人は何故この世に生まれてきたのだろう

 こんな事を考えた事はありませんか。自分とは何だろう。自分は何故こんな事を考えているのだろう。考えれば

考えるほど不思議に思える事ばかりです。「人は考える葦である」と言った人もあれば、「考える故に我あり」と

言った人もいます。いずれにせよ古今東西、人は皆同じような事を考えてきたようです。

 話は私事になりますが、私は幼い頃から色んな事に興味を持ってきました。趣味の広さにも、それが表れて

いるよう思います。子供の頃から絵を描く事も絵を観る事も好きでした。本を読む事も好きでした。文章を書く

事も好きでした。映画やお芝居を観る事も好きでした。旅行も好きでした。工作も好きでした。山に行く事も、

魚を獲りに行く事も好きでした。あらゆる事に興味を持っていました。それは今も変わりありません。

 人間この世に生を受けて同じ位の寿命でこの世を去っていきます。その間、可もなく不可もなくただ淡々と

一生を送るのも人生です。しかし、本人にとってそれが苦痛やいやな事でなければ良いのですが、そうで

なければ、やはり人生は面白おかしくおくる方が楽しいに決まっています。還暦近くになった今考える事は

こんな多趣味で何事に寄らず興味を抱く人間に生まれ育った事を心から感謝しています。

 実は私の母方の祖父がそうだったようです。若い時から色んな事業を手がけ、更には哲学を勉強し、近くの

お寺の住職とも交流があり、仏教にも通じていたようです。小鳥を飼い、狸を飼い、蜜蜂も飼っていました。

お茶やお花もしていたようです。きっと多趣味で何事にも興味を持っていたに違いありません。

 残念ながら私が大きくなってからの祖父との交流はありませんでした。もし祖父と話をする機会でもあったら、

きっと話が弾んだであろう事を思うと、その機会が一度もなかったことが残念でなりません。

ともあれ、一度しかない人生です。何事にも興味を持ち、人生を大いに楽しんで一生を終えたいと思っています。

                                             2003年11月13日掲載

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