繁栄の果てに

 太平洋のど真ん中にイースター島という小さな島があります。正式にはラパ・ヌイという島です。

ヨーロッパ人が、この島に上陸した日がキリスト教の感謝祭、つまりイースターの日だったこと

から「イースター島」と呼ばれるようになりました。しかし、これはヨーロッパ人が勝手に付けた

名前なので、本来は「ラパ・ヌイ」と呼ぶべきでしょう。

 しかし、昨今はイースター島と言う呼び名が一般的になっているので、文中ではこの名称を

使うことにします。イースター島は実に神秘的な島です。森や林が全くなく、荒涼たる草原が

広がっている島です。まったく豊かさを感じさせないこの小さな島に多いときには9000人を

越えるような人が暮らしていたと言われています。今の島の姿からは、とても想像出来ません。

今は農業も牧畜もほとんど行われていません。わずか千数百人ばかりの住民は観光収入で

暮らしています。島と外を結ぶものは小さな飛行場だけです。孤島という面では昔も今も変わり

ません。

 私たちは、この島をトパーズ号という2万7千トンの大きな客船で訪れました。島には大きな

船が停泊できるような港はなく、沖に碇を降ろし、そこからテンダーボートという小さな船外機

付きの船で、トパーズ号と島との間を何度も何度も往復しました。島には大勢のお客さんを

もてなすような施設も宿もありません。従って、昼食は客船で作ったものを持って上陸しました。

 かつて、この島は緑豊かな島だったと言われています。ラパ・ヌイの先住民達は南太平洋の

島伝いに太平洋の遙か彼方にあったこの島へたどり着いたと言われています。最近になって、

こうした南太平洋の島々に展開した先住民達の歴史が次第に明らかになりつつあります。

 私たちモンゴロイドと共通の祖先を持つ人達は台湾当たりを拠点に島伝いに南下し、インド

ネシアから更に南へとパプアニューギニアやタヒチなど南太平洋の島々に展開していったよう

です。その範囲は驚異的なもので、南はニュージーランドやオーストラリア、東はハワイや更に

南のイースター島にまで及んでいます。

 こうした遠洋航海にはアウトリガーと帆が付いたカヌーが用いられたと言われています。現に、

今もそうしたカヌーを使って沖合遙か彼方の島々を行き来している島民もいると言われています。

航海には風や潮を読む力と、太陽や月や星などを羅針盤代わりにした航海術が先祖から受け

継がれてきたようです。古代とは言いながら素晴らしい航海術を持っていたようです。

 こうした人々の一部がたどり着いたのがイースター島だったようです。彼らが島へ上陸をした

ときには豊かな植物が生い茂り、果物など食料になるようなものがふんだんにあったに違い

ありません。そうでなければ、彼らの祖先がここへ住もうなどとは考えなかったでしょう。彼らが

島へ持ち込んだ数少ないものの一つに鶏がいたようですが、大半はこの島と周辺の海で獲れる

動物や魚などによる自給自足の生活だったようです。

 彼らの宗教は自然崇拝でしたが、亡くなった先祖を形取ったモアイ像を作り、先祖を敬って

いたようです。従って、大半のモアイ像は海の方ではなく集落の方を向いていました。

 像には特徴ある大きな目がはめ込まれていました。その目は人を威圧するような特異なもの

であったようです。大きな目をぎょろりと剥いた巨大なモアイ像は一種異様な雰囲気を持って

いたのではないでしょうか。

 島は年を重ねる毎に人口が増え、幾つかの集落に別れていったようです。そして村と村の間

にはいつしか対立関係が生まれ、村を守るモアイ像は村同士の対立関係が深くなればなるほど

大きさ競うようになったようです。今もモアイ像を切り出した火山島の側壁には体半分が埋まった

ままの巨大なモアイ像や顔だけが出たものがたくさん残されています。これら巨大なモアイ像は、

何故、運ばれることなく放棄されたのでしょうか。

 こうした像の中には顔の大きさだけでも人間の背丈以上のものがたくさんあります。大きさを

競うあまり、出来上がったものの村まで運ぶことが出来なかったのではないでしょうか。この頃

には人口も増え大量の食料を必要とするようになったようです。唯一の資源である森や林の

伐採はますます激しくなり、ついにはカヌーを作る材木もモアイを運搬する材木もなくなって

しまったようです。

 もともと島は火山島でしたから畑には適さない痩せ地でした。その畑を守っていたのは森や

林でしたが、こうした森や林がなくなると激しい風雨が表土をさらい、その上、次第に雨も少なく

なったようです。島の砂漠化が急速に進んでいったのです。

 島民が、その変化に気が付いたときには、時すでに遅く他の島への移動手段も失っていました。

魚を獲りたくても船はなく、船を造ろうと思っても肝心な木が一本もない状態でした。急速な食糧

不足から島民間の争いは過激さを増していきました。

 ヨーロッパ人達がこの島へ上陸した時、島民の数は激減していたと言われています。その上、

最近の調査では人を食べた形跡さえ見られるというのです。食べ物を失った島民は、人を食べる

ことで命を繋いでいたようです。その後、ヨーロッパ人達が持ち込んだ伝染病が人口減に更に

追い打ちをかけました。こうして島民は著しく減少したのです。

 過去の多くの文明の多くが木を切り尽くし森が失われた頃を境に急速に衰退しています。

森がなくなることは農業の基盤である水がなくなることです。森が雲を作り、その雨が森に

貯えられ、再び雲を作るという循環が断ち切られるからです。こうして森と水を失った文明は、

繁栄をもたらした農業の維持が出来なくなり衰退していったのです。

 こうした人間の歴史を振り返るとき、何故か今の地球の姿が目に浮かびます。大量の石油

や石炭や天然ガスは大量の二酸化炭素を作り、二酸化炭素によって温暖化現象が顕著に

なってきました。そして、温暖化は大きな気候変動をもたらしました。その上、本来は二酸化

炭素を吸収し蓄積してくれるはずの多くの森林を伐採してきました。その結果、ますます地球

温暖化は加速化しているのです。

 その上、環境に優しい燃料を作ると言って密林を伐採しサトウキビやアブラヤシを植えて

います。まったく時代に逆行するようなことを平気で行っているのです。愚かだと言う他は

ありません。人が住めない地球になるのは時間の問題だとも言われています。

 かつてモアイを作ることが村を救うことだと信じて森林が失われてもモアイ像を作り続けた

イースター島の島民と、どこか良く似ています。異なるのは、バイオエネルギーは温暖化を

救うとして、ブラジルやインドネシアの密林を伐採し、サトウキビやアブラヤシを植えて商売

道具にしているところです。

 この先がどうなるか知らずに森林を破壊したラパ・ヌイの人達と、分かっていて我先にと

儲けに群がる現代の人達と、どちらが悪質で愚かでしょうか。

 温暖化による気候変動は台風の巨大化、氷河の縮小、極地の氷の融解、海水面の著しい

上昇、集中豪雨、大干魃など大きな自然災害を引き起こしています。これからもますます

加速化することは間違いありません。そして、間違いなく言えることは天災ではなく人災だと

言うことです。誰はばからぬ人の行いが今日を招いていることです。人は過去の歴史から

何を学んだのでしょうか。

                               2008年7月30日掲載

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