「僕らはフォーク世代」

 昭和40年代から50年代にかけては、フォークソング全盛期であった。時代は経済の高度成長期

に入ったばかりの頃だった。井沢八郎の「ああ上野駅」の歌に代表されるように、僕らや僕らの先輩

達が、田舎から都会や新しい産業地帯へと、出征兵士のように動員されていった時代だった。

 60年安保の高まりは余韻としてまだ残っていた。総評を中心とする労働運動は、三井三池の

総労働対総資本という戦いの延長線上にあり、最高の高まりを見せていた。社青同運動があり、

反戦青年委員会があり、地元労働組合の青年部の活動があって、寮の中でも、みんなが集まると

社会主義だ革命だというような話で賑わっていた。

 そんな状況であったから、反戦歌を中心とする社会派フォークに感化されるのも時間の問題で

あった。夏に開かれる平和友好祭は弥高山の山麓で開かれていた。僕らは倉敷、水島地区の

青年婦人部の代表として参加していた。県下から二千人近い学生や若い労働者が参加していた。

山麓一帯にテントを張り、一泊しての参加だった。設営隊はすでに何日も前から休暇をとって

参加していた。広場では大集会が開かれ、国会議員も挨拶に来ていた。友好祭の計画も実行も、

みんな二十代の若者だけで行われていた。

 友好祭の盛り上がりは、なんと行っても式典の後に開かれた「うたごえ集会」だった。当時は

「うたごえ」全盛期で各地で労働歌を中心に「うたごえ指導」が行われていた。そんな中にあって

フォークソングは実に新鮮だった。岡山大学のフォークソンググループが歌った、岡林信康の

「友よ」はテンポの良さと歌詞の覚え易さもあって、最高の盛り上がりを見せた。夜の弥高山

山麓に大合唱が響き渡った。 僕らはまさしく青春まっただ中にあって、2000人の若者の熱気と

歌声に酔っていた。「夜明けは近い、夜明けは近い」、このフレーズがいつまでも心に残っていた。

 一緒に参加した後輩達と期せずして僕らも作ろう、フォークソンググループを作ろうと言うことに

なった。僕は自己流でフォークの練習を始めた。僕はギターは持っていたけれど、コードが弾け

なかった。練習曲は、もちろん「友よ」からである。「友よ」をマスターした後は、後輩が買った

フォークのレコードを聞いて覚えたり、岡山で開かれたフォークコンサートに行ったりしながら、

少しずつレパートリーを増やしていった。

 その後、公民館を借りて、手作りの「うたごえ」を開いた。「スカンポ」という名前である。会社の

仲間を中心に、あちらこちらに呼びかけて参加して貰った。そのうちに口づてに噂が広がり、

高校生達も来てくれるようになった。児島のフォークグループとジョイントコンサートをするように

なったのもこの頃の事である。広島の方から倉敷観光に来ていた女の子達が飛び入りで参加し、

以来、わざわざ広島から出てくるようになったこともあった。

 木曽節をアレンジして歌ったり、走れコータローを歌って大受けをしたこともある。毎月入場券を

発行して、代わりに会の運営費をカンパして貰っていた。今もその頃の手作りの歌集が残っている。

 「すかんぽ」はギター三台(M君、I君と私の三人)と、時にはバンジョーやベース(コントラバス)が

加わることもあった。僕らギターの三人も歌っていたが、メンバーには女性ボーカルが二人おり、

歌唱指導をしていた。

 その後、僕は結婚をして一線を引いたが、長く後輩達が受け継いで運営してくれた。会場を

倉敷の教会に移して開いた時には、生まれて間もない長女を連れて参加した事もある。

 家内と知り合ったのもフォークが縁だった。家内は児島の「エルベ」と言うフォークグループの

受付をしていた。「エルベ」はオリジナルな曲も何曲か持っていた。作詞作曲は今は偉い人に

なっているがK君である。僕らの「スカンポ」は同じ会社の同僚が中心だったが、「エルベ」は

色んな職場の仲間が集まっていた。学校の先生をしていたS君は、先生を辞めて共同通信社に

入り、今はばりばりの記者として活躍している。

 アメリカから入ってきたフォークソングはピーターポールアンドマリーやボブディラン等が火付け

役となり、折りしも安保やベトナム反戦のうねりの中で、日本全国に大きなうねりとなって広がって

いった。

 そして、ベトナム戦争がアメリカの敗北という形で終結し、学生運動も70年安保を頂点に次第に

先細りになっていった。それに連れて、フォークソングも反戦や社会派の激しいものから、いつしか

叙情的なもの、私的なものへと変わっていった。それは、一時代の終わりを告げるようなものだった

のかも知れない。歌手もまた、高石友也や岡林信康等から南こうせつやさだまさし等に変わって

いった。

 「エルベ」も「スカンポ」も主要なメンバーが一人二人と結婚し、いつの間にか解散してしまった。

しかし、フォークは今も僕らの青春の思い出として、心の中に残っている。

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