伝統を守る

 私は今年、数えで61歳、満年齢で60歳を迎えます。いわゆる還暦です。還暦などと言うと、何かしら凄く

年寄りに思われてなりません。赤い"ちゃんちゃんこ"を着せられて、頭にも奇妙な赤い帽子を載せて、家族

に囲まれてお祝いというイメージがあるからです。

 私が子供だった頃、還暦などと聞くとずいぶんなおじいさんに思えたものです。しかし、人生五十年と言って

いた頃には、お祝いをする位、おめでたいことだったのかも知れません。長生きが当たり前になった今日、

自分が還暦だといってもとまどいを覚えるくらいでなかなか実感が伴いません。

 昨年の暮れに、近くの神社から還暦のお払いの案内が来ました。実は42歳の厄年にも厄払いに行った

ことがありました。そんな訳で、今回も正月明けの1月11日に出向きました。私は元来、無神論者です。

そんな私がお払いに等と思ったのですが、行くことに決めたのは次のような理由からでした。つまり、厄年

であれ、還暦であれ、それぞれが人間にとっての大きな節目であると考えていたからです。厄年近くで

色んな異変が起きている事をしばしば耳にします。それは家族の事であり、自分の健康や事故等の事も

あります。

 考えてみれば厄年は、人生の転換期のようです。人は年を重ねる毎に家庭においても社会においても

責任が大きくなってきます。当然、精神的な重圧が増し、子供が成長するにつれて家族の中にも色んな

変化が生じてきます。そういったものが、様々な形で現れて来るのだと思われます。それらを信仰深い

昔の人達は、厄年と言ったのではないでしょうか。

 そうして、干支十二支の五回目に当たる年に「良くまあここまで無事にこられたなあ」と自分自身を誉め、

家族や、親族、友人等近しい人から祝って貰ったのではないでしょうか。

 わたしも人生の節目と考え、神社に詣でてお払いを受けてきました。当日は朝9時からの受付だと言う

のに、早くから大勢の人が来ていました。米寿の人や喜寿の人も何人かいました。しかし、大半は還暦

の人でした。そして、三十代や四十代の厄払いの人も数人いたようです。

 寒入り後の冷え込みの厳しい日でした。日の射さぬ吹きさらしの場所で待つこと30分、拝殿がほぼ

一杯になったところで神主が入ってきて、お払いを受ける人の名前の確認がありました。三宝には山

ほどのお札が載せられていました。それを神棚に捧げ、いよいよ祝詞が始まりました。こうして数十分、

待ち時間よりは短いお祓いが済みました。一人ずつ名前を呼ばれ、お札を受け取って帰りました。

 私は常々、何事にもけじめが必要だと思っています。何か大きな行事を行うときには開会式を行い

ます。建設を始めるときには地鎮祭を行います。家を建てるときには棟上げ式を行います。これらには

何の意味があるのでしょうか。「さあ、これから取りかかるぞ」という安全祈願を込めた、みんなの意思

統一のための行事なのではないでしょうか。建設機械がなかった頃は、全てが人力でしたから大変な

労力と危険を伴いました。

みんなの気持ちが一つにならないと出来ないことが多かったのです。そんな事のために、意思統一が

必要だったのではないかと思います。

 それと同じように、私達の日常生活にもけじめが必要なのではないかと思います。日本には昔から

季節毎の行事がたくさんありました。もともと農耕民族でしたから、稲作に関係するものが多いようです。

それらの行事を行う毎に、季節の移り変わりを感じ次の作業の準備にかかりました。

 家の中では家長が中心となって行事を取り仕切って来ました。お父さんという存在は、全てを取り

仕切る絶対的な力を持っていました。それが父親の家長としての自覚を持たせ、家族に対する統率力

になっていたのではないでしょうか。戦前の封建制が良いと言うつもりはありませんが、昨今の家族の

姿を見ていると、何かが失われているような気がしてならないのです。

 お正月を迎えても格別な行事もなく、ただ、喰って寝るだけでは意味がありません。年改まって自分

にも家族にもその事を自覚させるような何かが必要なのではないでしょうか。無神論者に対し神様に

手を合わせろなどと言うつもりもありません。私自身も、どちらかというと、そう言う事の全てを否定して

きた者です。また、小泉さんのように靖国神社へジェスチャーで参拝するような気持ちもありません。

 しかし、私達は敗戦後、戦前のものは全て悪いのだと、伝統行事までも捨てて来てしまいました。最近

になって、いくらかは昔のお祭りや行事の一部が見直され復活してきました。しかし、多くは形だけの

復活です。何故、伝統行事が始まったのか、何故必要だったのか等、もっと良く理解した上で生活に

取り入れていきたいと思っています。日本には長い歴史に根ざした大切な伝統行事や文化がたくさん

あります。

 これら伝統行事や文化の持つ精神のようなものを、もっと見直すべきではないかと思っています。

そして私自身、還暦を迎えたことを私の人生の大きな節目として、けじめあるこれからの生き方に

ついて考えてみたいと思っています。

余談(還暦に当たって)

 神社に出向いた日、私自身の今までの生き方について考えてみました。今まで、はっきりとした自覚が

あった訳ではありませんでしたが、振り返ってみると生涯を貫いてきた考えは、「自由、平等、博愛」の

精神だったのではなかったろうかと思い至りました。

 何ものにも縛られたくない、自分は自分だという思い。自分だけが特別な存在でなくても良い、その

代わり差別も受けたくない。そして、喧嘩や争い毎は大嫌い、いじめるのも虐められるのも嫌い。弱い者

を見るとかばいたくなる心。言い訳を人のせいにしたくない。そんな考えが、子供の頃からの私の行動を

決めてきました。そして、これからもこの考えは変わらないものと思っています。

                                              2004年1月18日掲載

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