工場の駐車場の上空で、今日もヒバリの鳴き声がしている。天気の良い時には必ず鳴き声が聞こえている。

こんな工場地帯にもとはは思うのだが、麦畑などの少なくなった昨今では、至って工場の空き地のようなところが

安全で良いのかも知れない。ずっと昔、人の出入りの多い正門前の芝生の中に、ヒバリが巣を作っていたことがある。

みんなの温かい目に見守られて、子ヒバリ達も元気に巣立っていった。

 ここのところ、久しく聞かなかったヒバリの鳴き声である。ヒバリの鳴き声を聞くと思い出すことがある。

僕の子供の頃、ヒバリは身近な小鳥だった。ヒバリは丈の高くなり始めた麦畑の中に巣を作っていた。

ヒバリは警戒心の強い鳥で、麦畑に舞い降りてくる時は、決して自分の巣の近くには降りてこない。他の動物から

自分の巣が狙われるのを恐れているからだ。

 いったん自分の巣からかなり離れたところに降りて、自分の巣まで歩いて行く。ところが、飛び立つ時には、恐れ気も

なく巣のそばから飛び立ってしまう。どこか間の抜けた習性である。僕らはその習性を知っていて、麦畑の陰でそっと

見ている。そして、だいたい目星をつけておいて、ヒバリが飛び立ってから、その巣を探す。たいていは飛び立った

当たりの麦の根本に小さな巣を見つけることが出来る。裸の子ヒバリが親が来たのかと大きな口を開けて待っている。

目はまだ開いていない。僕らは裸の子ヒバリをドンビー子と言っていた。どういう意味からそう言い始めたのか

定かではない。ちなみに、雀の子も、ツバメの子も皆、ドンビー子と言っていた。

 ツバメの子は捕まえなくても季節になれば手近なところにいたが、雀の子は屋根の上に上がって軒や屋根の隙間を

探して連れ帰っていた。屋根に上がって雀の子を探していて、屋根瓦がずれると言って怒られたり、屋根から落ちた

者もいたが、懲りずにやっていた。僕ら兄弟は捕まえたヒバリの子を友達と分け合って、家に持ち帰り飼っていた。

メジロのすり餌や、ハエや蜘蛛などを餌にしていた。日一日と大きくなり、羽根もはえすっかり大きくなっていた。

この頃になると良くなついていて、ヒバリの子はすっかり僕らが親だと思っていた。

 学校から帰り、ヒバリを見て餌をやるのが日課であり、楽しみだった。弟と争うようにいてかわいがっていた。

ある日、僕が餌をやろうとして手のひらに乗せていた時だった。すっかり羽の生えそろった子ヒバリは、飛び立つまね

をして手の平で、ばたばたし始めた。あっという間の出来事だった。そのまま、50センチ位の高さから、地面に落ちて

しまったのである。あわてて拾い上げたが、打ち所が悪かったのか、二、三度けいれんをして、あっけなく死んでしまった。

 後悔をしても後の祭りである。僕は悲しいと言うよりはショックで呆然としていた。そして、弟が帰ってきたらどう説明

すればよいのか迷っていた。しかし、隠せるような事ではなかった。正直に言うしかなかった。弟は僕をなじり、

大声で泣いた。僕も悲しかった。一緒に泣き出したい気持ちだった。済まないと思う気持ちと、弟の悲しみを思いやると

余計悔しかった。

 こんな事件があってから、再びドンビー子を取りに行ったり、家で飼うような事はなかった。今でも、この季節になると

思い出す、甘く悲しい子供の頃の思い出話である。

                                              2000年6月26日掲載

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