「演歌は3分間のドラマです」

 歌手が舞台に立ちマイクを握るとき、そこにはドラマが始まります。歌手は歌の中の主人公に

なり、歌の中の情景に我が身をおいて、ひたすら聴衆を歌の世界に引きずり込んでいきます。

そこには聞くものと聞かせようとするものの3分間のドラマが始まるのです。

 「隠しきれない移り香が・・・・・」と石川さゆりが「天城越え」を歌い始めます。石川さゆり自身は

すでに歌の世界の主人公になっています。その姿は情念の世界で身もだえする女主人公その

ものです。妖しいまでに身をよじり主人公の心の内を聞く者に訴えかけてきます。私達もいつしか、

その世界に引きずり込まれ、歌い終わったときには歌手と共に深いため息をつくのです。

 千昌夫は何となく東北訛の抜けきらない歌詞で語りかけてきます。「望郷酒場」は都会に出た

若者が古里に残してきた母を思い歌う歌です。「親父みたいなよー酒飲みなーどーに、ならぬ

つもりがなっていた・・・・」切々と歌う歌の中には大人になって、いつしのまにか忘れていた悲しい

子供の頃の思い出が、苦い酒の味となって心に蘇ってきます。いつしか歌の主人公と自分自身

が重なって見えてきます。「ああ、今頃お袋はどうしているだろうかなあ、電話でもかけてみようか。」

そんな素直な気持ちに立ち返っています。

 「ああ上野駅」、上野駅に集団就職の子供達が掃き出されてきたのはもう随分前の話です。

今の上野駅にその姿を見ることは出来ませんが、集団就職でこの駅に降り立った人達にとっては

格別な思いのする駅だろうと思います。私達もまた集団就職ではありませんでしたが、やはり同じ

時代、同じように親元を離れ、見知らぬ土地で一歩を踏み出した世代です。

 「就職列車にー揺られてついたー・・・・上野はおいらの心の駅だー」井沢八郎の絞り出すような

声の中に自分の過去を重ね合わせて懐かしく思うのは私だけでしょうか。つらいことも苦しいことも

我慢して早く一人前の人間になりたいとひたすら汗を流してきました。今その世代は第一線を

退こうとしています。それでもこの歌を聴くと不安と期待に胸躍らせたあの青春の日々が鮮やかに

蘇ってくるのです。

 神田川は今も変わらぬ細き流れです。「あなたは、もう忘れたかしら赤い手ぬぐいマフラーに

して・・・・」青春時代は混沌として確たるものをつかむことの出来ぬまま足早に通り過ぎてゆき

ました。神田川の流れは決してきれいな流れではありません。四畳半一間の小さな部屋はいつも

暗く日の当たらない部屋でした。それでも二人でいれば、その時だけは満ち足りていました。

その満ち足りた思いの片隅には、いつも何かしら不安が同居していました。

 世の中は騒然としており、その中にほんのひとときの安らぎがあったのかもしれません。私達の

青春時代は轟々たる流れの中で足早に過ぎ去っていったのです。

 幾多の歌の中で、様々な人生が描かれ、演じられてきました。それらは全て私達自身の体の中

に深く根を下ろしいまもなお、歌と共に演歌と共に人生があります。演歌は決して他人事ではなく、

私自身の人生なのです。

                                            2000年9月16日掲載

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