フランク永井さんの死を悼んで

 「ABC XYZ これは俺らの口癖さ 今夜も刺激が欲しくって・・・・」これは故フランク永井さん

が歌った「西銀座駅前」という歌の一節です。「低音の魅力」と、多くの方々から愛されたフランク

永井さんの甘くソフトな低音は聞くものの心をとらえて離しませんでした。

 そのフランク永井さんが、ある日突然テレビの画面から姿を消してしまいました。それは思い

もよらぬ事件でした。自殺(1985年)をはかり一命だけは取りとめたという唐突な報道があった

のは、もう二十数年も昔のことになります。まだまだ、これからと言うときに何故自殺だったので

しょうか。さしてスキャンダルめいた報道もなく、いかにも温厚そうなフランク永井さん、とても

自殺をはかるような暗い影は見えませんでした。

 フランク永井さんのヒット曲は数知れません。その中でも私の知っている歌は次のように、

たくさんあります。東京午前三時 1957年(昭和32年)・夜霧の第二国道 1957年(昭和32年)

有楽町で逢いましょう 1957年(昭和32年) これは有楽町に出来た百貨店「そごう」のキャン

ペーンソング。羽田発7時50分 1958年(昭和33年) ・西銀座駅前 1958年(昭和333年)

こいさんのラブ・コール 1958年(昭和33年)・俺は淋しいんだ 1958年(昭和33年)・ 夜霧

に消えたチャコ 1959年(昭和34年)・ 東京ナイト・クラブ 1959年(昭和34年) - 松尾和子

とのデュエット曲。大阪野郎 1960年(昭和35年)・ 東京カチート1960年(昭和35年)・ 君恋し

1961年(昭和36年) - 元は二村定一のヒット曲(1928年(昭和3年))のリメイク。霧子の

タンゴ 1962年(昭和37年)・ 赤ちゃんは王様だ 1963年(昭和38年)・大阪ぐらし1964年

(昭和39年)・妻を恋うる唄 1965年(昭和40年)・大阪ろまん 1966年(昭和41年)・おまえに

1977年(昭和52年) - 元は「大阪ろまん」のB面曲。1972年(昭和47年)にもシングル発売。

公園の手品師 1978年(昭和53年)- フランク永井自身によるリメイク。元は1958年(昭和33年)

