人の手

 近所に何年も前から空き家になった家があります。この家に人が住んでいた頃は、小さな庭も手入れが

行き届いていました。そして、家の前の空き地にも季節毎の野菜が手入れ良く植えられていました。それが

いつの間にか荒れ果てた家や庭になっていったのです。住んでおられた方が亡くなられたそうです。

 そう言えば通勤に使っている道縁の畑も、いつの間にか雑草の生い茂るような畑になってしまいました。

つい先頃までお年寄り夫婦が汗を流しておられた畑です。畑を作られていたご夫婦はどうなったのでしょうか。

 人の手が加わらなくなった家や畑は、たちまちの内に荒れ家や荒れ畑になってしまいます。全ての事は

人の手が加わってこそ価値あるものになるのです。例え古い家であっても、人間が住んでいればこそ家で

あり続けるのです。いくら何ヘクタールという田や畑があっても耕さなければ、ただの荒れ地に過ぎません。

 人はお金持ちの条件に、お金をいくら持っていて、いくら財産があって、いくら土地があると言います。

それだって、ただ持っているだけでは、ただのお金であり、ただの物であり、ただの土地に過ぎないのです。

活かして使ってこそ価値のある物なのです。当然の事ながら、お金が勝手に動くわけではありませんし、

そのままにしておいて土地が耕されるわけでもありません。機械を使って耕すにも人間が動かなければなり

ません。この世の中にあるもの全てが、人の手を介さなければ、ただのお金や物や土地なのです。

 私達はとかく労せずして何かを手に入れようと考えます。横着な考え方です。しかし、ご飯だってお米の

ままでは食べられません。お米を洗い電気釜のスイッチを入れなければご飯にはならないのです。

 私達はもっと体を動かさなければならないと思います。体を動かして何かをするからこそ、無から有が

生まれてくるのではないでしょうか。まずは雑草に覆われた荒れ地の草抜きから始まります。そして、

一鍬一鍬と丹念に耕します。やがて荒れ地は見事な畑に変わっていくのです。そして種を蒔きます。種は

芽を出します。周辺に生えてくる草を辛抱強く抜きます。それはやがて豊かな収穫に繋がるのです。その

工程の全てに人間の手が必要です。こうして私達の先祖は営々として畑や田を耕し続けてきたのです。

人の手が加わればこそ、田や畑は私達に恵を与えてくれるのです。

                                            2003年11月23日掲載

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