、秀吉、家康らの自治権を安堵するというお墨付き「朱印状」が大切に保管されています。

正に特異な歴史をたどってきた島と言えましょう。

塩飽勤番所

金丸座と並ぶ歴史ある千歳座(ちとせざ)

最後に訪れたのが千歳座です。木烏神社の境内にあります。この芝居小屋は琴平町の金丸座と共に全国に残る

重要な舞台の一つです。残念ながらこの日は外からしか見ることが出来ませんでした。

程良い疲れ

帰りの船の時間を多少気にしながらのハイキングでした。しかし、全島内を巡ってもさほどのことはなく、程良い

ハイキングと言えましょう。是非、お近くの方は一度訪れて見てはいかがでしょうか。


塩飽諸島とは

瀬戸内海に浮かぶ大小28の島々が点在するこの海域は、鳴門海峡から来る潮の流れと来島海峡から来る潮の

流れがぶつかり合い、その上、島が多いために潮の流れをいっそう複雑にしています。

その複雑な潮の流れは丁度海底から潮が湧いてくるように見えます。そんなところから潮が湧くところ、塩飽諸島と

いわれるようになったと言うのが定説になっています。事実そうだろうと思います。

この海域は昔から全国有数の漁場であり、春になると産卵のために多くの種類の魚達がこの海域を目指して

瀬戸内海の東と西からこの海域目指して登ってきました。特に桜の花が咲き始める頃から、島の麦が色づく頃まで、

桜鯛が、それこそ海が赤く染まるほど集まってきました。その他、鰆、ふぐなども産卵のために、この海を目指して

のぼってきたそうです。昭和35年頃までは本当に豊かな海だったようです。

これら魚達が集まってくる理由としては、この潮が湧くように見える現象と無縁とは言えないでしょう。

島が多いということは産卵場所が多いということ、そして湧昇流(潮が湧く)は幼魚達の餌となるプランクトンを

多く発生させることにつながります。

しかし、いつの頃からか、次第に遠い昔の話になってしまいました。鰆も鯛もそしてふぐまでも幻の魚となってしまいました。

魚たちが集まってくるこの季節を昔の人達は魚島と言いましたが、あの魚島は何処に消えてしまったのでしょうか。

今は昔の語りぐさとなってしまいました。

遠見山山頂より瀬戸大橋を見る

塩飽諸島関連リンク

瀬戸内海の島々や本島の遺跡について詳しく紹介されています。

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