の作品等々です。

 ご覧のように、これは私の記憶に残っているだけのものですが、この他にもたくさんあります。

注目に値するのは毎年のようにヒット曲があったと言うことです。これはフランク永井さんの

実力もさることながら、人間的な魅力が醸し出す何かがあったからではないでしょうか。

 NHKの紅白歌合戦の出場回数は実に26回という輝かしい記録を作っています。自殺を図る

という事件もなく歌手活動が続いてさえいれば、もっともっとヒット曲は生まれていたでしょうし、

紅白歌合戦の出場回数も増えていたかも知れませんね。

 また、ヒット曲の多くが佐伯孝夫作詞、吉田正作曲によるものです。これもフランク永井の

ソフトな低音に作曲家の吉田正さんが惚れ込んでいたからではないでしょうか。ヒット曲を生む

には如何に作詞家、作曲家、そして歌手というコンビネーションが大切かと言うことが良く分かり

ます。これも人と人の結びつきを考えれば当然のことかも知れませんね。

 私は学生だった頃からフランク永井さんの大ファンでした。従って、当時のヒット曲の多くを

知っていますし、幾つかの曲は歌詞カードがなくとも歌うことが出来ます。「夜霧の第二国道」

や「有楽町で会いましょう」など都会的な歌が多く、フランク永井さんの歌の中に、まだ見たことも

ない東京や横浜と言う大都会を想像し、一度は行ってみたい見てみたいという強いあこがれを

抱いていました。

 そして、高校卒業の前の年、昭和三十七年の修学旅行で、あこがれの東京有楽町に降り

立ったのです。その場所が、今の何処になるのか定かではありません。と言うのも、その日の

旅行日程が大幅に遅れ、東京に着いたのは日もとっぷりと暮れ、外は暗くなっていたのです。

 先生の注意もそこそこに観光バスから降り、その場所で散会ししました。私は、さしたる冒険心

も大胆さも、ましてや開放感も持ち合わせておらず、ネオンばかりが目に眩しい銀座の一角を

あっちへ行ったりこっちへ行ったりとうろうろとしていました。

 それでもフランク永井の「有楽町で会いましょう」という歌を思い出しながら、「ああ、これが歌

に歌われていた銀座であり有楽町なのだ」と感慨に耽ったものでした。その時、カメラ屋に寄って

外国人向けの英語ばかりのパンフレットを何冊か貰って帰ったことを今も懐かしく思い出して

います。

 そうなのです。フランク永井さんはあこがれの歌手であると同時に都会的な大人の象徴の

ような存在でした。その後、フランク永井さんに見いだされスカウトされた松尾和子さんという

妖艶な女性歌手が登場して以来、彼女もまた都会的な女性としての眩しい存在となりました。

 その松尾和子さんとフランク永井さんのデュエットは当然の成り行きだったかも知れません。フ

ランク永井さんが松尾さんの横で少し照れたような顔をしながら歌っているのがとても印象的

でした。

 それからずっと後になって、私自身が松尾和子さんと出合うことになるとは思いもよらぬ事

でした。それは札幌市内の大きなキャバレーに一人で遊びに行っていたときの事でした。その

日のゲスト歌手が松尾和子さんでした。彼女が何曲か歌った後でお客さんの中から一緒に

歌いたい人は舞台に上がってくださいという司会者の誘いがありました。

 私は迷うことなく手を挙げて舞台に上がりました。酒の酔いが少し気持ちを大きくしていた

のかも知れません。と言うよりは、あこがれの松尾和子さんとデュエットが出来ると言うこと

だけで気持ちが舞い上がっていたのかも知れません。

 松尾和子さんとはフランク永井さんとのデュエット曲である「東京ナイトクラブ」を歌いました。

歌い終えて松尾さんは私の声が森進一の声によく似ていると感想を述べてくれました。その時、

録音をしたテープがプレゼントされ今も手元に残っています。

 その松尾和子さんも不慮の事故で亡くなってしまいました。息子さんの事件が報道されて間も

ない頃でした。後年は不遇の内に、この世を去っていきました。そしてフランク永井さんもつい

先日亡くなったという報道があったばかりです。惜しい歌手が次々にこの世を去り、歌謡曲の

世界が一段と寂しいものになってしまいました。

 私の十八番に「おまえに」という歌があります。誰を想って歌った歌なのか定かではありませんが、

実にしっとりとした良い歌です。歌っていても聞いていても何となくその世界に入ってしまうのは

私だけでしょうか。歌は世に連れ、世は歌に連れという言葉を思い出しています。すべては遠い

昔の思い出になってしまいました。

                                       2008年12月18日掲載

「西銀座駅前」

佐伯孝夫 作詞

吉田 正 作曲

(1)ABC・XYZ

これは俺らの 口癖さ

今夜も刺激が 欲しくって

メトロを降りて 階段昇りゃ

霧にうず巻く まぶしいネオン

いかすじゃないか 西銀座駅前

(2)ABC・XYZ

そこのクラブは 顔なじみ

酒には弱いが 女には

強いと云った 野郎もいたが

何処へ消えたか 泣虫だった

いかすじゃないか 西銀座駅前

(3)ABC・XYZ

若い二人は ジャズ喫茶

一人の俺の 行く先は

信号燈が 知ってる筈さ

恋は苦手の 淋しがりやだ

いかすじゃないか 西銀座駅前

「有楽町で会いましょう」・・・デパートのオープンのためのコマーシャルソングとして作られた

佐伯孝夫 作詞

吉田 正 作曲

(1)あなたを待てば 雨が降る 濡れて来ぬかと 気にかかる

ああ ビルのほとりの ティー・ルーム 

雨も愛しや 唄ってる 甘いブルース

あなたと私の合言葉 有楽町で逢いましょう

(2)心に沁みる 雨の唄 駅のホームも 濡れたろう

ああ 小窓にけむる デパートよ

今日の映画は ロードショウ かわす囁き

あなたと私の合言葉 有楽町で逢いましょう

(3)悲しい宵は 悲しいよに 燃えるやさしい 街灯り

ああ 命をかけた 恋の花 

咲いておくれよ いつまでも いついつ迄も

あなたと私の合言葉 有楽町で逢いましょう

この歌詞の中にあるロードショーですが調べてみますと次のように書いてありました。ロード

ショーとは英語の"road show "からきたカタカナ語で、一般公開に先駆け、特定の劇場(主に

大都市圏)で行われる封切上映のことをいい、ロードショーを行う映画館のことを『封切館』と

言います。

「東京午前三時」

佐伯孝夫 作詞

吉田 正 作曲

(1)真っ紅なドレスが よく似合う

あの娘想うて むせぶのか

ナイト・クラブの 青い灯に

甘くやさしい サキソフォン

ああ 東京の 夜の名残の

午前三時よ

(2)可愛いい顔して 街角の

白い夜霧に 濡れながら

待っていそうな 気もするが

あの娘気ままな 流れ星

ああ 東京の 恋の名残の

午前三時よ

(3)おもかげまぶたに 裏路へ

出れば冷たい アスファルト

似た娘乗せゆく キャデラック

テイル・ランプが ただ赤い

ああ 東京の 夜の名残の

午前三時よ

「おまえに」

岩谷時子 作詞

吉田 正 作曲

(1)そばにいてくれる だけでいい

だまっていても いいんだよ

ぼくのほころび 縫えるのは

おなじ心の 傷をもつ

おまえのほかに 誰もない

そばにいてくれる だけでいい

(2)そばにいてくれる だけでいい

泣きたいときも ここで泣け

涙をふくのは ぼくだから

おなじ喜び 知るものは

おまえのほかに 誰もない

そばにいてくれる だけでいい

(3)そばにいてくれる だけでいい

約束をした その日から

遠くここまで 来た二人

おなじ調べを 唄うのは

おまえのほかに 誰もない

そばにいてくれる だけでいい

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