今年もやがて長く暑い夏が終わろうとしています。

広島も長崎もかつてここが焼け野が原となり、被災者のうめき苦しむ声と、被災者同士が家族や友人を求めて

さまよい歩く悲しみの声に満ちあふれていたことなどは、今ではみじんも感じさせないような平和で落ち着いたたた

ずまいに戻っています。

しかし、50数年前の夏の日には、まるで地獄絵のような惨状がこの町にあったのです。

あの日あの時、あのような悲惨な事に巻き込まれることになるなど、いったい誰が考えていたでしょうか。

その悲劇は正に晴天の霹靂のようにやってきたのです。すでに戦局はアメリカに圧倒的に有利に展開し、日本の

降伏は時間の問題でした。どう考えても、あえてあの時、原爆を使う必要があったとは思えないのです。アメリカは

再三にわたり自国内での核実験を行っていましたし、原子爆弾の威力と恐ろしさは知り尽くしていたはずです。

通常兵器をはるかに上回る破壊力と、放射能という人類がかつて経験したことのない恐ろしい物質の恐さを知り

つくしていたはずなのです。従って、全てを知り尽くした上で原爆を投下したと言うことは、その意味するところは

いったい何だったのでしょうか。正に戦争という非日常的行為を後ろ盾にした犯罪的行為です。

そして2000年8月19日、またしてもアメリカは臨界前核実験を行いました。広島、長崎では時を移さず抗議の声が

湧き起こっています。被爆者にとって忘れようとしても忘れることの出来ない50数年前の暑い暑いこの8月にあえて

被爆者の悲しい思いを逆なでするような必要性がどこにあるのでしょうか。

本来は人類史上もっとも忌むべき原子爆弾を使用した国として、率先してその非を詫び、核廃絶のために努力すべ

きである国がどうして臆面もなく、何故こんな事を何度も繰り返すのでしょうか。

こんな節操のない国が新たに核を開発する国に対して開発を止めろなどと言えるでしょうか。まずは自らもって範を

垂れるべきであります。そして、もう一つ納得いかないのは被爆国日本の政府の態度であります。非核三原則を遵守

すると口では言いながら、アメリカが持ち込んでいないと言っているから日本には核はないなどとうそぶいています。

一度でもアメリカの基地内に踏み込んで査察を行った事があるでのしょうか。その上、最近公表されたアメリカの

公文書では、沖縄返還に当たって当時の総理大臣中曽根康弘氏から核持ち込みの暗黙の了解を得ていたと言って

いるではありませんか。政治家はどちらを向いて政治を行っているのでしょうか。嘘で固めたアメリカの核の傘の下に

いるよりは、被爆国として堂々と世界に向けて核廃絶を訴える方が、はるかに説得力があると思うのです。

先日も巡回の原爆展に行って来ました。長崎の被災地のものでした。描かれた絵には体験された方の悲惨な記憶が

絵の色も生々しく描き出されていました。高温にさらされて背中の皮膚が垂れ下がった写真もありました。

正に目を覆うような悲惨なものばかりです。二度と再びこのような事がないように、後世に伝えていかなければなりません。

そうしていつまでも忘れることなく抗議の声と核廃絶を世界に向けて訴え続けなければならないと思うのです。

                                                    2000年9月16日

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