人間は戦争の道具ではない

 アメリカではベトナム戦争後、「プラトーン」や「地獄の黙示録」と言った反戦映画や戦争の後遺症に苦しむ人達の

姿を捉えた映画がたくさん作られてきました。それは兵士として戦争にかり出された人達だけの問題にとどまらず、

社会全体で考えなければならないほど事態が深刻であった事を物語っています。

 先の湾岸戦争の時には化学兵器や劣化ウランを使用した兵器などによる身体的な後遺症が問題になりました。

このように戦争の度事に色んな問題が発生しています。しかし、多くは表には出ないまま軍隊内で起きたこととして

闇から闇へと葬り去られて来ました。言論が比較的自由な国だと言われているアメリカでさえこんな状態ですから、

言論統制の厳しい国の実体は、もっとひどいのではないでしょうか。

 今度はアフガニスタンにかり出された兵士達が帰ってきて、家族を殺害したり傷つけたりすると言う事件が起きて

社会問題になっているようです。軍当局も兵士のカウンセリング等を始めたと言いますから、捨てては於けないような

事なのではないでしょうか。

 一方、ロシアでは脱走兵などが増え、徴兵制度そのものを見直さなければならないような事態になっているそうです。

 人間は正義のためであれば我が身を犠牲にすることを厭いませんが、理にかなわないような戦争には決して荷担

できません。先の太平洋戦争で、日本の兵士達があれほど過酷な戦場にかり出されても文句を言わなかったのは、

国や自分の家族を守り、明日の日本を作るのだという大義名分を抱いていたからです。結局、軍国主義教育による

幻に過ぎなかった訳ですが、アフガニスタンに動員されていったアメリカ兵と同じ立場であったとしたら、彼らの心中は

穏やかでなかったに違いありません。

 憎しみも敵対心も全くない人達に銃口を向けることなど出来るはずはありません。宗教心はなくとも人間の心には

良心と言うものがあります。その良心を押し殺してまで殺人が出来るとしたら、それは鬼です。アフガン戦争のように

爆撃が良心の呵責もなくできるのは相手の姿が見えないからです。しかし、地上戦は違います。目の前に非武装の

人達も子供もいます。一方自らもどこかで狙われています。その不気味な計り知れない恐怖心は益々自分を追い

つめます。そうなると敵ではない人間も敵に見えてきます。恐怖心が加速され一般人か軍人かの見分けのつかない

まま銃口を向けてしまいます。

 ベトナム戦争の時には、多くのアメリカ兵がこの恐怖心と闘うために酒や麻薬に溺れていきました。人間は闘う機械

ではありません。相手を傷つけるだけでなく自らも深い傷を負ってしまいます。心ある人間に理不尽な闘いを強いる

ものこそ同じ体験をさせてみたいものだと思っています。

 前線に行くことなく前線の恐怖や苦しみと闘っているものの心が理解できないようなものに政治や戦争を語る資格は

ありません。先の太平洋戦争においてもそう言う人達が戦争を始め多くの尊い命を犠牲にしたのです。その罪は計り

知れないほど大きなものがあります。

 私達自身、先輩や親や兄弟の多大なる犠牲のもとに今日があることに思いを致さなければならないと思っています。

審議未了とはなりましたが、廃案とはなっていませんので有事法案がいつ議会に出てくるか分かりません。二度と再び

「いつか来た戦争への道」を歩く事のないように、心して厳しく法案の行く末を見守っていく必要があるのではないでしょうか。

 8月15日終戦記念日は目の前です。8月6日には広島に8月9日には長崎に原爆が投下された日です。これらの尊い

犠牲を朽ちさせることなく、平和を守って行かなければならないと思います。

                                                       2002年8月5日掲載

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